平成8年第1回茨城県議会本会議 - 96年3月22日:国会正常化決議への反対討論

国会正常化を求める決議への反対討論

県議会本会議
平成8年3月22日


 平成8年第1回 定例県議会の最終日に、「国会正常化を求める決議」が提出されました。この決議は、住専処理で空転する国会に対して、住専予算の早期成立を求める決議であり、空転の原因となっている連立与党の世論を無視した強引な国会運営を容認する内容でありました。
 この決議に対して、井手よしひろ県会議員は、公明・新進クラブを代表して反対討論を行いました。
 決議に賛成する自民・社民・自由クラブの議員のヤジで騒然とする中(議事録中の「発言する者多し」との表現はヤジで議場が騒然となった様子の記述です)、県民の住専処理への怒りを代弁する討論となりました。以下、県議会議事録より転載いたします。

井手 義弘

 公明・新進クラブの井手義弘でございます。国会正常化を求める決議への反対討論を申し上げます。

国会では、去る3月4日以来,19日間に及び予算委員会が開けないという事態が続いております。(「座り込みをしているからだ」と呼ぶ者あり)。この現象面をもって,議会制民主主義に対する背信行為であると決めつける今回の決議は,その根本的な部分において,県民の声を全く無視した決議であり,私どもは全く納得できず,強く反対の意思を表明いたすものであります。(発言する者多し)

 今回の住専処理に国民の怒りの声は頂点に達しております。マスコミの世論調査によりますと,8割から9割の方が,税金からの6850億円の公金支出に反対をしております。県内でも,私どもが呼びかけ人となりました「住専処理に反対する怒りの茨城県民会議」が行いました反対署名運動に,わずか2週間で7万8,282名の反対署名をいただきました。(「公明党だけだ」と呼ぶ者あり)

 まさに「住専」「6850億」という言葉は,子供からお年寄りまで,平成の悪政の代名詞として知れ渡り,住専処理への県民の反対の声は,爆発しているといっても過言ではありません。(「そうだ」と呼ぶ者あり)

 そもそも今回の国会空転は,政府・連立与党が,住専予算の強行採決を行おうとしたところに、その原因があります。主権者である国民の世論を,国会議員の数の論理で一蹴しようとする強権的動きがあったことは明白であります。

 国の平成8年度予算案には,国民の税金から6850億円の公的資金を住専という民間企業の損失処理に使うという,今までの常識では考えられない不良債権処理案が含まれております。日本は世界に範たる法治国家であります。住専処理には,会社更生法等の現行法で厳正かつ速やかに処理を行い,(発言する者多し)関係者には民事・刑事両面の法的責任を徹底的に追及していくことが大原則であると主張いたします。(「そのとおり」と呼ぶ者あり)

 ところが橋本政権は,そうした現行法規を超えた特別の処理,超法規的な措置をとろうとしておられます。(「声が小さい」と呼ぶ者あり)

 こうした超法規的処置を強行される背景には,この住専問題の後に控える120兆円とも140兆円ともいわれるノンバンク等の不良債権処理への周到な布石が感じられるのは私一人ではないと思います。(「そのとおり」「1人だ」と呼ぶ者あり)

 橋本首相は、「住専処理は国民の理解をまだいただいている状況ではない」と述べていることが,新聞等で報道されております。私が,住専反対の県民会議を代表して,首相官邸に反対署名を届けた際,対応された古川官房副長官は,「住専処理に公金を投入することを国民に納得していただくことは難しい。しかし、理解していただかなければならないことだ」と強弁しておりました。

 このように当事者が,国民に理解も納得もされていないことを知りながら,それなのになぜ政府・連立与党は,予算の無修正成立を図ろうとされたのか,強行採決をされようとしたのか。(発言する者多し)こうした「国民は黙ってついてくればいいんだ」という政府並びに連立与党の国民不在の議会運営に,今回の国会空転の責任があります。(「そのとおり」,発言する者多し)

 したがって,本議会において,国会正常化の決議を行うのであれば,その決薮に空転となった原因,つまり住専予算の削除を盛り込む必要があります。それなくして,この決議は県民大多数の声とは全くかけ離れたまさに国会の党利党略の一部に,我が茨城県議会が加担するものとの厳しい批判を,県民から受けるものとなってしまうと危惧するものであります。

議長(小川栄次郎君)

 時間が来ておりますので,簡略に願います。

016番(井手義弘君)

 さらに,今国会の空転の状況を加速させている問題がございます。それは,自民党の加藤幹事長のヤミ献金疑惑であります。(発言する者多し)住専からの大口借り手であった鉄骨加工メーカー「共和」からの1,000万円が加藤幹事長に不法に渡された問題に関して,元後援会長が決定的な証拠を公開しているにもかかわらず,連立与党はかたくなに加藤幹事長の証人喚問を拒み続けております。(発言する者多し)

 以上のような理由により,今回提案なされた国会正常化を求める決議には反対するものであります。最後に,重ねて県民の大多数が住専処理に反対し,多くの有権者が国会議員はもとより,私ども県会議員をも鋭い批判の目で監視してくださっていることを申し添え,議員諸兄の賢明な御判断をお願い申し上げ反対討論といたします。以上。(拍手)




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

2002年サッカーワールドカップ日本韓国共同開催決定

w2002asi

2002年サッカーワールドカップ日本韓国共同開催決定


kasima_1  ワールドカップ2002の開催国が決定する6月1日。鹿嶋市の卜伝の郷運動公園では、日本開催を祝賀する大会が開催される予定であった。
 しかし、おおかたの期待を裏切り、前日の午後9時には、事実上の日韓共同開催がスイス・チューリヒのFIFA理事会で決定された。
 当日は、開催候補地15自治体が次々にイベントを取りやめていく中で、鹿嶋市のイベントはスイス・チューリヒからの衛星生中継や「2002回の万歳」などが中止になるなど、縮小はあったものの盛大に開催された。
 鹿島神宮新地地区の住民らによる山車が予定通り午前7時、約三キロの道程をゆっくりと運ばれて、イベントはスタート。
 スポーツセンターに隣接して作られた、作られた特設会湖には午後になると、次々に市民が参集。午後三時前に、1000人が列をつくった。
 参加者は午後4時から、スホーツセンターメーンアリーナと特設舞台に設置された大型テレビで、Jリーグのアントラーズ対エスパルスを観戦した。
 午後6時40分、五十里 武 市長が壇上に上がり「2002年ワールドカップは、21世紀最初の国境を越えた大きなイベントとなる」と述べ、大きな拍手を受けた。
kasima_2 この後、ビックホーンズビー(米米クラブのホーンセクション)が演奏を繰り広げた。
 7時10分、ジーコがブラジルから衛星中継で画面に登場。「喜びは半分だが、鹿嶋にW杯をもってこられるよう全力を尽くす。鹿島のサツカーは市民の努力によって作り上げられたものだということを全世界の人たちに知らしめたい」と語った。
 このあと、祝福に駆けつけた橋本 昌 知事は、「残念ながら共同開催になった。しかしこれから難しい問題が山のようにある。本県としてはW杯をどのようにして鹿島にもってくるかに頑張ることになる。たとえFIFAが認めないといっても、我々は強くこの熱意を示していきたい。どんなに頑張ってきたか、これまでの鹿島のへ努力を伝えたい。まだまだ予断は許されないが共に頑張っていきたい」と決意を披露した。
 2002年ワールドカップの鹿島での開催を願いかがみ割り、乾杯と式は続いた。
 市民1万人が集い、「鹿島にワールドカップは必ず来る」との確信を深めた記念イベントとなった。

鹿島地域の開発とワールドカップ招致に関する所感

県議会議員 井手 よしひろ

サッカーワールドカップ2002年大会の開催地が、日本と韓国の共同開催で決定した。
 日本では全64試合から、せいぜいがその半分の32試合程度の開催にとどまり、国内開催地が削られる可能性も出てきた。
 しかし、鹿嶋市での開催は間題ない、というのが一般的な見方である。少なくても二試合を見込んでいる。共同開催ということで、一時の熱狂に水が差されたという考えもあるが、世紀のイベントが我が茨城で、鹿島で開かれることの意義は大きい。
 W杯開催国の義務とされる項目がFIFAにある。スタジアム、移動と交通手段、サッカーの地位向上、インフラ、通信システム、メディアのための施設、政府保証、国民の支持など。これらの基準を満たすために、国や県、鹿嶋市はこれまで努力を続けてきた。
 しかし、開催が具体化した今、その準備はこれからが本番であるといえる。
 サッカー場の改装、交通網の整備、財政問題、人的問題、さらには自然環境保全といった問題はまだ満足な青写真すらできていない。今後はハード面を中心に急ピッチで鹿嶋地域の整備が進められることになる。
 最も重要な問題であるスタジアム建設について、一部マスコミに、「県は現在の県立カシマスタジアムを鹿嶋市に売却し、収容能力4万人以上の新カシマサッカースタジアムの建設を進めていく考えをもっている」と報道されている。
 現在の県営鹿島サッカースタジアムを、市へは数十億円で売却し、その代わりとして200億円以上の工事費を投じ、W林基準に合った競技場を新築するという計画である。
 この計画は、茨城県サッカー協会の志村巌会長らが前々から提言していたもの。県の企画部では、こうした具体的な計画は一切ないと強く否定している。
 鹿嶋市側も公式にはこの提案を否定も肯定もしていない。
 一般には、こうしたスタジアムは二つも必要ない、とする強い批判も存在するもの事実である。果たして二つのサッカー専用スタジアムが必要なのかという根本的な疑問である。鹿嶋で開催が予想される二試合のために、県と市側を合計して、300億円近くの投資が許されるのかという論議である。
 また、ワールドカップ終了にいかにこのサッカー場を利用するか、維持費をどうするかという問題も大きい。
 町おこしのシンボルでもある県立カシマサッカースタジアムが、練習場に格下げになることに市民らが異論を唱えることも考えられる。
 このほか新しいスタジアムは神栖町へ誘致しようという動きも強い。
 駐車場の確保、練習用グランドの整備などもあり、スタジアム建設には難しい問題が控えている。
 憶測や願望での論議を廃して、具体的な論議の積み重ねが必要である。
 新聞等の報道機関も、責任ある冷静な報道が期待される問題だ。
 一つ都市で開催されるオリンピックとは違って、ワールドカップは、交通網整備も重要な課題である。サッカーの神様ジーコ氏も、4月のシンポジウムで、交通網の整備に関して強く注文を付けていた。訴えたのがこの間題だった。
 日韓共同開催となると、成田国際空港へのアクセス道路の整備が最重要となるだろう。東関東自動車道潮来ICとスタジアムを結ぶバイパス整備、国道124号の整備、北浦に架かる新神宮橋、さらに水戸方面からのアクセス道路の整備も含め、スタジアム周辺の道路改善を急ぐ必要がある。
 また、編成の長大化を含めてJR鹿島線の充実も必要となる。
 このほか選手、役員、観客の宿泊施設の確保も必要だ。鹿島セントラルホテルの新館建設だけで対応できるか総合的に判断する必要がある。
 さらに、大会を支えるボランティアの育成・組織化も大きな課題となってこよう。
 今後激化する国内の招致合戦を勝ち抜き、茨城の21世紀の最初の巨大イベントを成功させるためには、県民の自由な論議と、英知を結集する以外に方策はない。

2002年ワールドカップを迎えるカシマの計画

 以下は、月刊「レジャー産業」3月号に掲載された2002年ワールドカップ日本開催候補都市レポートをもとに、鹿島地域のワールドカップ招致計画の概要を紹介するものです。
 一部新聞紙上では、新スタジアムの新規建設等の情報も流されておりますが、県の公式の見解は以下の内容です。計画の変更も踏まえ、今後の議論の参考にしていただければ幸いです。

 4年前にスタートしたJリーグとともに、国内で最も有名な「町」となった鹿島町は、昨年9月に北部に隣接する大野村と合併して鹿嶋市となり、人口約6万人、面積もほぼ倍の広さとなった。
 91年に茨城県は、旧鹿島町、神栖町、波崎町の三町を中心とした開発地域に対して「鹿島地域楽しい街づくりプラン」を掲げた。そのプランとは、鹿島地域にふさわしい機能をそれぞれにもたせ、旧鹿島町にはスポーツ文化施設などを中心とした「スポーツ文化コア」、神栖町にはSCやコンベンションセンターを中心とした「商業業務コア」、波崎町には海辺や河川を利用した「リゾート・レクリエーションコア」という三ゾーンを形成していくもの。
 そして開発の勢いとして最も入きかったのは当時、地元企業の住友金属工業がブロサッカーチームをもつ計画を進めていたことを契機に、サッカー場の整備などによるサッカータウンづくりの推進を打ち出したことであった。
 こうして93年に鹿島アントラーズのホームスタジアムとして、茨城県立カシマサッカースタジアムを建設。旧鹿島町が地域コミュニティの場として、また地域間交流の拠点施設として整備を進めていたト伝の郷(ぼくでんのさと)運動公園内に、サッカー専用施設として日本一を誇るスタジアムが誕生し、限りなく可能性のある新生「鹿嶋市」が浮上してきた。

W杯開催に向けた都市基盤の整備が進行中

 2002年W杯に向けたカシマサッカースタジアムの改築計画は、現段階では基本設計までだが、6月1日に日本開催が決定すれば、実施設計が97年度に行なわれる予定である。また、スタジアム建設時の施工は竹中工務店・住友建設・常総JVが請け負ったが、改築工事は一般競争入札で業者決定するとしている。なお工事は98年度には着工し、2000年度の完成を目指すという。
 事業費約200億円を投じて、現在の3階建てから4階建てに拡張、スタジアム総収容人数1万5000人から4万3340人の規模に生まれ変わる。屋根面積も2万400屬縫螢縫紂璽▲襪掘■藤稗藤全霆爐鯔たす観客席2万9000席を覆う改築が行なわれる。
 また、日本が提案するバーチャルスタジアム等のマルチメディア関連諸設備の対応にも万全の態勢を図りたいという。
 ただし建設資金は、ト伝の郷運動公園が市の所有であり建設省の都市公園事業ではないため、財政支援がそれほど多くを期待できず、一般財源と起債等によって捻出することとなる。
 一方、W杯に向けてインフラ整備も着々と進行している。「スポーツ健康都市づくり」を掲げる鹿嶋市は、ト伝の郷運動公園整備事業として、スタジアムと隣接して総工費40億円をかけた中核施設のスポーツセンターを建設中。メインアリーナ・サブアリーナ(最大2800人収容)、弓道場、柔剣道場、レストラン等で構成され、W杯時には雨天練習場とプレスセンターとして利用する見込み。
 さらに宿泊施設として、第三セクター方式で管理・運営されている鹿島セントラルホテル(神栖町)が、W杯用に新館建設の計画も立てている。
 アクセス面をみれば、W杯開催時には全世界から外国人が訪れるが、鹿嶋市はなんといっても日本の玄関口である成田空港にほど近いという大きな利点がある。また、東京からは高速バスで1時間30分、特急で約2時間の距離でもあり、日帰り圏内の立地にある。現在、鹿嶋臨海鉄道大洗鹿島線の水戸〜鹿島神宮間の輸送量は一回当たり1000人程度だが、W杯時にはその約5倍の5000人にし、短時間の輸送力をアップしたいとも考えているようだ。つまり、スタジアム観戦者4万人のうち、5000人は電車利用という計算をはじいている。
 さらに国道51号(千葉〜水戸間)のバイパス工事が進行中。すでにスタジアム前の道路工事は完了し、あとは神宮橋などの橋梁工事の計画のみとなっているが、これはW杯開催決定如何によるため現在は計画決定されていない。

アントラーズ人気とW杯で真のサッカータウン目指す

 地元サポーターの熱気はもちろん、県内全域で鹿島アントラーズの人気が定着してきた。県側は、カシマサッ力ースタジアムが鹿島アントラーズの試合となると、チケット購入申込みが常に10倍以上の倍率となる現況をみて、W杯後の4万人収容規模でも、Jリーグの試合は満席になるものと確信している。
 さらに昨年、県大会の決勝、準決勝の計3試合がカシマサッカースタジアムて行なわれ、しかも全国高校選手権入会に茨城県代表として鹿島高校が初出場するなど、鹿嶋市に新しいサッカーの歴史がまた一つふえた。こうした勢いを踏まえ、これまで以上の規模で高校・大学、JFL、トヨタチャレンジカッブ、国際試合等を実施する計画をもつ。ただしサッカー専用ということで他のスタジアムよりメンテナンスは重視することを前提に、一週間に一試合の割合で年間50〜60試合の利用を想定している。
 ほんの5年前は、鹿島神宮と鹿島臨海工業地帯のイメージが強かった街が、Jリーグによってサッカーが根付き、真のサッカータウンに変貌を遂げるかは、まさにW杯開催しだいである。

◇日本で予定されている15会場◇

15自治体スタジアム計画一覧表〔第3次計画書より〕
自治体
施設名称
区分
形態
場所
総事業費
収容人数
札幌市ホワイトド−ム(仮称)新設球技場札幌市360億円
43,000人
青森県青森県営サッカ−スタジアム(仮称)新設サッカ−専用青森市
150億円41,716人
宮城県宮城県スタジアム
(愛称:グランディー21スタジアム)
新設陸上兼用利府町
200億円49,281人
茨城県茨城県立カシマサッカースタジァム改修
サッカー専用鹿嶋市248億円43,340人
埼玉県埼玉県営スタジアム新設
球技場浦和市未定
63,000人
千葉県千葉県立スタジアム(仮称)新設
球技場市原市206億円
48,500人
横浜市横浜国際総合競技場新設
陸上兼用横浜市600億円
70,000人
静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(仮称)新設陸上兼用袋井市
未定49,730人
新潟県新潟県総合スタジアム(仮称)新設
陸上兼用新潟市300億円
43,000人
豊田市豊田市スタジアム(仮称)新設
球技場豊田市250億円
62,300人
京都府京都スタジアム(仮称)新設
球技場城陽市未定
43,000人
大阪市長居陸上競技場改修陸上兼用大阪市401億円
42,988人
神戸市神戸総合運動公園陸上競技場
(愛称:ユニバ−記念競技場)
改修陸上兼用神戸市
300億円42,020人
広島市広島広域公園陸上競技場
(愛称:広島ビックアーチ)
改修陸上兼用広島市
799億円(公園全体)41,806人
大分県大分県スポーツ公園メインスタジアム(仮称)
新設陸上兼用大分市
250億円43,000人




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

消費税率引き上げ反対キャンペーン - 平成9年4月より消費税率引き上げか?

hantai_1

hanatai
来年4月 消費税率5%へ!?



 消費税率の見直し作業が始まっている。現行の消費税3%は、94年秋に国会において議決され、来年4月から5%にアップすることになっている。しかし、福祉財源の確保や、景気の動向、行政改革の進行状況によって、「税率を見直す必要が生じた場合、半年前の九月末までに結論を出す」との見直し規定が付則に盛られた。

 そこで政府税調は九月末までに結論を出す方向で、4月23日から審議を開始した。

 23日の税調総会後の会見で、加藤会長は「5%への引き上げを確実に実施すべきとの意見が体制を占めた」と述べ、消費税5%を既定路線化しようとしている。

 更に、昨年一昨年と先行して実施されていた、特別減税(所得税と住民税)も、打ち切られる公算が大きくなってきた。

 大蔵省は財源難の折り、特別減税継続の場合は、消費税5%はなく6%税率を持ち出してくる可能性もある。もともと、見直し規定をつくったとき、大蔵省は「6%への見直し」を多分に意識していた。実際、当時の武村蔵相と久保現蔵相(当時、社会党書記長)が、そうした発言をしている。

 しかし、5%でも景気や生活に大変なしわ奇せを与えるのに、6%はとんでもない数字である。

 だいいち、住宅金融尊門会社(住専)処理で国民に筋の通らない税金負担を押しつけようとしている政府・大蔵省に、消費税率の値上げを言う資格はないとの厳しい声を多い。

 さらに、見直しに当たっては、政府・与党が「高齢社会への対応」と「行財政改革」に目鼻をつけることになっていた。

 ところが、この二つとも全くといってよいほど、手がつけられていない。公的介護保険の実施が先送りになったことで、将来の社会福祉の財源は見通せなくなった。規制緩和やりストラを通じた行政改革にしても、自社さきがけの野合政権が炎いして大きく出遅れている。

 何のための、見直し期間2年間であったのだろうか。

 確かに日本の財政は危機に瀕している(別項で日本の財政状況は詳しく述べる)。消費税率の引き上げの論議は、ただ財政が苦しいという論理だけで済ませるわけにはいかない。政府が何をしたのか、何をやってこなかったかを、充分に総括しなくてはならいと主張したい。

okane
消費税値上げへささやかな抵抗


 ところで、消費税の実施の時と同じように、税率見直し時期に、消費税税率変更の駆け込み需要が発生することに注目したい。経過措置が改正消費税法と政令で決められており、その経過措置とは「9月30日までに締結された請負契約や、一定の貸付契約であれば、来年4月以降に資産の譲渡、貸付、労役提供が行われた場合」現行の3%でよい、というのである。

 具体的には、注文建築のように、契約から、引き渡しまでの間に一定の期間が必要な取引の場合は、9月末までに契約を済ませれば、引き渡しが4月を過ぎても、現行の消費税率3%が適用されるというわけだ。住宅のような高額商品では、現行3%と5%の差、2%は無視できない金額である。

こうした動きに合わせて、住宅メーカーも「消費税駆け込み需要」をねらった販売戦略を展開している。

ミサワホームでは、低価格商品の発表と合わせて、来春以降の購入を希望する顧客に予約販売を行おうとしている。住友林業は、十月に販売予定だった予約販売システムを急遽この夏に前倒しで販売することにした。

残念ながら、3%据え置きが事実上困難な状況では、庶民のささやかな抵抗と言えないこともない。




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

アメリカ連邦最高裁判所判例に見る「信教の自由」と「政教分離」

wadai_logo

アメリカ連邦最高裁判所判例に見る「信教の自由」と「政教分離」
マックダニエル判決(1978年)の考察
創価大学助教授:塩津 徹

塩津 徹:1948年静岡県生まれ。早稲田大学法学部、同大学大学院政治学研究科単位取得。
創価大学比較文化研究所助教授。比較憲法専攻。著書に『信教の自由を考える』。

◇テネシー州州法による聖職者の議員資格の否定は、連邦憲法の「信教の自由」「国教禁止条項」「平等保障」に反する。

 宗教者の政治活動が日本国憲法の「政教分離原則」に反するものでないことは、憲法解釈上、憲法制定時の国務大臣の発言、歴代内閣法制局長官の見解、そして憲法学の通説からも明白である。にもかかわらず、一部与党議員の中からは憲法解釈の変更と宗教者の政治活動を制限する法律制定を求める声も聞かれる。

 民主政治の基本は、憲法の枠の中で政策を議論し、コンセンサス(合意)を形成することであって、議員の数を頼りに憲法解釈を強引に曲げ、違憲の恐れが極めて強い法律を制定することなど許されないのである。

 ところで、宗教者の政治活動を制限する見解には、「信教の自由」「政教分離原則」についての誤った理解があることはいうまでもないが、ここでは、改めてそのことをアメリカ憲法の事例から検証してみる。特に、アメリカ連邦最高裁の判例理論は、わが国において、学説のみならす、裁判所の判断にも多大な影響を与えているからである。

 もっともアメリカ連邦最高裁でも直接、宗教者の政治活動の憲法上の当否が争われた事例はない。しかし、一九七ハ年の「マックダニエル事件」判決は、事件自体は聖職者の議員資格という限定された問題であったが、宗教者の政治活動の問題にも言及しており、その点が関心を持たれるゆえんである。なかでも、本事件におけるテネシー州最高裁と連邦最高裁の結論および論理構成の相違に注目してみたい。

 事件は、テネシー州議会が聖職者の議員資格を否定する州法を制定したことが発端となった。そこで、一人の立候補者が州法を根拠に、「競争相手が聖職者であって議員資格がない」との確認を裁判所に求めたのである。

 さて、テネシー州最高裁は、州法による聖職者の議員資格の否定は、連邦憲法の「信教の自由」、「国教禁止条項(わが国の政教分離原則)」に反しないと判示した。

 主な理由は、第一に、たとえ聖職者の議員資格を否定しても、それは宗教的「信念」ではなく宗教的「行為」に負担を課すものであって、その意味では「信教の自由」を侵害しない。第二に、聖職者は公職に選任されれば、必ず自らの宗派の利益、他宗派の不利益の促進のために行動する。したがって、それを抑制することが、「国教禁止条項」の目的である、としたのである。

 しかし、連邦最高裁は、それとは逆に、先の州法は連邦憲法の「信教の自由」、「国教禁止条項」、そして「平等保障」に反すると、テネシー州最高裁の判決を破棄(はき)、差し戻しを判示した。

 まず、運邦最高裁の法廷意見は、テネシー州最高裁の第一の理由に対して、一般市民が有する公職就任の資格を、聖識者を理由に否定することは、聖識者に聖職か公職かの選択を迫ることになる。そして、信念から発する行為であれば、宗教的行為を制限すること自体、宗教的信念を制限することになりうると「信念」と「行為」の一斉論を批判する。以上のことから聖職者の公職就任禁止は「信教の自由」を侵害するとしたのである。

 なお、この二分論の否定にあたって、一九七二年の「ヨーダ事件」の連邦最高裁判決が引用されているが、事件は、ある宗派に属する親が、義務教育年限に満たないこどもの通学を宗教的理由から拒否し、州がそれに対して親に罰金を科したことに始まった。

 連邦最高裁は、州が宗教的信念を貫けば罰金、罰金を免れるためには宗教的信念を捨てるという選択をこの信者に迫ることは「信教の自由」の侵害になると判示した。重要なのはここで示された法理論である。もし、宗教的信念に基づいた行為を制限する必要があるとしたら、それを正当化しうる「やむにやまれぬ利益」があることを州が証明しなければならないとして、州に挙証(きょしょう)責任を厳格に課したことである。

 次に、聖職者が公職につけば宗派的利益のために行動するというテネシー州最高裁の第二の論点について、法廷意見は聖職者を聖職者ではない人と比較しても、公務において中立であるべきという公職就任時の宣誓、そして「国教禁止条項」が求めることに注意を払わなかったことはないと判断。つまり、聖職者が宗派の利益のために行動するという確かな事実も証明されていない、としているのである。

◇ブレナン裁判官の同意意見

宗教者の活動を宗教者以外の活動と差別をつけてはいけない。
「国教禁止条項(政教分離原則)」の目的は政府の宗教への干渉を防ぐこと。
国家による規制を安易に行うのではなく、社会での自由な論議、判断をゆだねるべき

 

 そして、次にあげる本判例のブレナン裁判官の同意意見は、結論は法廷意見と同じであるが、論理構成が異なる。本件を聖職者の公職就任禁止の問題に限定せず、宗教者の政治活動の問題へと広げているのであって、貴重な示唆を含んでいるのである。

 ブレナン裁判官の意見の論点は、第一に宗教者の活動を、宗教者以外の活動と差別してはならないということである。一九七〇年の「ウォルツ事件」で連邦最高裁が、教会は他の世俗団体、私人と同様な権利を有するとしたことを引用し、宗教者の議論、結社、政治参加について、宗教者以外の一般の人々よりも低い扱いをすることは許されないと、差別の禁止を述べている。

 そして、第二には、そもそも「国教禁止条項」の目的は、政府の宗教への干渉を防ぐことであって、その逆に、宗教者が公的な生活に関(かか)わることを抑制することではないと明言する。むしろ、宗教者が公的な生活に関わってきた良さ例として、教会や宗教団・体が奴隷制、賭博、戦争、禁酒の問題に政治的影響力を行使してきたことをあげ、そのような影響力の行使を疑い、弊害(へいがい)であるとすることは「信教の自由」「表現の自由」を侵害するとしたのである。

 第三には、テネシー州最高裁のいう宗派的利益の問題への対応である。ブレナン裁判官は、もし宗派的利益を政治過程に反映させようとする「宗教的熱狂者」がいたとしても、国家、の規制を安易に行うのではなく、とりあえずは彼らの思想を「思想の自由市場」、つまり社会の中での自由な議論、判断に妻(ゆだ)ねるべきであるとする。

 そこで、「宗教的熱狂者」の主張を認めたくないならば、選挙において投票しなければよいという。ここには、宗教だけではなく様々な思想についての判断は、「表現の自由し、取捨選択の機会を保証し、国家はできる限り干渉しないというアメリカのリベラリスム(自由主義)の伝統が見てとれる。

 以上、「マックダニエル事件」での連邦最高裁の法廷意見、ブレナン裁判官の同意意見の要点を見てきたが、次にわが国の与党の論理と照応させながら、改めて連邦最高裁判決の意義を再確認しておきたい。

 それは、第一に「信教の自由」の最大限の尊重である。テネシー州最高裁が宗教を単純に「信念」と「行為」に二分して、信念という内心に関わる面は制限が許されないが、行為という他者と関わる面は公益のために制限が許されるとしたことは危険な論理である。

 なぜなら、このような二分論は、宗教は内心の問題のみに専念すべきであり、政治に関わるなどの行為は制限を受けて当然という論理に容易に結びつきやすいからである。とりわけ、わが国のように、宗教は精神的なものであるとか、来世の問題であって、社会の現実に関わるものではないとの宗教観が根強い社会においてはそうである。

 もちろん、宗教者がそのような教義を持つことは自由であるが、ただし、国家が権力によってそれを強制することは許されない。なぜなら、宗教の中には宗教的信念に基づいて社会変革を志向する宗教も存在し、これも等しく憲法の保障するところである。

 そして、「信教の自由」は、内心のみならず、社会に関わる「表現の自由」「結社の自由」も含まれとするのが、わが国およびアメリカの憲法学の常識であるからである。

 連邦最高裁もそれゆえに、「国教禁止条項」を理由に「信教の自由」を制限する必要がある場合も、州(国家)に人権を制限せざるを得ない「やむにやまれぬ利益」の証明を課すというように、きわめて厳格に限定する一方で、「信教の自由」を最大限に尊重していることに注目したい。

◇本末転倒した一部自民党議員の俗見・・・合理的根拠・学問的常識の欠如

 ところが、わが国の場合は、一部与党議員の議論はそれとは対照的である。要するに、「政教分離原則」を国家の宗教に対する中立性という学問的常識によらず、もっぱら宗教と政治の相互不干渉という俗見(ぞっけん)による解釈で大上段(だいじょうたん)に構えている。

 その一方で、宗教者の政治活動という「信教の自由」に含まれることがらに対しては、何ら合理的根拠も、つまり「やむにやまれぬ利益」の証明もせずに安易に制限しようとしているのである。

 本来、「信教の自由」と「政教分離原則」の関係は「目的」と「手段」の関係にあることを考えれば、「信教の自由」は最大限に尊重されなければならず、その点、一部与党議員の議論は本末転倒(ほんまつてんとう)であるといわざるをえない。

 第二に、宗教者に対する「平等」の扱いである。連邦最高裁の判決では、宗教者だけが特定の利益のために公権力を行使するという偏見(へんけん)は否定され、また宗教者だけを議論、結社、政治活動などの面で差別することも批判されている。

 言いかえれば、なぜそのような差別をするのか根拠かないということである。ハーバード大学のトライブ教授も指摘しているように、マルクス主義者、環境保護を主張する人々は、宗教と同じく思想を掲げているのに政治活動の制限を受けず、なぜ宗教者だけが政治活動の制限をされるのか、合理的な理由を見いだせないのである。

 そして、わが国の場合は、それ以上に諸思想と比較して、民衆の生活の指針となってきた宗教を一段と低く見る風潮が、これに拍車をかけているとしか思えない。また、永らく宗教を政治支配の道具としてきた歴史を背景に、政治家の中には宗教への侮蔑(ぶべつ)観さえある。いずれにせよ、宗教者だけの政治活動を制限することは、宗教に対する不当な差別であって、憲法の平等保障に反する。

 第三に、市民の自由な意見表明の保障である。ブレナン裁判宮の「思想の自由市場」のように、思想は市民の自由な選択にゆだね、たとえ思想が政治的行為となって表現される場合も、投票にゆだねるべきである。

 ところが、わが国の場合は、選挙で負けた腹いせとばかりに、法律による政治活動の制限という権力的手段をとろうとすることに大きな相違がある。与党の中には、こともあろうに権力を誇示して、言うことを聞かない相手に制裁をちらつかせる議員もいるが、あくまでも言論と選挙によって政党の優劣を争うべきであることは当然である。

 また、この点、社民党(旧社会党)の行動にも不可解なものを感じる。旧社会党の有力支持団体である公務員の労働組合は、国家公務員法、人事院規則等で、政治活動を大幅に制限されている。多くの憲法学者は人権保障の観点から、公務員の政治活動に対する包括的な制限は合理的な根拠を欠くと批判し、社民党も学界の指摘を頼りにその不当性を声高(こわたか)に主張していたはずである。

 ところが、政権政党になって、こんどは政治活動の自由を制限する側に回ってしまうようでは、かつての主張は所詮、党利であったのかという疑問がもたれよう。

 民主主義は、初めから市民の意思を「べからず」で制限することではなく、宗教等の様々な思想、社会的立場にある人々の自由な意見表明、及び平等な政治参加を保障されてこそ、多様性と活性化がもたらされるのである。

 わが国の場合は、ともすると権力的規制が優先され、市民的自由がないがしろにされる傾向があるが、いずれにせよ、わが国だけでなくアメリカの例を見ても、宗教者の政治活動の間題については、「信教の自由」、そして「表現の自由」「結社の自由」という人権保障を基本に考えるべきであって、党利党略で論ずべきことからでないことは明らかなのである。

憲法20条の解釈に関する私見

Last Up Date: 05/24/1996 11:17:23




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

ディーゼルエンジン排気ガスと環境を考える

wadai_logo

ディーゼル車と環境保護を考える

car 私は、昨年9月までディーゼルエンジンの乗用車に乗っていました。少々音が大きいのを我慢すれば、燃費は抜群、力もあり、年に3万キロは走る私にとって、欠かせない車でした。

 その我が愛車が、調子を壊し、14万キロの寿命を果たしたとき、妻が思わぬ提案をしました。

 「環境を守るためにガソリン車にしましょう」と、

 やりくり上手の妻の言葉とは思えぬ意外な言葉でした。妻は、雑誌でディーゼルエンジンの排気ガスが、環境に大きな影響を与えていると言い出したのです。

 現在、大気汚染の主要な原因物質とされているのは窒素酸化物(NOX)と浮遊粒子状物質(SPM)の二種類である。特にSPMの一種でディーゼル車の排気ガス中に含まれる微粒子(DEP)は、発ガン性やアレルギー性鼻炎の原因物質であることが確認されているという。(下記に掲載した新聞記事参照)

 更に昨年11月に発表された、つくば市の環境庁国立環境研究所大気影響評価研究チーム(代表・嵯恋井勝総合研究官)の、「DEPが動物実験でぜんそくの一因となる」とする一連の研究成果は、医学界に大きな反響を呼んだ。

 DEPとはディーゼルエンジンの不完全燃焼で生じる黒煙に含まれる浮遊粒子状物質のひとつ。ディーゼルガソリン車の黒煙の量はガソリン車の30〜100倍に及ぶ。

 排気ガスはガス状成分と粒子状成分に分類され、ガス成分としては窒素酸化物、硫黄酸化物があり、DEPは粒子成分で直径2ミクロン以下の極微粒子を指す。

 ガス成分と異なり粒子は肺細胸内へ長い時間を掛け徐々に沈着するため、慢性疾恵、特に肺の発がん作用が指摘されている。

 財団法人結核予防会結核研究所の調べでは、ディーゼル機関車運転手の退職後の肺がん発生率は一般の1〜4倍に達するという。

 大気汚染の主因はディーゼル排気ガスと考えられ、都市部の「かすみ」の正体でもある。DEPの中にはさらに2000種の化学物質が含まれる。DEPは都市部でのSPMのうち圧倒的な比重を占めている。

 平成7年の11月、国立環境研究所大気影響評価チームは、ディーゼル排気微粒子が人間のぜんそくの原因の一つであることをマウスで明らかにした実験結果を発表した。

 実験では、通常の生活で吸入する程度の排気ガスから出るDEPの直接投与をマウスに行い、さらにアレルギーを起こす物質(抗原)を同時に投与した。すると、少量短期間で、血管透過性の昂進、粘液の過剰分泌、気管支粘膜下の炎症、気道過敏性の昂進といった慢性の気管支ぜんそくの基本的な病態全てが顕著に現れた。

これまで、有害な大気汚染物質を実験的に研究し因果関係を証明したものはなかった。ぜんそくがDEPにより発現される相関が明らかにされたとして大きな関心を呼んだ。

 同研先チームでは「人間がハウスダストなどと一緒にDEPを吸うと喘息の病態は確実に起こる。逆にいうと空気中にDEPがなければ、喘息はおきないのではないか」と指摘する。

 研究は今も各分野から高い関心を集めている。問い合わせ相次ぎ、一般の人からは「もっと詳しく知りたい」、あるいは「数年前に幹線道路沿いに引っ越した。しばらくしてから咳などぜんそく症状が現れて困っている」と相談を持ち込まれるといったケースが多い。

 また、住民がせんそくに陥ったのは幹線道路からの自動車排気ガスによるものとして、国と首都高速道路公団を相手に損害賠償を求めている「川崎公害訴訟」(原告128人)控訴審で、同チームの総合研究官が原告側の証人として出廷、証拠として因果関係の科学的根拠となる証言を提出した。この裁判で因果関係が認められるならば、今後の自動車公害への司法判断に大きな影響を与えることになる、というのが原告側弁護団の見方だ。

 同チームは今後、人体の健康に及ぼすリスク評価を疫学的な調査を踏まえながら行っていくという。「DEP=ぜんそく」の相関を明らかにするためDEPの測定用機械の開発をメーカーとの協力体制の下で進めている。またディーゼル排気ガス(DE)を直接吸わせる実験も継続している。現時点でアレルゲンとの併用投与で既に病態は発現している。これらの成果は秋の大気環境学会で再び発表されることになっている。

 研究官のひとりは次のように強調する。「ディーゼル車は環境を激しく汚染するものです。環境に負荷を与える生活はやめるべきです。被害を受ける立場に立つなら、DEPが男性の精子の運動量を低下させるという報告もあります。それは子孫の問題にまでかかわってきます。ディーゼル排気ガスをなるべく出さない生活を選択する努力が求められています」と。

 以上は、新茨城新聞の記事を中心にディーゼルエンジン排気ガスと環境汚染との相関をまとめたものである。ここまで、具体的な資料を提示され、そのまま黒い煙を吐き続ける車に乗ることもできない。

 そんなわけで、五台続いた我がディーゼル乗用車の歴史は閉じられ、ガソリン車がやってきたのです。

 蛇足ながら一言付け加えると、自然を愛すると自他共に認める方々が、大型の4輪駆動車(いわゆるRV車)にのって、町中を闊歩され、林道を砂煙を上げ疾走し、砂浜を我が物顔に走り回っている。

 自然を守る、環境を守ると言うことを真剣に考えると、RV全盛の今のブームが不自然に思えてならない。皆さまのお考えをいかがであろうか。

待たれるディーゼルエンジンの排気浄化装置

 同じくつくば市の財団法人日本自動車研究所が開発した、DEPを九割除去する「ディーゼル排気浄化装置」が今、注目されている。

 つくば市苅間の財団法人日本自動車研究所は8年前から三菱、いすず、日産ディーゼル、日野の四つの大手ディーゼルエンジン会社とともにディーゼル排気ガス除去装置の開発を行ってきたが、DEPの排出を90%以上抑えるという画期的な排気浄化装置「ディーゼルパティキュレートフィルター」装置(DPF)を3年前に試作した。

 同装置はマフラー部分に取り付ける。ミカン箱程度の大きさで重量20〜30圈数ミクロンの貫通孔が無数に空いている耐熱性の高いセラミック製(コーディェライト)のフィルターで濾過する。現行の装置の価格は装置自体は250万円、改造費用が200万円程度とかなり高い。

 昨年4月から神奈川県横浜市交通局の市営バスと東京都交通局の都バスがそれぞれ2台ずつに搭載して実験走行させていたが、横浜市では今年度30台分を新たに導入することを決めている。(下記掲載新聞記事参照)

 同研究所須藤英夫主任研究員は浄化装置について、「精度は高く、特徴的な黒煙は全く出ない上に、走行には問題はありません。残念ながらまだ試作段階で、実用に至るまでにはあと2〜3年は最低必要になるのではないでしょうか」と話している。

 燃料費が安価で税金も低い割に馬力があるディーゼル車は運輸業、バスといった商業車に多い。最近ではRV車など一般の乗用車でも一割強がディーゼル車で、さらに増加している状況にある。ディーゼル排気微粒子問題は生活に直接かかわっている。須藤主任研究員は排気浄化装置について、「メンテナンスが重要となる性格の装置です。やはり一般の人たちがディーゼル排気微粒子についてどう考えるかがか重要です」と語っている。



排ガス対策、多角的視点で ディーゼルに肺がんの原因物質
94.05.13 読売朝刊

 ディーゼル排気に含まれる微粒子「DEP」が、ぜんそくばかりでなく肺がんの原因にもなっていることが科学的に裏付けられ、環境庁は健康被害の元凶、DEP対策に本格的に取り組むことになった。(科学部 小出 重幸)

 DEPは、ディーゼル排気微粒子(Diesel Ex‐haust Particles)の略語。

 厚生省の調べによると、19670年に人口十万人当たり10.2人だった国内の肺がんの死亡者は、92年には3倍(32.5人)に急増した。この間、ディーゼル車の台数も240万台(78年)から1050万台(93年)へと、4倍以上に増えている。

 排ガス汚染と健康の研究を続ける岩井和郎・結核研究所顧問は、「両者を直接結びつける証拠はないが、動物実験から試算した結果では、日本人の肺がんの5〜7%はDEPが原因と推計され、首都圏など都市部ではそのリスクは2〜3倍になる」と警告している。

 酸素は、生命エネルギーを支える一方、反応性に富む「活性酸素」の状態では、遺伝子を攻撃する物質(ヒドロキシラジカル)を生み、がん細胞や組織の炎症を作り出す。DEPが大量に作り出す活性酸素が、肺がんの原因と突き止めた国立環境研究所などの研究結果は、この警告を補強する意味を持つ。

 しかし、これまでの排ガス対策行政は、酸性雨の原因にもなる窒素酸化物(NOx)を中心に進められてきた。環境庁は一昨年制定の自動車NOx総量規制法に基づき、総排出量抑制と個々の車両規制の両面で、6年後に9割の地域でNOxの環境基準を達成する計画だ。

 NOxの監視体制が確立している反面、DEPは「浮遊粒子状物質(SPM)」として、ホコリや黄砂といっしょに、十把ひとからげに測定されてきた。このため単独の汚染実態も未解明のまま。

 「健康への影響はDEPの方が深刻」という指摘はあったものの、実証する研究が少なかったことが対策の遅れを招いた。環境庁はようやく今年度から、大都市の汚染実態調査、走行と排出実態の把握、低減目標の設定など、総合的なDEP低減対策に乗り出す。

 一方、中央環境審議会も長期目標として、「99年までにディーゼル排気に含まれるDEP排出量を6割以上削減する」ことを、国に義務づけている。これを受け、メーカー各社はディーゼルエンジンの改良に取り組んでいる。

 しかし、NOx排出量を下げればDEPの排出量が増え、DEP排出量が減ればNOxが増えるという傾向があり、汚染の主役とされるトラック、バスなど、中、大型車エンジンのNOxとDEPを同時に低減する技術は、まだめどが立っていない。国は、DEP排出量が三十分の一以下のガソリン車、あるいは電気自動車など低公害車への転換を進めているが、こうした“対症療法”で事態は解決できるのだろうか。

 「沿道汚染」(光文社)の著者、前田和甫・帝京大医学部教授(公衆衛生学)は、「車社会の利害を、私たち一人ひとりが考え直す時期にきている。マイカーの使い方、流通システムの変革、都市構造まで視野に入れた多角的な取り組みがなければ、解決には近づかない」と指摘する。

 NOx、DEPばかりではない。地球温暖化の原因となる二酸化炭素は、15%余が自動車によって排出される。3月21日に発効した「気候変動枠組み条約」は、世界各国に二酸化炭素の排出削減を義務づけ、地球環境の面からも変革を迫る動きは進んでいる。

 DEP汚染が提起した問題は、もはや医学的な警告や運輸業界の規制という単純な視点では、車社会の矛盾は乗り越えられないことを示している。

横浜市バスに浄化装置 発がん性排気微粒子を9割除去
96.02.07 読売新聞

 自動車のディーゼルエンジンから排出され、発がん性が問題になっているディーゼル排気微粒子(DEP)を90%減らす排気浄化装置「ディーゼル・パティキュレート・フィルター装置」を、横浜市は、来年度から市営バスに搭載することを決めた。

同装置の本格導入は、全国の自治体でも初めて。新年度当初予算案に30台分、1億3500万円を計上する。

 装置はミカン箱程度の大きさで、重さ20〜30キロ。財団法人日本自動車研究所が、1988年から大手ディーゼルエンジンメーカー4社に依頼し、開発を進めてきた。どんな型のバスにでも搭載できる。

 横浜市は、昨年3月から東京都と開発に加わり、装置を搭載したバスを試験的に走らせてきた。同市は、1000台ある市営バスに順次搭載していく。

 DEPは、粒径1ミクロン以下の微粒子で、発がん性物質のベンツピレンやニトロピレンを含み大気汚染の新たな原因とされる。

 同市の担当者は「全国のバス運行事業の手本になればと考えた。需要が増えれば値段も下がり、導入しやすくなる」と期待している。

Last Up Date: 06/10/1996 17:06:26




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

借金大国日本を考える - 住専処理予算で借金膨張の一途

syakkin

住専処理予算で借金膨張の一途

 「財政再建に向けて、展望を持った予算とは言えない」・・・。自社さ連立政権下で成立した本年度予算について、当時編成に当たった大蔵省の篠沢前事務次官はこう言い切り、欠陥を認めた。自社さ政権の経済失政による税収の伸び悩みで、歳入と歳出のギャップである財政赤字が拡大し、当初予算としては7年ぶりに、返済の当てのない赤字国債を史上空前の約12兆円も発行するなど、「国の顔」といわれる予算において、財政の借金体質が鮮明になったからだ。しかも自社き政権は、ただでさえ財源不足の中で、住宅金融専門会社(住専)処理の穴埋めに、赤字国債(6800億円)と建設国債(50億円)を充て、借金を一段と膨らませる無謀な事態に追い込んだ。このため、国債発行の総額は21兆円にも上り、過去最高を記録。本年度末の国債残高は241兆円と、国税収入の五倍近くにも相当する見込みだ。これに、国鉄清算事業団の債務をはじめとする「隠れ借金」44兆円を加え、さらに地方自治体の借金136兆円を合わせると、国全体の借金は、何と421兆円の巨額に達する。

国民一人当たりでは340万円にもなり、国全体が「借金漬け」

 赤字国債を大量に発行すれば、金融市場の民間資金は政府に吸い上げられる。これによって長期金利が上昇し、民間の設備投資や住宅投資が抑制されるため、経済成長や生活向上に副作用をもたらす要因にもなる。なぜ、これほど財政が悪化してしまったのか。バブル経済の崩壊による長期の景気低迷が根っこにあるのは事実だが、こうした状況に対し、何ら有効策を講じてこなかった連立与党の経済矢政が相乗的に重なったことは明らかだ。まさに自社さ政権の「危機先送り」体質が招いた結末といえる。

硬直化したままの公共事業配分

 さらに、何よりも問題なのは、緊迫した財政事情にもかかわらず、政権、行政ともに危機意識が欠如し、財政改革の機運が極めて乏しいことだ。今、求められているのは、時代の変化に応じて、予算の出口である歳出を抜本的に洗い直し、壮大な無駄に切り込んでいく政治の実行力だ。しかし、本年度予算案が閣議決定された昨年12月25日の翌日付の全国紙の社説で「改革の方向が見えない予算案」(読売)、「構造改革に背を向けた政府予算案」(日経)などと批判が集中したことからも分かるように、自社さ政権下では「改革」への道筋が全く描けていない。

 事実、効率的配分が一層求められる公共事業でも、既得権益の維持をもくるむ与党族議員の抵抗の前に、ほとんど見直しは進まず、旧態依然とした事業別、省庁別配分比率くシェアごが続いている。復活折衝を通じて繰り広げられたのは、相も変わらぬ各省庁による予算の「分捕り合戦」だった。公共事業の中身を検証しても、高度経済成長期とほとんど変わらない土木事業中心となり、建設省と農水省が、同じ地域にほぼ並行して同じような道路を造成するなど、全く無駄な重複投資も多い。これに対し、今後の日本経済活性化の先導役となる情報通信、科学技術などへの予算配分はスズメの涙程度なのだ。

 結局、自社さ政権の下では、事業別シェアの変更幅は二年連続して減少し、コンマ以下の変化しかない。「94年度予算では細川政権が『シェアの見直し』を最重要課題として掲げ、わずかながら改善された」(95・12・26付毎日・社説)にもかかわらず、また後退である。自社さ政権が「改革逆行政権」といわれるゆえんがここにある。

 要するに、無駄な財政支出に切り込めないことが、財政危機の要因だ。歳出の見直しは、何よりも行政自身が徹底的なリストラ(事業の再構築)を行う「行政改革」の断行が先決である。特に、新進党が主張する中央省庁の統廃合に大ナタを振う根本的な改革が迫られているが、現連立政権はこれに何ら手を付けようとしていない。

 もはや予算編成の従来的手法は限界にきており、新進党が提唱するように、硬直化した一律シーリング(概算要求基準)方式による抑制手法を廃止し、政策のプライオリティー(優先順位)を明確にし、予算にメリハリをつけることが不可欠だ。

国民負担率も上昇…ツケ回し許されず

 一方、急速に進む高齢化の中で、社会保障の増大は避けられず、財政に対する国民負担は増すばかりだ。国民の税負担に社会保険料などを加えて、国民所得で割った「国民負担率」は、95年度見込みで28.8%、96年度では37.2%と上昇の一途。高齢化がピ一クを迎える2025年には、50%程度に達する可能性が高い。

 そうなれば、サラリーマンの給料の半分が税金と社会保険料に消えていくことになる。財政再建が遅れれば、国庫からの支出が先細りし、それだけ国民の負担が増していくことになるのだ。財政危機は、そのまま未成年や後世代へのツケの先送りを意味する。それだけに、財政の在り方をどう位置付けるか、総合的な検討が迫られている。その場しのぎや問題の先送りは許されず、中長期的な視点に立った構造改革こそ急務だ。

最終更新日:1996/May/22




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

借金大国日本を考える - 地方財政も火の車

syakkin

地方財政も火の車

 財政の借金体質は国家ばかりではない。地方財政も、年々悪化の一途をたどり、国と変わらぬ「火の車」状態にある。

 都道府県をはじめ市区町村の予算については、各自治体が独自に予算編成を行っているが、国でも全地方自治体の一年間の歳入、歳出の見込みを示す地方財政計画を作成している。これには、

地方財源の不足額に対して地方交付税率の検討など必要な措置をとる
地方財政のあるべき姿を示す・・・などの狙いがある。同計画は毎年度、国の予算編成と同時期に策定され、日本の財政全体の姿を明らかにする役割も果たしている。

 1996年度の地方財政計画は、前年度比3.4%増の85五兆2848億円に上り、国家予算をしのぐ。この現象は87年度から始まり、96年度比でも国を13.6%上回る規模に達している。

 国家予算と同様、地方においても歳出と歳入のギャップは相当の開きがあり、財源不足が深刻だ。ここでは特に地方債(公債)に焦点を絞って財政赤字度をチェックしてみよう。

 地方財政計画によると、長引く景気の低迷や産業構造などによる税収の伸び悩みから、96年度の地方の財源不足額は、8兆6200億円が見込まれる。この不足分は国からの地方交付税の増額や地方債などを充てなければならない。このうち、96年度における地方債の発行見込み額は、国の赤字国債に当たる減税補てん債1兆6000億円を含めて12兆9600億円。前年度比で17.7%の伸びだ。歳入に占める地方債発行の割合(地方債依存度)も、15.2%と過去最高値に達し、「地方財政の赤信号」といわれる15%を突破した。

 地方債の元金償還や利払い費用となる公債費も、前年度比15.2%増の8兆8600億円に上る見込み。公債費以外の歳出の伸びが2.1%にとどまっていることからすれば、いかに突出した数字であるかが分かる。

 このため、96年度末には、自治体の普通会計で負担する公営企業債を含む地方債の発行残高は120兆円を超え、さらに交付税特別会計借入金を含めた地方の借入金残高は、136兆円に達する見込みだ。国民一人当たりに換算すると約100万円弱の借金を抱え込んでいる計算になる。この額は同じく96年度末で241兆円に達する国の国債残高に比べれば実額では少ないものの、過去三年間の増加率が50%以上と国債の約25%増を大きく上回っており、悪化速度は国より深刻。このように地方も「危機的な財政状況」に陥っているわけだ。

茨城の県債発行残高:1兆627億円

 具体的に茨城県の予算を見てみると、1兆円あまりの県の予算に対して、県債発行額が1486億円となった。

 これは、予算に対する県債依存高で14.1%に達し、地財計画の15.2%より若干下回っているものの、その伸び率は19.2%と地財計画(13.0%)を大きく上回ってしまった。

 発行残高は、平成8年末の予測で、一般会計8749億円、特別会計が1878億であり、合計で1兆627億円となる。これは、県民一人当たり35万1600円となる計算である。

 茨城県も、急速に借金大県と成りつつあるといえよう。

歳出削減、税収増実行しにくい体質

 地方行政の足腰の弱さを象徴するものに「三割自治」という言葉がある。税収に占める地方税の割合が三割程度であることや、国から地方自治体に委任される事務が七割に上ることからそう呼ばれる。

 地方自治体の行政に必要な財源は、それぞれの地域社会で負担されることが望ましい。しかし、現実には、著しい地域格差が存在する。このため、国は地方交付税や補助金を通して均衡を図ることにしている。言い換えれば、各自治体の財政基盤の強さには関係なく、落ちこぼれが出ないよう国の指導や規制によって航行する「護送船団方式」をとっているのだ。

 地方の財政は、この護送船団方式が今も温存されていることから、自治体は「親離れ」ができにくく、財政運営の責任もあいまいになりがちで、「無駄遣いをしやすい仕組みになっている」という指摘もある。地方交付税や補助金は、国からあてがわれる性質のものであることから、ややもすれば必要以上に支出が膨らみ、歳出削減や税収増への自治体の自主的取り組みがなされにくいからだ。

 たしかに、財政の自主性が高まらなければ、住民に対し、行政サ一ビスと税負担の分かりやすい選択肢を示すこともできなければ、効率的な行政運営も進みにくい。

 事実「公明」地域からの改革推進委員会が4月8日に発表した「地方分権・事実、規制緩和に関する重点項目調査」によると、市町村が望む権限移譲の三位に「地方財政の強化」が挙げられた。地方分権の大前提として、いくら権限を与えられてもそれに見合う財源がないと分権は推進できないとの切実な訴えだ。地方の赤字財政も国民の借金であることに変わりはない。住民生活が魅力的であるためには、その自治体の財政も健全でなければならない。それだけに、交付税や補助金に依存する構造そのものの改革を含め、「右肩上がりの借金体質」に甘んじている地方財政に一刻も早くストップをかけ、健全財政へと転換する思い則った改革が望まれる。

最終更新日:1996/May/22




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

借金大国日本を考える - 旧国鉄の債務が27兆5811億円にも拡大

syakkin

 「土地や株式の売却を進め、何とか国民負担を減らしたい」。亀井運輸相は今年1月の就任会見で、旧国鉄の債務処理について、こう言ってのけた。しかし、そんな運輸相の発言を一気に吹き消すような数字が4月1日に発表された。1987年の国鉄の分割・民営化から十年目を迎え、旧国鉄から国鉄清算事業団が引き継いだ債務が過去最高の27兆5811億円にも膨れ上がったからだ。

旧国鉄の債務が27兆5811億円にも拡大

 この膨大な借金は、88年の閣議決定で、「最終的に国において処理する」とされている。つまり、土地などの売却収入を差し引いた後の借金については、国民が負うことになっている。その土地処分の期限は、89年の閣議で「96年度までに終了する」と決められており、「新たな財源措置」を決めることが目前に追っている。分割・民営化された時点での国鉄債務37兆1000億円のうち、民営化されたJRが背負った分を除く25兆5000億円を清算事業団が引き継いだわけだが、この9年間で、債務総額は減るどころか、逆に2兆1000億円も膨らんでしまった。

 借金返済の主力である土地の処分については、土地市況の悪化から、約9000千ヘクタールの用地のうち約3500へクタールがなお売れ残っており、資産価値も地価下落の影響で既に4兆円を切っているといわれている。株式も、バブル経済崩壊による市場の低迷で、JR東日本株がようやく上場したのが93年のこと。JR西日本株については二年連続して見送られ、売却が思うように進んでいない。

仮に、97年度に土地や株式がすべて売却できたとしても、「20兆円以上の債務が残るのは確実」(運輸省)だ。これがそのまま国民負担になるとすると、一人当たり約16万7000円となり、政府が住宅金融専門会社(住専)の処理に税金投入しようとしている5500円の国民負担と比べて約30倍、二けたも違う。

旧国鉄債務処理には、国民一人約16万7000円

 清算事業団の債務残高が膨らんだのは、旧国鉄の借入金利の支払いに、土地や株式の資産売却収入が追い付かないためだ。年間約1兆3000億円に上る財政投融資金や民間金融機関の金利負担に対し、主な債務償却の資金となる土地売却収入が常に年間9000億円余以下にとどまったため、利子が売却収入を上回っており、借金が雪だるま式に膨らんでいるのだ。

 つまり、債務膨張の最大の要因は、地価頼みの返済計画の甘さにある。土地を売って債務を圧縮するという当初の青写真は、柱専の再建計画と同機に、92年以降には地価下落で既に破たんしていた。にもかかわらず、債務返済計画の再検討を怠り、「問題を常に先送りしてきた政策の『失敗』に根さしている」(4・2付産経新聞)といえる。

 だが、これ以上の先送りは国民負担をますます重くしてしまう。今のところ、処理策として浮上しているのは、償還財源の裏付けがない赤字国債の発行をはじめ、消費税アップ分からの充当や「新幹線利用税」の新設といった増税論などだが、いずれも国民が負担することに変わりはない。さらに、業績好調なJR東日本などJR本州三社に一部負担を求める案も検討されているが、三社も「悪代官がひどい年貢を納めさせるようなもので、許されない」(井手正敬・JR西日本社長)と猛反発しており、難航は必至だ。

このように、『待ったなし』の状況にもかかわらず、政府はいまだに処理策の本格論議を避けている。一刻も早く、「国鉄民営化当時の運輸大臣だった橋本首相は、特に責任を意識」(4・2付読売新聞)して、明確な処方せんを国民の前に示す必要がある。

国の隠れ借金16兆円

 実は、こうした表面化していない国の赤字が、旧国鉄債務以外にも約16兆円もあるのだ。いわゆる「隠れ借金」である。

 隠れ借金は、本来、一般会計で払うべきところを、厚生年金などの特別会計から資金を借り、特例的に支出を先送りしたりする会計上のやり繰りを指す。大蔵省は、こうした小手先の帳じり合わせで、見かけ上の歳出を減らす「粉飾予算」を組み、「財政危機」を先送りしてきたのだ。

 その結果、表面化している国債残高だけでも241兆円(96年度末)に達する見通しだが、「隠れ借金」も合わせた国民の借金は278兆円の巨額に達し、国民一人当たり220万円にも上る途方もない事態を迎えている。

ついに、「隠れ借金」も隠しようがなくなり、自社さ連立政権下で武村前蔵相は「財政危機」を宣言したが、赤字国債の大量発行を安易に決めておきながら敵前逃亡し、肝心の財政再建の展望は一向に示されていない。住専処理への税金投入問題も含め、「借金財政」への流れを一気に加速させた政府・与党の「ツケ回し」体質に、国民の不信は高まる一方だ。

最終更新日:1996/May/22




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

借金大国日本を考える - 裏付けない成長神話が国債累増招く

syakkin

裏付けない成長神話が国債累増招く

 では、わが国はどうして国債という借金の山を累々と重ねてしまったのか。戦後、わが国で初めて赤字国債が発行されたのは65年度の補正予算にさかのぼる。東京オリンピック後の過剰生産不況を受けての税収不足が原因だった。その後は建設国債の発行が続いたものの、実質的マイナス成長に転落し、歳入欠陥に陥った75年度、赤字国債は再発行される。以降、15年間、わが国の財政は赤字国債依存体質を強め、70年代後半から80年代前半に一つのピ一クに達する。75年度に目安として設定した「国債依存度30%未満」も、この時期に簡単に突破してしまう。経済状態が比較的良好だったにもかかわらず赤字国債発行が増え続けたのは、公共事業などに投資すればその分、経済成長は加速するという裏付けのない過信が原因だったといえよう。赤字国債が発行されなかった時期もあるが、これは89年からの消費税導入とバブル経済による税収増のためで、根本的には財政状況は好転していない。

10年後の国債残高は現在の2倍にも

 大蔵省が今年1月、国会に提出した「財政の中期展望」では、今後の歳入不足をすべて赤字国債で賄う場合、名目で年率3.5%の成長が続いても、十年後の2006年度の国債残高は482兆円と96年度に比べ倍増する、という最悪のシナリオを提示している。

 また、2000年度に赤字国債発行数をゼロにしようとすれば、国の一般会計のうち国債費と地方交付税交付金を除く政策的経費を示す「一般歳出」を毎年度5%ずつカットする必要がある。ゼロ目標を2003年度にずらした場合でも、一般歳出を毎年度横ばいにしなければならない。いずれにしても苦しい財政事情には変わらないわけだ。

 「財政健全化への取り組みは、もやは一刻の猶予も許される状況ではない」と大蔵省自ら認めるまでもなく、財政再建への論議は待ったなしだ。しかし、これが単なる増税のための布石であってはならない。

 自社さ政権の相次ぐ経済失策による景気低迷、税収の伸び悩み、さらには大蔵省も重大な行政責任を負うべき住専(住宅金融専門会社)破たんや金融機関の巨額に上る不良債権問題などが重なり、わが国の借金財政は世界各国からも厳しい目を向けられている。

 今こそ各事業の徹底的な洗い直しや、自社さ政権で腰砕け状態にある行政改革や規制緩和の断行を含め、財政構造そのものにメスを入れる取り組みが迫られている。

 1996年度予算案で計上された国債発行額は約21兆円。この数値は、わが国が総額75五兆円の一般会計予算の3割近くを国債に依存する極めて深刻な赤字財政を意味している。

 政府は昨年11月、赤字国債依存体質から脱却した1990年度以来、財政再建の中期目標として掲げてきた「国債依存度」(一般会計の歳入に占める国債の比率ご五%未満)の目標達成を断念した。それもそのはず、この翌月には国債依存度28%の96年度予算案が発表されることになるからだ。

日本の財政は「極めて深刻な事態」

 このため、大蔵省が今年1月に発表した「財政改革を進めるに当たっての基本的考え方」には、これまで明記されていた具体的な目標数値が見当たらない。国の台所を預かる同省も、財政健全化へ「新たな目標とその実現に向けた方策について、幅広い議論を踏まえつつ、さらに検討していく」と記すので精いっぽいで、「極めて深刻な事態に立ち至ったと言わざるを得ない」と、自ら『お手上げ宣言』をしてしまっているほどだ。財政再建は、主要先進各国に共通する大きな政治的課題である。時の政権、ひいては国の行方を左右しかねない重要テーマだからだ。そう遠くない昔、わが国は、財政悪化に苦しむ諸外国と比べ、時として「優等生」的な立場にいたこともある。しかし、もはや大幅な経済成長など望むべくもなく、膨大な借金財政を抱き込んでしまった『ニッポン財政』は、果たして今でもモノがいえる立場にあるのだろうか。

 国債依存度と政府長期債務残高という財政健全度を測る二つの物差しを通して、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの各国と比較対照してみよう。国債依存度は、他国に比べて極めて高い。

 96年度で22%に上る日本の国債依存度はとび抜けて高い。ドイツを除く3カ国の依存度が減少しているのに対して、わが国は91年度から急激に『右上がり』に転換し、増加の一途をたどっているのが特徴的だ。

 わが国の抱える借金は国債ばかりではない。これに政府が複数年度にわたって負っている郵便貯金特別会計や交付税特別会計、国有林野事業特別会計をはじめとした借入金を合わせたものを長期政府債務という。

 この債務は、国内総生産(GDP)の規模と比較し、国民経済にとってどの程度の負担なのかを見ることで、国の財政状態を見極める一つの尺度になっている。

債務残高のGDP比は初の60%台

 96年度予算案に大量な国債発行を計上した結果、わが国の長期政府債務の残高は320兆円を突破する見込みだ。これはGDP比64.6%で、当初予算では初めて60%台を超えた。この数字は巨額の赤字財政に苦しむアメリカを抜き、五カ国の中で最悪になることは間違いない。

 財政悪化が国民生活に及ぼす影響は大きい。借金体質脱却をめぐる各国との対応の違いは、そのまま政治のリーダーシップの有無として語ることもできる。

最終更新日:1996/May/22




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

借金大国日本を考える - 日本の財政は今、かつてない「危機」に直面している。

syakkin

日本の財政は今、かつてない「危機」に直面している。

住宅専門金融会社(住専)の損失処理のために、国民の税金から6850億円を支出することに大きな反対の声が起こったにもかかわらず、政府は小手先の修正だけで、予算案を成立させた。

 しかし、本年度予算案では、返済の裏付けがない赤字国債を過去最大に発行するなど、財政の「借金漬け体質」が一段と鮮明になっっている。国の台所が火の車になれば、経済の基盤を揺るがし、急速に進む超高齢化の中で、国民に重い負担がのしかかってくる。

 ここでは、財政を圧迫する巨額の国債残高(借金)、国際的に見た財政赤字の状況、急務を要する旧国鉄債務の処理、深刻な地方財政の実態、特に茨城県の財政状況、・・・などの観点から、「借金大国・日本」の現状と課題を検証するとともに、財政再建への道筋を皆さんと共に考えていきたい。

借金返済にまた借金・・・日本は、まさに「サラ金」国家

 1996年度の政府予算案が総額75兆1049億円なのに、年度末の国債残高はその3倍を上回る241兆円に達し、日本の財政はパンク寸前である。

 しかし、これを国民一人当たりの生活に置き換えてみると、わが国財政の実態を理解していただくことができるだろう。

 <表−1> 96年度 予算を家計に置き換えてみると
 家計の項目
 国の項目
 一人当たりの金額
 一人家族の家計では
収  入
給  料
税  金
 409,0000円 1,636,000円
パート収入
税外収入
  22,000円   88,000円
借  金
国  債
 167,000円  668,000円
総  収  入
 598,000円 2,392,000円

 家計の項目
 国の項目
 一人当たりの金額
 一人家族の家計では
支  出
保健衛生費
社会補償費
 114,0000円  456,000円
教 育 費
文教・科学振興費
  50,000円  200,000円
修 繕 費
公共事業
  77,000円  308,000円
防犯対策費
防 衛 費
  39,000円  156,000円
故郷への仕送り
地方交付税交付金
 108,000円  432,000円
借金の返済
国 債 費
 130,000円  520,000円
そ の 他
そ の 他
  80,000円  320,000円
 総  支  出
 598,000円 2,392,000円


 <表−1>に示したように、昨年10月の国勢調査速報値の人ロ(1億2556万2504人)で換算すると、国民一人当たりの予算額は約60万円弱。この収入のうち、給料に当たる税収はおよそ41万円で全体の三分の二にすぎない。残りは、若干のパート(税外)収入に、16万7千円の借金(=国債)で賄っているのだ。

支出(歳出)面を見ても、ローン返済(=国債費)が、医療費や生命保健などの保健衛生費(=社会保健)修繕費(=公共事業)、教育費(=文教・科学振興)、故郷への仕送り(=地方交付税交付金)など他の項目に比べ、最も多い13万円に上っている。

国債残高241兆円は国民一人当たり192万円

 何より気になる借金総額(=国債残高)については、およそ192万円に上る。つまり、60万円の収入に対して3倍以上の大赤字を抱える「火の車」状態にあるのだ。

 さらに、この借金(=国債)は、普通に返済すれば着実に減っていく住宅ローンなどと異なり、収入の範囲内で返済できる額を上回り、減る見込みも少ない。このため、わが国の財政は「借金を返すために借金を重ねる『サラ金財政』」と揶揄(やゆ)されても仕方ない危機的状況に陥っていることが一目瞭(りょう)然だ。

 事実、本年度予算では、返すアテもないのに過去最高の21兆円を超す国債を発行し、「火の車」の財政にさらに油を注いでいる。このうち半分強の12兆円を赤字国債が占めている。当初予算の段階から国の財源不足を穴埋めするための赤字国債を発行するのは7年ぶりのことだ。この結果、歳入を借金に頼る度合いを示す国債依存度は28%と、四分の一弱を占めるに至った。

 このまま従来型の財政運営手法を続ければ、国債残高は間違いなく「雪だるま式」に膨らみ、国債の償還や利払いのための国債費の圧迫で政策的経費の余地は急速に狭められていく。

 さらに、累積する国債の最大の問題点は、そのツケを将来の若い世代が負担しなければならないことだ。わが国が超高齢社会へと急スピードで突き進み、ただでさえ国民負担率の上昇が危ぐされる中で、国債発行による後世代へのツケ回しの増大は何としても避けなければならない。

最終更新日:1996/May/22




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。
自己紹介
井手よしひろのプロフィール

茨城県議会議員の
井手よしひろです。
茨城県の県政情報、
地元のローカルな話題を
発信しています。

http://y-ide.com
master@y-ide.com
ブログ内記事検索
茨城県のニュース
公明新聞ニュース
カテゴリ別目次
月別記事一覧
最新コメント
お断り
このホームページ(Blog)へのリンクは自由に行ってください。
文章の引用等も自由です。
ただし、リンクや引用等によって生じた不利益に対して、管理者はその責任を負いかねますので、ご容赦ください。
スマホ・携帯QRコード
QRコード
総訪問者数

現在の閲覧者数: