消費税率引き上げ反対キャンペーン - 平成9年4月より消費税率引き上げか?

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来年4月 消費税率5%へ!?



 消費税率の見直し作業が始まっている。現行の消費税3%は、94年秋に国会において議決され、来年4月から5%にアップすることになっている。しかし、福祉財源の確保や、景気の動向、行政改革の進行状況によって、「税率を見直す必要が生じた場合、半年前の九月末までに結論を出す」との見直し規定が付則に盛られた。

 そこで政府税調は九月末までに結論を出す方向で、4月23日から審議を開始した。

 23日の税調総会後の会見で、加藤会長は「5%への引き上げを確実に実施すべきとの意見が体制を占めた」と述べ、消費税5%を既定路線化しようとしている。

 更に、昨年一昨年と先行して実施されていた、特別減税(所得税と住民税)も、打ち切られる公算が大きくなってきた。

 大蔵省は財源難の折り、特別減税継続の場合は、消費税5%はなく6%税率を持ち出してくる可能性もある。もともと、見直し規定をつくったとき、大蔵省は「6%への見直し」を多分に意識していた。実際、当時の武村蔵相と久保現蔵相(当時、社会党書記長)が、そうした発言をしている。

 しかし、5%でも景気や生活に大変なしわ奇せを与えるのに、6%はとんでもない数字である。

 だいいち、住宅金融尊門会社(住専)処理で国民に筋の通らない税金負担を押しつけようとしている政府・大蔵省に、消費税率の値上げを言う資格はないとの厳しい声を多い。

 さらに、見直しに当たっては、政府・与党が「高齢社会への対応」と「行財政改革」に目鼻をつけることになっていた。

 ところが、この二つとも全くといってよいほど、手がつけられていない。公的介護保険の実施が先送りになったことで、将来の社会福祉の財源は見通せなくなった。規制緩和やりストラを通じた行政改革にしても、自社さきがけの野合政権が炎いして大きく出遅れている。

 何のための、見直し期間2年間であったのだろうか。

 確かに日本の財政は危機に瀕している(別項で日本の財政状況は詳しく述べる)。消費税率の引き上げの論議は、ただ財政が苦しいという論理だけで済ませるわけにはいかない。政府が何をしたのか、何をやってこなかったかを、充分に総括しなくてはならいと主張したい。

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消費税値上げへささやかな抵抗


 ところで、消費税の実施の時と同じように、税率見直し時期に、消費税税率変更の駆け込み需要が発生することに注目したい。経過措置が改正消費税法と政令で決められており、その経過措置とは「9月30日までに締結された請負契約や、一定の貸付契約であれば、来年4月以降に資産の譲渡、貸付、労役提供が行われた場合」現行の3%でよい、というのである。

 具体的には、注文建築のように、契約から、引き渡しまでの間に一定の期間が必要な取引の場合は、9月末までに契約を済ませれば、引き渡しが4月を過ぎても、現行の消費税率3%が適用されるというわけだ。住宅のような高額商品では、現行3%と5%の差、2%は無視できない金額である。

こうした動きに合わせて、住宅メーカーも「消費税駆け込み需要」をねらった販売戦略を展開している。

ミサワホームでは、低価格商品の発表と合わせて、来春以降の購入を希望する顧客に予約販売を行おうとしている。住友林業は、十月に販売予定だった予約販売システムを急遽この夏に前倒しで販売することにした。

残念ながら、3%据え置きが事実上困難な状況では、庶民のささやかな抵抗と言えないこともない。




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アメリカ連邦最高裁判所判例に見る「信教の自由」と「政教分離」

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アメリカ連邦最高裁判所判例に見る「信教の自由」と「政教分離」
マックダニエル判決(1978年)の考察
創価大学助教授:塩津 徹

塩津 徹:1948年静岡県生まれ。早稲田大学法学部、同大学大学院政治学研究科単位取得。
創価大学比較文化研究所助教授。比較憲法専攻。著書に『信教の自由を考える』。

◇テネシー州州法による聖職者の議員資格の否定は、連邦憲法の「信教の自由」「国教禁止条項」「平等保障」に反する。

 宗教者の政治活動が日本国憲法の「政教分離原則」に反するものでないことは、憲法解釈上、憲法制定時の国務大臣の発言、歴代内閣法制局長官の見解、そして憲法学の通説からも明白である。にもかかわらず、一部与党議員の中からは憲法解釈の変更と宗教者の政治活動を制限する法律制定を求める声も聞かれる。

 民主政治の基本は、憲法の枠の中で政策を議論し、コンセンサス(合意)を形成することであって、議員の数を頼りに憲法解釈を強引に曲げ、違憲の恐れが極めて強い法律を制定することなど許されないのである。

 ところで、宗教者の政治活動を制限する見解には、「信教の自由」「政教分離原則」についての誤った理解があることはいうまでもないが、ここでは、改めてそのことをアメリカ憲法の事例から検証してみる。特に、アメリカ連邦最高裁の判例理論は、わが国において、学説のみならす、裁判所の判断にも多大な影響を与えているからである。

 もっともアメリカ連邦最高裁でも直接、宗教者の政治活動の憲法上の当否が争われた事例はない。しかし、一九七ハ年の「マックダニエル事件」判決は、事件自体は聖職者の議員資格という限定された問題であったが、宗教者の政治活動の問題にも言及しており、その点が関心を持たれるゆえんである。なかでも、本事件におけるテネシー州最高裁と連邦最高裁の結論および論理構成の相違に注目してみたい。

 事件は、テネシー州議会が聖職者の議員資格を否定する州法を制定したことが発端となった。そこで、一人の立候補者が州法を根拠に、「競争相手が聖職者であって議員資格がない」との確認を裁判所に求めたのである。

 さて、テネシー州最高裁は、州法による聖職者の議員資格の否定は、連邦憲法の「信教の自由」、「国教禁止条項(わが国の政教分離原則)」に反しないと判示した。

 主な理由は、第一に、たとえ聖職者の議員資格を否定しても、それは宗教的「信念」ではなく宗教的「行為」に負担を課すものであって、その意味では「信教の自由」を侵害しない。第二に、聖職者は公職に選任されれば、必ず自らの宗派の利益、他宗派の不利益の促進のために行動する。したがって、それを抑制することが、「国教禁止条項」の目的である、としたのである。

 しかし、連邦最高裁は、それとは逆に、先の州法は連邦憲法の「信教の自由」、「国教禁止条項」、そして「平等保障」に反すると、テネシー州最高裁の判決を破棄(はき)、差し戻しを判示した。

 まず、運邦最高裁の法廷意見は、テネシー州最高裁の第一の理由に対して、一般市民が有する公職就任の資格を、聖識者を理由に否定することは、聖識者に聖職か公職かの選択を迫ることになる。そして、信念から発する行為であれば、宗教的行為を制限すること自体、宗教的信念を制限することになりうると「信念」と「行為」の一斉論を批判する。以上のことから聖職者の公職就任禁止は「信教の自由」を侵害するとしたのである。

 なお、この二分論の否定にあたって、一九七二年の「ヨーダ事件」の連邦最高裁判決が引用されているが、事件は、ある宗派に属する親が、義務教育年限に満たないこどもの通学を宗教的理由から拒否し、州がそれに対して親に罰金を科したことに始まった。

 連邦最高裁は、州が宗教的信念を貫けば罰金、罰金を免れるためには宗教的信念を捨てるという選択をこの信者に迫ることは「信教の自由」の侵害になると判示した。重要なのはここで示された法理論である。もし、宗教的信念に基づいた行為を制限する必要があるとしたら、それを正当化しうる「やむにやまれぬ利益」があることを州が証明しなければならないとして、州に挙証(きょしょう)責任を厳格に課したことである。

 次に、聖職者が公職につけば宗派的利益のために行動するというテネシー州最高裁の第二の論点について、法廷意見は聖職者を聖職者ではない人と比較しても、公務において中立であるべきという公職就任時の宣誓、そして「国教禁止条項」が求めることに注意を払わなかったことはないと判断。つまり、聖職者が宗派の利益のために行動するという確かな事実も証明されていない、としているのである。

◇ブレナン裁判官の同意意見

宗教者の活動を宗教者以外の活動と差別をつけてはいけない。
「国教禁止条項(政教分離原則)」の目的は政府の宗教への干渉を防ぐこと。
国家による規制を安易に行うのではなく、社会での自由な論議、判断をゆだねるべき

 

 そして、次にあげる本判例のブレナン裁判官の同意意見は、結論は法廷意見と同じであるが、論理構成が異なる。本件を聖職者の公職就任禁止の問題に限定せず、宗教者の政治活動の問題へと広げているのであって、貴重な示唆を含んでいるのである。

 ブレナン裁判官の意見の論点は、第一に宗教者の活動を、宗教者以外の活動と差別してはならないということである。一九七〇年の「ウォルツ事件」で連邦最高裁が、教会は他の世俗団体、私人と同様な権利を有するとしたことを引用し、宗教者の議論、結社、政治参加について、宗教者以外の一般の人々よりも低い扱いをすることは許されないと、差別の禁止を述べている。

 そして、第二には、そもそも「国教禁止条項」の目的は、政府の宗教への干渉を防ぐことであって、その逆に、宗教者が公的な生活に関(かか)わることを抑制することではないと明言する。むしろ、宗教者が公的な生活に関わってきた良さ例として、教会や宗教団・体が奴隷制、賭博、戦争、禁酒の問題に政治的影響力を行使してきたことをあげ、そのような影響力の行使を疑い、弊害(へいがい)であるとすることは「信教の自由」「表現の自由」を侵害するとしたのである。

 第三には、テネシー州最高裁のいう宗派的利益の問題への対応である。ブレナン裁判官は、もし宗派的利益を政治過程に反映させようとする「宗教的熱狂者」がいたとしても、国家、の規制を安易に行うのではなく、とりあえずは彼らの思想を「思想の自由市場」、つまり社会の中での自由な議論、判断に妻(ゆだ)ねるべきであるとする。

 そこで、「宗教的熱狂者」の主張を認めたくないならば、選挙において投票しなければよいという。ここには、宗教だけではなく様々な思想についての判断は、「表現の自由し、取捨選択の機会を保証し、国家はできる限り干渉しないというアメリカのリベラリスム(自由主義)の伝統が見てとれる。

 以上、「マックダニエル事件」での連邦最高裁の法廷意見、ブレナン裁判官の同意意見の要点を見てきたが、次にわが国の与党の論理と照応させながら、改めて連邦最高裁判決の意義を再確認しておきたい。

 それは、第一に「信教の自由」の最大限の尊重である。テネシー州最高裁が宗教を単純に「信念」と「行為」に二分して、信念という内心に関わる面は制限が許されないが、行為という他者と関わる面は公益のために制限が許されるとしたことは危険な論理である。

 なぜなら、このような二分論は、宗教は内心の問題のみに専念すべきであり、政治に関わるなどの行為は制限を受けて当然という論理に容易に結びつきやすいからである。とりわけ、わが国のように、宗教は精神的なものであるとか、来世の問題であって、社会の現実に関わるものではないとの宗教観が根強い社会においてはそうである。

 もちろん、宗教者がそのような教義を持つことは自由であるが、ただし、国家が権力によってそれを強制することは許されない。なぜなら、宗教の中には宗教的信念に基づいて社会変革を志向する宗教も存在し、これも等しく憲法の保障するところである。

 そして、「信教の自由」は、内心のみならず、社会に関わる「表現の自由」「結社の自由」も含まれとするのが、わが国およびアメリカの憲法学の常識であるからである。

 連邦最高裁もそれゆえに、「国教禁止条項」を理由に「信教の自由」を制限する必要がある場合も、州(国家)に人権を制限せざるを得ない「やむにやまれぬ利益」の証明を課すというように、きわめて厳格に限定する一方で、「信教の自由」を最大限に尊重していることに注目したい。

◇本末転倒した一部自民党議員の俗見・・・合理的根拠・学問的常識の欠如

 ところが、わが国の場合は、一部与党議員の議論はそれとは対照的である。要するに、「政教分離原則」を国家の宗教に対する中立性という学問的常識によらず、もっぱら宗教と政治の相互不干渉という俗見(ぞっけん)による解釈で大上段(だいじょうたん)に構えている。

 その一方で、宗教者の政治活動という「信教の自由」に含まれることがらに対しては、何ら合理的根拠も、つまり「やむにやまれぬ利益」の証明もせずに安易に制限しようとしているのである。

 本来、「信教の自由」と「政教分離原則」の関係は「目的」と「手段」の関係にあることを考えれば、「信教の自由」は最大限に尊重されなければならず、その点、一部与党議員の議論は本末転倒(ほんまつてんとう)であるといわざるをえない。

 第二に、宗教者に対する「平等」の扱いである。連邦最高裁の判決では、宗教者だけが特定の利益のために公権力を行使するという偏見(へんけん)は否定され、また宗教者だけを議論、結社、政治活動などの面で差別することも批判されている。

 言いかえれば、なぜそのような差別をするのか根拠かないということである。ハーバード大学のトライブ教授も指摘しているように、マルクス主義者、環境保護を主張する人々は、宗教と同じく思想を掲げているのに政治活動の制限を受けず、なぜ宗教者だけが政治活動の制限をされるのか、合理的な理由を見いだせないのである。

 そして、わが国の場合は、それ以上に諸思想と比較して、民衆の生活の指針となってきた宗教を一段と低く見る風潮が、これに拍車をかけているとしか思えない。また、永らく宗教を政治支配の道具としてきた歴史を背景に、政治家の中には宗教への侮蔑(ぶべつ)観さえある。いずれにせよ、宗教者だけの政治活動を制限することは、宗教に対する不当な差別であって、憲法の平等保障に反する。

 第三に、市民の自由な意見表明の保障である。ブレナン裁判宮の「思想の自由市場」のように、思想は市民の自由な選択にゆだね、たとえ思想が政治的行為となって表現される場合も、投票にゆだねるべきである。

 ところが、わが国の場合は、選挙で負けた腹いせとばかりに、法律による政治活動の制限という権力的手段をとろうとすることに大きな相違がある。与党の中には、こともあろうに権力を誇示して、言うことを聞かない相手に制裁をちらつかせる議員もいるが、あくまでも言論と選挙によって政党の優劣を争うべきであることは当然である。

 また、この点、社民党(旧社会党)の行動にも不可解なものを感じる。旧社会党の有力支持団体である公務員の労働組合は、国家公務員法、人事院規則等で、政治活動を大幅に制限されている。多くの憲法学者は人権保障の観点から、公務員の政治活動に対する包括的な制限は合理的な根拠を欠くと批判し、社民党も学界の指摘を頼りにその不当性を声高(こわたか)に主張していたはずである。

 ところが、政権政党になって、こんどは政治活動の自由を制限する側に回ってしまうようでは、かつての主張は所詮、党利であったのかという疑問がもたれよう。

 民主主義は、初めから市民の意思を「べからず」で制限することではなく、宗教等の様々な思想、社会的立場にある人々の自由な意見表明、及び平等な政治参加を保障されてこそ、多様性と活性化がもたらされるのである。

 わが国の場合は、ともすると権力的規制が優先され、市民的自由がないがしろにされる傾向があるが、いずれにせよ、わが国だけでなくアメリカの例を見ても、宗教者の政治活動の間題については、「信教の自由」、そして「表現の自由」「結社の自由」という人権保障を基本に考えるべきであって、党利党略で論ずべきことからでないことは明らかなのである。

憲法20条の解釈に関する私見

Last Up Date: 05/24/1996 11:17:23




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ディーゼルエンジン排気ガスと環境を考える

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ディーゼル車と環境保護を考える

car 私は、昨年9月までディーゼルエンジンの乗用車に乗っていました。少々音が大きいのを我慢すれば、燃費は抜群、力もあり、年に3万キロは走る私にとって、欠かせない車でした。

 その我が愛車が、調子を壊し、14万キロの寿命を果たしたとき、妻が思わぬ提案をしました。

 「環境を守るためにガソリン車にしましょう」と、

 やりくり上手の妻の言葉とは思えぬ意外な言葉でした。妻は、雑誌でディーゼルエンジンの排気ガスが、環境に大きな影響を与えていると言い出したのです。

 現在、大気汚染の主要な原因物質とされているのは窒素酸化物(NOX)と浮遊粒子状物質(SPM)の二種類である。特にSPMの一種でディーゼル車の排気ガス中に含まれる微粒子(DEP)は、発ガン性やアレルギー性鼻炎の原因物質であることが確認されているという。(下記に掲載した新聞記事参照)

 更に昨年11月に発表された、つくば市の環境庁国立環境研究所大気影響評価研究チーム(代表・嵯恋井勝総合研究官)の、「DEPが動物実験でぜんそくの一因となる」とする一連の研究成果は、医学界に大きな反響を呼んだ。

 DEPとはディーゼルエンジンの不完全燃焼で生じる黒煙に含まれる浮遊粒子状物質のひとつ。ディーゼルガソリン車の黒煙の量はガソリン車の30〜100倍に及ぶ。

 排気ガスはガス状成分と粒子状成分に分類され、ガス成分としては窒素酸化物、硫黄酸化物があり、DEPは粒子成分で直径2ミクロン以下の極微粒子を指す。

 ガス成分と異なり粒子は肺細胸内へ長い時間を掛け徐々に沈着するため、慢性疾恵、特に肺の発がん作用が指摘されている。

 財団法人結核予防会結核研究所の調べでは、ディーゼル機関車運転手の退職後の肺がん発生率は一般の1〜4倍に達するという。

 大気汚染の主因はディーゼル排気ガスと考えられ、都市部の「かすみ」の正体でもある。DEPの中にはさらに2000種の化学物質が含まれる。DEPは都市部でのSPMのうち圧倒的な比重を占めている。

 平成7年の11月、国立環境研究所大気影響評価チームは、ディーゼル排気微粒子が人間のぜんそくの原因の一つであることをマウスで明らかにした実験結果を発表した。

 実験では、通常の生活で吸入する程度の排気ガスから出るDEPの直接投与をマウスに行い、さらにアレルギーを起こす物質(抗原)を同時に投与した。すると、少量短期間で、血管透過性の昂進、粘液の過剰分泌、気管支粘膜下の炎症、気道過敏性の昂進といった慢性の気管支ぜんそくの基本的な病態全てが顕著に現れた。

これまで、有害な大気汚染物質を実験的に研究し因果関係を証明したものはなかった。ぜんそくがDEPにより発現される相関が明らかにされたとして大きな関心を呼んだ。

 同研先チームでは「人間がハウスダストなどと一緒にDEPを吸うと喘息の病態は確実に起こる。逆にいうと空気中にDEPがなければ、喘息はおきないのではないか」と指摘する。

 研究は今も各分野から高い関心を集めている。問い合わせ相次ぎ、一般の人からは「もっと詳しく知りたい」、あるいは「数年前に幹線道路沿いに引っ越した。しばらくしてから咳などぜんそく症状が現れて困っている」と相談を持ち込まれるといったケースが多い。

 また、住民がせんそくに陥ったのは幹線道路からの自動車排気ガスによるものとして、国と首都高速道路公団を相手に損害賠償を求めている「川崎公害訴訟」(原告128人)控訴審で、同チームの総合研究官が原告側の証人として出廷、証拠として因果関係の科学的根拠となる証言を提出した。この裁判で因果関係が認められるならば、今後の自動車公害への司法判断に大きな影響を与えることになる、というのが原告側弁護団の見方だ。

 同チームは今後、人体の健康に及ぼすリスク評価を疫学的な調査を踏まえながら行っていくという。「DEP=ぜんそく」の相関を明らかにするためDEPの測定用機械の開発をメーカーとの協力体制の下で進めている。またディーゼル排気ガス(DE)を直接吸わせる実験も継続している。現時点でアレルゲンとの併用投与で既に病態は発現している。これらの成果は秋の大気環境学会で再び発表されることになっている。

 研究官のひとりは次のように強調する。「ディーゼル車は環境を激しく汚染するものです。環境に負荷を与える生活はやめるべきです。被害を受ける立場に立つなら、DEPが男性の精子の運動量を低下させるという報告もあります。それは子孫の問題にまでかかわってきます。ディーゼル排気ガスをなるべく出さない生活を選択する努力が求められています」と。

 以上は、新茨城新聞の記事を中心にディーゼルエンジン排気ガスと環境汚染との相関をまとめたものである。ここまで、具体的な資料を提示され、そのまま黒い煙を吐き続ける車に乗ることもできない。

 そんなわけで、五台続いた我がディーゼル乗用車の歴史は閉じられ、ガソリン車がやってきたのです。

 蛇足ながら一言付け加えると、自然を愛すると自他共に認める方々が、大型の4輪駆動車(いわゆるRV車)にのって、町中を闊歩され、林道を砂煙を上げ疾走し、砂浜を我が物顔に走り回っている。

 自然を守る、環境を守ると言うことを真剣に考えると、RV全盛の今のブームが不自然に思えてならない。皆さまのお考えをいかがであろうか。

待たれるディーゼルエンジンの排気浄化装置

 同じくつくば市の財団法人日本自動車研究所が開発した、DEPを九割除去する「ディーゼル排気浄化装置」が今、注目されている。

 つくば市苅間の財団法人日本自動車研究所は8年前から三菱、いすず、日産ディーゼル、日野の四つの大手ディーゼルエンジン会社とともにディーゼル排気ガス除去装置の開発を行ってきたが、DEPの排出を90%以上抑えるという画期的な排気浄化装置「ディーゼルパティキュレートフィルター」装置(DPF)を3年前に試作した。

 同装置はマフラー部分に取り付ける。ミカン箱程度の大きさで重量20〜30圈数ミクロンの貫通孔が無数に空いている耐熱性の高いセラミック製(コーディェライト)のフィルターで濾過する。現行の装置の価格は装置自体は250万円、改造費用が200万円程度とかなり高い。

 昨年4月から神奈川県横浜市交通局の市営バスと東京都交通局の都バスがそれぞれ2台ずつに搭載して実験走行させていたが、横浜市では今年度30台分を新たに導入することを決めている。(下記掲載新聞記事参照)

 同研究所須藤英夫主任研究員は浄化装置について、「精度は高く、特徴的な黒煙は全く出ない上に、走行には問題はありません。残念ながらまだ試作段階で、実用に至るまでにはあと2〜3年は最低必要になるのではないでしょうか」と話している。

 燃料費が安価で税金も低い割に馬力があるディーゼル車は運輸業、バスといった商業車に多い。最近ではRV車など一般の乗用車でも一割強がディーゼル車で、さらに増加している状況にある。ディーゼル排気微粒子問題は生活に直接かかわっている。須藤主任研究員は排気浄化装置について、「メンテナンスが重要となる性格の装置です。やはり一般の人たちがディーゼル排気微粒子についてどう考えるかがか重要です」と語っている。



排ガス対策、多角的視点で ディーゼルに肺がんの原因物質
94.05.13 読売朝刊

 ディーゼル排気に含まれる微粒子「DEP」が、ぜんそくばかりでなく肺がんの原因にもなっていることが科学的に裏付けられ、環境庁は健康被害の元凶、DEP対策に本格的に取り組むことになった。(科学部 小出 重幸)

 DEPは、ディーゼル排気微粒子(Diesel Ex‐haust Particles)の略語。

 厚生省の調べによると、19670年に人口十万人当たり10.2人だった国内の肺がんの死亡者は、92年には3倍(32.5人)に急増した。この間、ディーゼル車の台数も240万台(78年)から1050万台(93年)へと、4倍以上に増えている。

 排ガス汚染と健康の研究を続ける岩井和郎・結核研究所顧問は、「両者を直接結びつける証拠はないが、動物実験から試算した結果では、日本人の肺がんの5〜7%はDEPが原因と推計され、首都圏など都市部ではそのリスクは2〜3倍になる」と警告している。

 酸素は、生命エネルギーを支える一方、反応性に富む「活性酸素」の状態では、遺伝子を攻撃する物質(ヒドロキシラジカル)を生み、がん細胞や組織の炎症を作り出す。DEPが大量に作り出す活性酸素が、肺がんの原因と突き止めた国立環境研究所などの研究結果は、この警告を補強する意味を持つ。

 しかし、これまでの排ガス対策行政は、酸性雨の原因にもなる窒素酸化物(NOx)を中心に進められてきた。環境庁は一昨年制定の自動車NOx総量規制法に基づき、総排出量抑制と個々の車両規制の両面で、6年後に9割の地域でNOxの環境基準を達成する計画だ。

 NOxの監視体制が確立している反面、DEPは「浮遊粒子状物質(SPM)」として、ホコリや黄砂といっしょに、十把ひとからげに測定されてきた。このため単独の汚染実態も未解明のまま。

 「健康への影響はDEPの方が深刻」という指摘はあったものの、実証する研究が少なかったことが対策の遅れを招いた。環境庁はようやく今年度から、大都市の汚染実態調査、走行と排出実態の把握、低減目標の設定など、総合的なDEP低減対策に乗り出す。

 一方、中央環境審議会も長期目標として、「99年までにディーゼル排気に含まれるDEP排出量を6割以上削減する」ことを、国に義務づけている。これを受け、メーカー各社はディーゼルエンジンの改良に取り組んでいる。

 しかし、NOx排出量を下げればDEPの排出量が増え、DEP排出量が減ればNOxが増えるという傾向があり、汚染の主役とされるトラック、バスなど、中、大型車エンジンのNOxとDEPを同時に低減する技術は、まだめどが立っていない。国は、DEP排出量が三十分の一以下のガソリン車、あるいは電気自動車など低公害車への転換を進めているが、こうした“対症療法”で事態は解決できるのだろうか。

 「沿道汚染」(光文社)の著者、前田和甫・帝京大医学部教授(公衆衛生学)は、「車社会の利害を、私たち一人ひとりが考え直す時期にきている。マイカーの使い方、流通システムの変革、都市構造まで視野に入れた多角的な取り組みがなければ、解決には近づかない」と指摘する。

 NOx、DEPばかりではない。地球温暖化の原因となる二酸化炭素は、15%余が自動車によって排出される。3月21日に発効した「気候変動枠組み条約」は、世界各国に二酸化炭素の排出削減を義務づけ、地球環境の面からも変革を迫る動きは進んでいる。

 DEP汚染が提起した問題は、もはや医学的な警告や運輸業界の規制という単純な視点では、車社会の矛盾は乗り越えられないことを示している。

横浜市バスに浄化装置 発がん性排気微粒子を9割除去
96.02.07 読売新聞

 自動車のディーゼルエンジンから排出され、発がん性が問題になっているディーゼル排気微粒子(DEP)を90%減らす排気浄化装置「ディーゼル・パティキュレート・フィルター装置」を、横浜市は、来年度から市営バスに搭載することを決めた。

同装置の本格導入は、全国の自治体でも初めて。新年度当初予算案に30台分、1億3500万円を計上する。

 装置はミカン箱程度の大きさで、重さ20〜30キロ。財団法人日本自動車研究所が、1988年から大手ディーゼルエンジンメーカー4社に依頼し、開発を進めてきた。どんな型のバスにでも搭載できる。

 横浜市は、昨年3月から東京都と開発に加わり、装置を搭載したバスを試験的に走らせてきた。同市は、1000台ある市営バスに順次搭載していく。

 DEPは、粒径1ミクロン以下の微粒子で、発がん性物質のベンツピレンやニトロピレンを含み大気汚染の新たな原因とされる。

 同市の担当者は「全国のバス運行事業の手本になればと考えた。需要が増えれば値段も下がり、導入しやすくなる」と期待している。

Last Up Date: 06/10/1996 17:06:26




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借金大国日本を考える - 住専処理予算で借金膨張の一途

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住専処理予算で借金膨張の一途

 「財政再建に向けて、展望を持った予算とは言えない」・・・。自社さ連立政権下で成立した本年度予算について、当時編成に当たった大蔵省の篠沢前事務次官はこう言い切り、欠陥を認めた。自社さ政権の経済失政による税収の伸び悩みで、歳入と歳出のギャップである財政赤字が拡大し、当初予算としては7年ぶりに、返済の当てのない赤字国債を史上空前の約12兆円も発行するなど、「国の顔」といわれる予算において、財政の借金体質が鮮明になったからだ。しかも自社き政権は、ただでさえ財源不足の中で、住宅金融専門会社(住専)処理の穴埋めに、赤字国債(6800億円)と建設国債(50億円)を充て、借金を一段と膨らませる無謀な事態に追い込んだ。このため、国債発行の総額は21兆円にも上り、過去最高を記録。本年度末の国債残高は241兆円と、国税収入の五倍近くにも相当する見込みだ。これに、国鉄清算事業団の債務をはじめとする「隠れ借金」44兆円を加え、さらに地方自治体の借金136兆円を合わせると、国全体の借金は、何と421兆円の巨額に達する。

国民一人当たりでは340万円にもなり、国全体が「借金漬け」

 赤字国債を大量に発行すれば、金融市場の民間資金は政府に吸い上げられる。これによって長期金利が上昇し、民間の設備投資や住宅投資が抑制されるため、経済成長や生活向上に副作用をもたらす要因にもなる。なぜ、これほど財政が悪化してしまったのか。バブル経済の崩壊による長期の景気低迷が根っこにあるのは事実だが、こうした状況に対し、何ら有効策を講じてこなかった連立与党の経済矢政が相乗的に重なったことは明らかだ。まさに自社さ政権の「危機先送り」体質が招いた結末といえる。

硬直化したままの公共事業配分

 さらに、何よりも問題なのは、緊迫した財政事情にもかかわらず、政権、行政ともに危機意識が欠如し、財政改革の機運が極めて乏しいことだ。今、求められているのは、時代の変化に応じて、予算の出口である歳出を抜本的に洗い直し、壮大な無駄に切り込んでいく政治の実行力だ。しかし、本年度予算案が閣議決定された昨年12月25日の翌日付の全国紙の社説で「改革の方向が見えない予算案」(読売)、「構造改革に背を向けた政府予算案」(日経)などと批判が集中したことからも分かるように、自社さ政権下では「改革」への道筋が全く描けていない。

 事実、効率的配分が一層求められる公共事業でも、既得権益の維持をもくるむ与党族議員の抵抗の前に、ほとんど見直しは進まず、旧態依然とした事業別、省庁別配分比率くシェアごが続いている。復活折衝を通じて繰り広げられたのは、相も変わらぬ各省庁による予算の「分捕り合戦」だった。公共事業の中身を検証しても、高度経済成長期とほとんど変わらない土木事業中心となり、建設省と農水省が、同じ地域にほぼ並行して同じような道路を造成するなど、全く無駄な重複投資も多い。これに対し、今後の日本経済活性化の先導役となる情報通信、科学技術などへの予算配分はスズメの涙程度なのだ。

 結局、自社さ政権の下では、事業別シェアの変更幅は二年連続して減少し、コンマ以下の変化しかない。「94年度予算では細川政権が『シェアの見直し』を最重要課題として掲げ、わずかながら改善された」(95・12・26付毎日・社説)にもかかわらず、また後退である。自社さ政権が「改革逆行政権」といわれるゆえんがここにある。

 要するに、無駄な財政支出に切り込めないことが、財政危機の要因だ。歳出の見直しは、何よりも行政自身が徹底的なリストラ(事業の再構築)を行う「行政改革」の断行が先決である。特に、新進党が主張する中央省庁の統廃合に大ナタを振う根本的な改革が迫られているが、現連立政権はこれに何ら手を付けようとしていない。

 もはや予算編成の従来的手法は限界にきており、新進党が提唱するように、硬直化した一律シーリング(概算要求基準)方式による抑制手法を廃止し、政策のプライオリティー(優先順位)を明確にし、予算にメリハリをつけることが不可欠だ。

国民負担率も上昇…ツケ回し許されず

 一方、急速に進む高齢化の中で、社会保障の増大は避けられず、財政に対する国民負担は増すばかりだ。国民の税負担に社会保険料などを加えて、国民所得で割った「国民負担率」は、95年度見込みで28.8%、96年度では37.2%と上昇の一途。高齢化がピ一クを迎える2025年には、50%程度に達する可能性が高い。

 そうなれば、サラリーマンの給料の半分が税金と社会保険料に消えていくことになる。財政再建が遅れれば、国庫からの支出が先細りし、それだけ国民の負担が増していくことになるのだ。財政危機は、そのまま未成年や後世代へのツケの先送りを意味する。それだけに、財政の在り方をどう位置付けるか、総合的な検討が迫られている。その場しのぎや問題の先送りは許されず、中長期的な視点に立った構造改革こそ急務だ。

最終更新日:1996/May/22




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借金大国日本を考える - 地方財政も火の車

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地方財政も火の車

 財政の借金体質は国家ばかりではない。地方財政も、年々悪化の一途をたどり、国と変わらぬ「火の車」状態にある。

 都道府県をはじめ市区町村の予算については、各自治体が独自に予算編成を行っているが、国でも全地方自治体の一年間の歳入、歳出の見込みを示す地方財政計画を作成している。これには、

地方財源の不足額に対して地方交付税率の検討など必要な措置をとる
地方財政のあるべき姿を示す・・・などの狙いがある。同計画は毎年度、国の予算編成と同時期に策定され、日本の財政全体の姿を明らかにする役割も果たしている。

 1996年度の地方財政計画は、前年度比3.4%増の85五兆2848億円に上り、国家予算をしのぐ。この現象は87年度から始まり、96年度比でも国を13.6%上回る規模に達している。

 国家予算と同様、地方においても歳出と歳入のギャップは相当の開きがあり、財源不足が深刻だ。ここでは特に地方債(公債)に焦点を絞って財政赤字度をチェックしてみよう。

 地方財政計画によると、長引く景気の低迷や産業構造などによる税収の伸び悩みから、96年度の地方の財源不足額は、8兆6200億円が見込まれる。この不足分は国からの地方交付税の増額や地方債などを充てなければならない。このうち、96年度における地方債の発行見込み額は、国の赤字国債に当たる減税補てん債1兆6000億円を含めて12兆9600億円。前年度比で17.7%の伸びだ。歳入に占める地方債発行の割合(地方債依存度)も、15.2%と過去最高値に達し、「地方財政の赤信号」といわれる15%を突破した。

 地方債の元金償還や利払い費用となる公債費も、前年度比15.2%増の8兆8600億円に上る見込み。公債費以外の歳出の伸びが2.1%にとどまっていることからすれば、いかに突出した数字であるかが分かる。

 このため、96年度末には、自治体の普通会計で負担する公営企業債を含む地方債の発行残高は120兆円を超え、さらに交付税特別会計借入金を含めた地方の借入金残高は、136兆円に達する見込みだ。国民一人当たりに換算すると約100万円弱の借金を抱え込んでいる計算になる。この額は同じく96年度末で241兆円に達する国の国債残高に比べれば実額では少ないものの、過去三年間の増加率が50%以上と国債の約25%増を大きく上回っており、悪化速度は国より深刻。このように地方も「危機的な財政状況」に陥っているわけだ。

茨城の県債発行残高:1兆627億円

 具体的に茨城県の予算を見てみると、1兆円あまりの県の予算に対して、県債発行額が1486億円となった。

 これは、予算に対する県債依存高で14.1%に達し、地財計画の15.2%より若干下回っているものの、その伸び率は19.2%と地財計画(13.0%)を大きく上回ってしまった。

 発行残高は、平成8年末の予測で、一般会計8749億円、特別会計が1878億であり、合計で1兆627億円となる。これは、県民一人当たり35万1600円となる計算である。

 茨城県も、急速に借金大県と成りつつあるといえよう。

歳出削減、税収増実行しにくい体質

 地方行政の足腰の弱さを象徴するものに「三割自治」という言葉がある。税収に占める地方税の割合が三割程度であることや、国から地方自治体に委任される事務が七割に上ることからそう呼ばれる。

 地方自治体の行政に必要な財源は、それぞれの地域社会で負担されることが望ましい。しかし、現実には、著しい地域格差が存在する。このため、国は地方交付税や補助金を通して均衡を図ることにしている。言い換えれば、各自治体の財政基盤の強さには関係なく、落ちこぼれが出ないよう国の指導や規制によって航行する「護送船団方式」をとっているのだ。

 地方の財政は、この護送船団方式が今も温存されていることから、自治体は「親離れ」ができにくく、財政運営の責任もあいまいになりがちで、「無駄遣いをしやすい仕組みになっている」という指摘もある。地方交付税や補助金は、国からあてがわれる性質のものであることから、ややもすれば必要以上に支出が膨らみ、歳出削減や税収増への自治体の自主的取り組みがなされにくいからだ。

 たしかに、財政の自主性が高まらなければ、住民に対し、行政サ一ビスと税負担の分かりやすい選択肢を示すこともできなければ、効率的な行政運営も進みにくい。

 事実「公明」地域からの改革推進委員会が4月8日に発表した「地方分権・事実、規制緩和に関する重点項目調査」によると、市町村が望む権限移譲の三位に「地方財政の強化」が挙げられた。地方分権の大前提として、いくら権限を与えられてもそれに見合う財源がないと分権は推進できないとの切実な訴えだ。地方の赤字財政も国民の借金であることに変わりはない。住民生活が魅力的であるためには、その自治体の財政も健全でなければならない。それだけに、交付税や補助金に依存する構造そのものの改革を含め、「右肩上がりの借金体質」に甘んじている地方財政に一刻も早くストップをかけ、健全財政へと転換する思い則った改革が望まれる。

最終更新日:1996/May/22




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借金大国日本を考える - 旧国鉄の債務が27兆5811億円にも拡大

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 「土地や株式の売却を進め、何とか国民負担を減らしたい」。亀井運輸相は今年1月の就任会見で、旧国鉄の債務処理について、こう言ってのけた。しかし、そんな運輸相の発言を一気に吹き消すような数字が4月1日に発表された。1987年の国鉄の分割・民営化から十年目を迎え、旧国鉄から国鉄清算事業団が引き継いだ債務が過去最高の27兆5811億円にも膨れ上がったからだ。

旧国鉄の債務が27兆5811億円にも拡大

 この膨大な借金は、88年の閣議決定で、「最終的に国において処理する」とされている。つまり、土地などの売却収入を差し引いた後の借金については、国民が負うことになっている。その土地処分の期限は、89年の閣議で「96年度までに終了する」と決められており、「新たな財源措置」を決めることが目前に追っている。分割・民営化された時点での国鉄債務37兆1000億円のうち、民営化されたJRが背負った分を除く25兆5000億円を清算事業団が引き継いだわけだが、この9年間で、債務総額は減るどころか、逆に2兆1000億円も膨らんでしまった。

 借金返済の主力である土地の処分については、土地市況の悪化から、約9000千ヘクタールの用地のうち約3500へクタールがなお売れ残っており、資産価値も地価下落の影響で既に4兆円を切っているといわれている。株式も、バブル経済崩壊による市場の低迷で、JR東日本株がようやく上場したのが93年のこと。JR西日本株については二年連続して見送られ、売却が思うように進んでいない。

仮に、97年度に土地や株式がすべて売却できたとしても、「20兆円以上の債務が残るのは確実」(運輸省)だ。これがそのまま国民負担になるとすると、一人当たり約16万7000円となり、政府が住宅金融専門会社(住専)の処理に税金投入しようとしている5500円の国民負担と比べて約30倍、二けたも違う。

旧国鉄債務処理には、国民一人約16万7000円

 清算事業団の債務残高が膨らんだのは、旧国鉄の借入金利の支払いに、土地や株式の資産売却収入が追い付かないためだ。年間約1兆3000億円に上る財政投融資金や民間金融機関の金利負担に対し、主な債務償却の資金となる土地売却収入が常に年間9000億円余以下にとどまったため、利子が売却収入を上回っており、借金が雪だるま式に膨らんでいるのだ。

 つまり、債務膨張の最大の要因は、地価頼みの返済計画の甘さにある。土地を売って債務を圧縮するという当初の青写真は、柱専の再建計画と同機に、92年以降には地価下落で既に破たんしていた。にもかかわらず、債務返済計画の再検討を怠り、「問題を常に先送りしてきた政策の『失敗』に根さしている」(4・2付産経新聞)といえる。

 だが、これ以上の先送りは国民負担をますます重くしてしまう。今のところ、処理策として浮上しているのは、償還財源の裏付けがない赤字国債の発行をはじめ、消費税アップ分からの充当や「新幹線利用税」の新設といった増税論などだが、いずれも国民が負担することに変わりはない。さらに、業績好調なJR東日本などJR本州三社に一部負担を求める案も検討されているが、三社も「悪代官がひどい年貢を納めさせるようなもので、許されない」(井手正敬・JR西日本社長)と猛反発しており、難航は必至だ。

このように、『待ったなし』の状況にもかかわらず、政府はいまだに処理策の本格論議を避けている。一刻も早く、「国鉄民営化当時の運輸大臣だった橋本首相は、特に責任を意識」(4・2付読売新聞)して、明確な処方せんを国民の前に示す必要がある。

国の隠れ借金16兆円

 実は、こうした表面化していない国の赤字が、旧国鉄債務以外にも約16兆円もあるのだ。いわゆる「隠れ借金」である。

 隠れ借金は、本来、一般会計で払うべきところを、厚生年金などの特別会計から資金を借り、特例的に支出を先送りしたりする会計上のやり繰りを指す。大蔵省は、こうした小手先の帳じり合わせで、見かけ上の歳出を減らす「粉飾予算」を組み、「財政危機」を先送りしてきたのだ。

 その結果、表面化している国債残高だけでも241兆円(96年度末)に達する見通しだが、「隠れ借金」も合わせた国民の借金は278兆円の巨額に達し、国民一人当たり220万円にも上る途方もない事態を迎えている。

ついに、「隠れ借金」も隠しようがなくなり、自社さ連立政権下で武村前蔵相は「財政危機」を宣言したが、赤字国債の大量発行を安易に決めておきながら敵前逃亡し、肝心の財政再建の展望は一向に示されていない。住専処理への税金投入問題も含め、「借金財政」への流れを一気に加速させた政府・与党の「ツケ回し」体質に、国民の不信は高まる一方だ。

最終更新日:1996/May/22




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借金大国日本を考える - 裏付けない成長神話が国債累増招く

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裏付けない成長神話が国債累増招く

 では、わが国はどうして国債という借金の山を累々と重ねてしまったのか。戦後、わが国で初めて赤字国債が発行されたのは65年度の補正予算にさかのぼる。東京オリンピック後の過剰生産不況を受けての税収不足が原因だった。その後は建設国債の発行が続いたものの、実質的マイナス成長に転落し、歳入欠陥に陥った75年度、赤字国債は再発行される。以降、15年間、わが国の財政は赤字国債依存体質を強め、70年代後半から80年代前半に一つのピ一クに達する。75年度に目安として設定した「国債依存度30%未満」も、この時期に簡単に突破してしまう。経済状態が比較的良好だったにもかかわらず赤字国債発行が増え続けたのは、公共事業などに投資すればその分、経済成長は加速するという裏付けのない過信が原因だったといえよう。赤字国債が発行されなかった時期もあるが、これは89年からの消費税導入とバブル経済による税収増のためで、根本的には財政状況は好転していない。

10年後の国債残高は現在の2倍にも

 大蔵省が今年1月、国会に提出した「財政の中期展望」では、今後の歳入不足をすべて赤字国債で賄う場合、名目で年率3.5%の成長が続いても、十年後の2006年度の国債残高は482兆円と96年度に比べ倍増する、という最悪のシナリオを提示している。

 また、2000年度に赤字国債発行数をゼロにしようとすれば、国の一般会計のうち国債費と地方交付税交付金を除く政策的経費を示す「一般歳出」を毎年度5%ずつカットする必要がある。ゼロ目標を2003年度にずらした場合でも、一般歳出を毎年度横ばいにしなければならない。いずれにしても苦しい財政事情には変わらないわけだ。

 「財政健全化への取り組みは、もやは一刻の猶予も許される状況ではない」と大蔵省自ら認めるまでもなく、財政再建への論議は待ったなしだ。しかし、これが単なる増税のための布石であってはならない。

 自社さ政権の相次ぐ経済失策による景気低迷、税収の伸び悩み、さらには大蔵省も重大な行政責任を負うべき住専(住宅金融専門会社)破たんや金融機関の巨額に上る不良債権問題などが重なり、わが国の借金財政は世界各国からも厳しい目を向けられている。

 今こそ各事業の徹底的な洗い直しや、自社さ政権で腰砕け状態にある行政改革や規制緩和の断行を含め、財政構造そのものにメスを入れる取り組みが迫られている。

 1996年度予算案で計上された国債発行額は約21兆円。この数値は、わが国が総額75五兆円の一般会計予算の3割近くを国債に依存する極めて深刻な赤字財政を意味している。

 政府は昨年11月、赤字国債依存体質から脱却した1990年度以来、財政再建の中期目標として掲げてきた「国債依存度」(一般会計の歳入に占める国債の比率ご五%未満)の目標達成を断念した。それもそのはず、この翌月には国債依存度28%の96年度予算案が発表されることになるからだ。

日本の財政は「極めて深刻な事態」

 このため、大蔵省が今年1月に発表した「財政改革を進めるに当たっての基本的考え方」には、これまで明記されていた具体的な目標数値が見当たらない。国の台所を預かる同省も、財政健全化へ「新たな目標とその実現に向けた方策について、幅広い議論を踏まえつつ、さらに検討していく」と記すので精いっぽいで、「極めて深刻な事態に立ち至ったと言わざるを得ない」と、自ら『お手上げ宣言』をしてしまっているほどだ。財政再建は、主要先進各国に共通する大きな政治的課題である。時の政権、ひいては国の行方を左右しかねない重要テーマだからだ。そう遠くない昔、わが国は、財政悪化に苦しむ諸外国と比べ、時として「優等生」的な立場にいたこともある。しかし、もはや大幅な経済成長など望むべくもなく、膨大な借金財政を抱き込んでしまった『ニッポン財政』は、果たして今でもモノがいえる立場にあるのだろうか。

 国債依存度と政府長期債務残高という財政健全度を測る二つの物差しを通して、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの各国と比較対照してみよう。国債依存度は、他国に比べて極めて高い。

 96年度で22%に上る日本の国債依存度はとび抜けて高い。ドイツを除く3カ国の依存度が減少しているのに対して、わが国は91年度から急激に『右上がり』に転換し、増加の一途をたどっているのが特徴的だ。

 わが国の抱える借金は国債ばかりではない。これに政府が複数年度にわたって負っている郵便貯金特別会計や交付税特別会計、国有林野事業特別会計をはじめとした借入金を合わせたものを長期政府債務という。

 この債務は、国内総生産(GDP)の規模と比較し、国民経済にとってどの程度の負担なのかを見ることで、国の財政状態を見極める一つの尺度になっている。

債務残高のGDP比は初の60%台

 96年度予算案に大量な国債発行を計上した結果、わが国の長期政府債務の残高は320兆円を突破する見込みだ。これはGDP比64.6%で、当初予算では初めて60%台を超えた。この数字は巨額の赤字財政に苦しむアメリカを抜き、五カ国の中で最悪になることは間違いない。

 財政悪化が国民生活に及ぼす影響は大きい。借金体質脱却をめぐる各国との対応の違いは、そのまま政治のリーダーシップの有無として語ることもできる。

最終更新日:1996/May/22




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借金大国日本を考える - 日本の財政は今、かつてない「危機」に直面している。

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日本の財政は今、かつてない「危機」に直面している。

住宅専門金融会社(住専)の損失処理のために、国民の税金から6850億円を支出することに大きな反対の声が起こったにもかかわらず、政府は小手先の修正だけで、予算案を成立させた。

 しかし、本年度予算案では、返済の裏付けがない赤字国債を過去最大に発行するなど、財政の「借金漬け体質」が一段と鮮明になっっている。国の台所が火の車になれば、経済の基盤を揺るがし、急速に進む超高齢化の中で、国民に重い負担がのしかかってくる。

 ここでは、財政を圧迫する巨額の国債残高(借金)、国際的に見た財政赤字の状況、急務を要する旧国鉄債務の処理、深刻な地方財政の実態、特に茨城県の財政状況、・・・などの観点から、「借金大国・日本」の現状と課題を検証するとともに、財政再建への道筋を皆さんと共に考えていきたい。

借金返済にまた借金・・・日本は、まさに「サラ金」国家

 1996年度の政府予算案が総額75兆1049億円なのに、年度末の国債残高はその3倍を上回る241兆円に達し、日本の財政はパンク寸前である。

 しかし、これを国民一人当たりの生活に置き換えてみると、わが国財政の実態を理解していただくことができるだろう。

 <表−1> 96年度 予算を家計に置き換えてみると
 家計の項目
 国の項目
 一人当たりの金額
 一人家族の家計では
収  入
給  料
税  金
 409,0000円 1,636,000円
パート収入
税外収入
  22,000円   88,000円
借  金
国  債
 167,000円  668,000円
総  収  入
 598,000円 2,392,000円

 家計の項目
 国の項目
 一人当たりの金額
 一人家族の家計では
支  出
保健衛生費
社会補償費
 114,0000円  456,000円
教 育 費
文教・科学振興費
  50,000円  200,000円
修 繕 費
公共事業
  77,000円  308,000円
防犯対策費
防 衛 費
  39,000円  156,000円
故郷への仕送り
地方交付税交付金
 108,000円  432,000円
借金の返済
国 債 費
 130,000円  520,000円
そ の 他
そ の 他
  80,000円  320,000円
 総  支  出
 598,000円 2,392,000円


 <表−1>に示したように、昨年10月の国勢調査速報値の人ロ(1億2556万2504人)で換算すると、国民一人当たりの予算額は約60万円弱。この収入のうち、給料に当たる税収はおよそ41万円で全体の三分の二にすぎない。残りは、若干のパート(税外)収入に、16万7千円の借金(=国債)で賄っているのだ。

支出(歳出)面を見ても、ローン返済(=国債費)が、医療費や生命保健などの保健衛生費(=社会保健)修繕費(=公共事業)、教育費(=文教・科学振興)、故郷への仕送り(=地方交付税交付金)など他の項目に比べ、最も多い13万円に上っている。

国債残高241兆円は国民一人当たり192万円

 何より気になる借金総額(=国債残高)については、およそ192万円に上る。つまり、60万円の収入に対して3倍以上の大赤字を抱える「火の車」状態にあるのだ。

 さらに、この借金(=国債)は、普通に返済すれば着実に減っていく住宅ローンなどと異なり、収入の範囲内で返済できる額を上回り、減る見込みも少ない。このため、わが国の財政は「借金を返すために借金を重ねる『サラ金財政』」と揶揄(やゆ)されても仕方ない危機的状況に陥っていることが一目瞭(りょう)然だ。

 事実、本年度予算では、返すアテもないのに過去最高の21兆円を超す国債を発行し、「火の車」の財政にさらに油を注いでいる。このうち半分強の12兆円を赤字国債が占めている。当初予算の段階から国の財源不足を穴埋めするための赤字国債を発行するのは7年ぶりのことだ。この結果、歳入を借金に頼る度合いを示す国債依存度は28%と、四分の一弱を占めるに至った。

 このまま従来型の財政運営手法を続ければ、国債残高は間違いなく「雪だるま式」に膨らみ、国債の償還や利払いのための国債費の圧迫で政策的経費の余地は急速に狭められていく。

 さらに、累積する国債の最大の問題点は、そのツケを将来の若い世代が負担しなければならないことだ。わが国が超高齢社会へと急スピードで突き進み、ただでさえ国民負担率の上昇が危ぐされる中で、国債発行による後世代へのツケ回しの増大は何としても避けなければならない。

最終更新日:1996/May/22




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いばらきのインターネット - 地域情報基盤整備関する提言

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茨城県地域情報ネットワーク整備に関する提案
茨城県議会議員 井手 よしひろ


インターネットとイントラネット
インターネットによる地域情報ネットワーク整備


情報公開の推進 行政改革の推進 新たな産業の振興
新たな地域コミュニケーショインツール

地域情報ネットワーク整備への具体的提案

提案その1・・・県民が等しくインターネットを活用できるよう、一刻も早く公共のプロバイダーを設立すること。
提案その2・・・県及び県関連のデータベースをイントラネットの発想で、2001年までに再構築すること。
提案その3・・・県民への情報公開をインターネットを活用し、推進すること。
提案その4・・・茨城県議会のホームページを早急に開設し、議会情報の発信を行うこと。
提案その5・・・3年以内に、県内小中高等学校へのインターネット導入を実現すること。
提案その6・・・新県庁舎の庁内情報システムは、イントラネットの発想を充分に活かし、設備投資の圧縮や操作性の統一化、簡略化を図ること。
提案その7・・・インターネット、イントラネットのセキュリティーの確保について充分な研究を積み重ねること。
提案その8・・・市町村の情報システム整備に関して、その指導ならびに補助金制度を創設すること。


 茨城県は、都道府県としは初めての情報発信設備(WWWサーバ)を整備し、昨年七月末からインターネットによる情報発信をスタートさせた。3月末現在でアクセス回数は百万ヒットを超えたという。

 インターネットという言葉が、まさに時代の流行語のように繰り返され、このシステムがいわゆる「県政のPRの媒体の一つ」といった狭い範疇で議論されることには大きな抵抗がある。
 地方自治におけるインターネットの役割に、私は大きなものを期待している。インターネットは地方=ローカル(Local)を日本の中心にも、世界の中心にも直結させてくれるシステムだからである。
 さらに、もっと重要なことは、行政の情報を我が家に直結させてくれるシステムであるという視点である。
 新たな地方の可能性を開くインターネットを活用した地域情報基盤整備についての私見を述べさせていただく。

インターネットとイントラネット

 イントラネット。注意して読まないとインターネットと読み間違えてしまう言葉が、最近新聞紙上や業界紙等に取り上げ始めている。

 イントラ(Intra)とは、内部を意味する。イントラネットという言葉は、一年ほど前までは、企業や行政官庁の内部で、大型のコンピュータ(ホストコンピュータ)を中心に、端末のパソコンを配したネットワークを意味するものであった。ローカルエリアネットワーク(LAN)と言った方が一般的であったと思う。
 その相対にあったものが、インターネットであった。インター(Inter)とは「……相互の」の意味で、ネットワーク同士を結んだ巨大なネットワークで、誰でもがアクセス自由の開かれたネットワークである。

 そして、最近の著しいインターネットの普及の中で、大きな地殻変動が起き始めている。
 それは、イントラネットでも、インターネットで培われた技術を応用しようという発想である。
 その基本となるのが、WWW(ワールド・ワイド・ウェッブ)という仕組みである。
 WWWという仕組みを使えば、テキスト(文字)データばかりではなく、写真や動画、音声などのデジタル信号化した情報の全てがやりとりできる。そして、この仕組みの最大の利点は、大型のパソコンを必要としない(設備投資が著しく低く抑えられる)ことであり、共通の言語(HTML言語)により、誰でも簡単に情報発信が可能となることである。
 すなわち、今まで各企業や、行政が独自に開発していた部内のシステムをこのインターネットのシステムを盛って構成するという試みである。ごく簡単に言えば、社内にミニ・ミニ・インターネットを作って、仕事の情報をやり取りしようというのがイントラネットなのだ。
 さらに、このシステムを本来のインターネットに接続すれば、この企業内のシステムをそのまま全世界へつながったインターネットの一部として機能することになる。
 それだけでは社内情報がそれこそ世界中に見られてしまう。そこで、ファイア・ウオール(防火壁)を設け、パスワードなどを使わないと入れないようにし、ハッカーなどの侵入を防ぎ、部内の情報が他人に漏れないようにしている。それが現在のイントラネットの姿である。

 イントラネットの利点はそればかりではない、今、大きなブームとなっているインターネットのホームページを企業や行政が発信するためには多大な労力を必要とする。しかし、その割には、売り上げの増加や、広報活動への直接のメッリットが余りあがってこない現状が指摘され始めている。インターネットの恩恵を受けられる人が、まだ一部に限られている現状ではこの傾向は否定し難いものである。しかし、イントラネットが作られておれば、通常の業務で作られた情報を少しの加工をしただけで、最新の情報を発信できるわけである。
 イントラネットは、昨年から米国の企業で爆発的に広がっている。日本でも一部の企業や大学で運用が開始されているという。
 茨城県の地域情報ネットワークの構築に際してのキーワードは、まさにこの「インターネット」と「イントラネット」であると確信する。

インターネットを情報基盤整備の中核に

 昨年の9月、私は、県議会に一般質問において、茨城県の情報基盤整備の重要性を力説し、いくつかの提案をした。(県議会一般質問要旨)
 私が、インターネットを中核とする地域情報システム整備の重要性を強く訴える理由は、以下の5点に要約される。

その第一は、情報公開の推進である。

 地方における民主主義とは、住民のより多くが納得できる行政を進めることである。
 そして、その前提条件として、住民ひとり一人に充分な情報の提供がなされていることが不可欠である。
 しかし、その地域の情報は、あまねく住民に知らされているであろうか?
 いわゆるマスコミの発する情報は、国民の大多数に普遍的な内容に偏っている(偏っているという表現は不適切かもしれないが)。国際状況や、国会の審議の内容は、新聞の一面を飾り、テレビのニュースで広く紹介されるが、我が町内の下水道の改修計画を教えてくれるメディアはまずないだろう。新聞の地方版は、多くて2ページ、通常は1ページである。よく漫才のネタにされるが、犬が人に噛みついても記事に取り上げられることはなく、人が犬に噛みつくような非日常的な記事しか掲載されないのである。
 地域にすむ住民にとって、当たり前の情報を知らせてくれる機会は余りにも少ない。
 そういった意味では、地方行政にあっては、その情報公開の度合いはここ50年来余り変わっていないといっても過言ではないだろ。

 地域のローカル紙や県域ラジオ・県域テレビ・ケーブルテレビにその役割を求める声があった。特に、県域テレビの可能性を主張する方も多い。現に、私も県会議員選挙に立候補するときの公約に、県域テレビの実現を考えたこともあった。
 しかし、冷静になって考えてみると、県域テレビやケーブルテレビが一日に流す報道番組の時間はどのくらいの長さになるであろうか?ケーブルテレビの多チャンネル形式は別として、最大でも5時間程度であろう。その中で、知りたい情報を全て流すことができるであろうか。

 また、最大の悩みがある。地域の問題は、ある地域の人には生計をも左右する重要問題であるが、その他大勢の人にとっては、全く価値のない話題なのである。
 先ほどの下水工事のニュースなど隣の町内の人にはまず関心がない問題である。そうなれば、たとえ県域テレビ、ケーブルテレビといっても取材し、報道するニュース価値は余りにも低いものになってしまう。
 その上、そんな小さな情報、又は専門的で個人的な情報を報道されても、受け手である住民も困るのである。
 オン・デマンド(ON DEMAND)という言葉があるが、このての情報は、まさにオン・デマンド「必要な人が、必要な時に、自由に入手できる情報」でなくてわならない。
 この意味で、インターネットはまさにオン・デマンドを実現する媒体である。

 なぜ、地域情報の伝達にインターネットが適しているのか実例を挙げてみよう。
 インターネットの特徴にハイパーテキストというものがある。
 ある人がインターネット上に、次のような論文を掲載したとする。
 「インターネットの普及とともに米国では、大きな変化が始まっている。大都市近郊の自治体では、在宅勤務者であるソーホーが増えたため、通勤時の自動車の渋滞がなくなり、予算化していた道路の整備を見直す論議が始まった。パソコンのネットワークが地域の課題に大きな影響を与え始めた実例の一つである」
 インターネットを経験された読者の皆さんには、まさに釈迦に説法であるが、この例文の下線部(画面上では、文字の色が変わっていたり、下線が引いてあったりする)を、クリックすることで、それに関連した項目に移ることができる。ソーホーをクリックすると画面は、この言葉を詳しく説明してくれる画面に変わる。
 「ソーホー・・・S・O・H・Oとは、[Small Office Home Office]の略で、オンラインで会社や取引先と結び付く在宅勤務のビジネスマン、個人事業者らを指す。ノースリッジ大地震で、ロサンゼルス近郊のビジネスマンや、個人業者が都心のオフィスに出社せきず、やもおえず在宅での仕事を始めたが、パソコンネットや、電話・FAXなどによって十分にその仕事をやりこなすことが可能であったため、認知された。いま、大きなアメリカビジネスのトレンドとなっている」と、変わるのである。当然同じように、ノースリッジ大地震を、クリックすればより詳細なデータに行き着けるのである。
 これがハイパーテキストの環境である。インターネットは、このハイパーテキストの環境で構成されている。一つの論文の詳細を他人の論文にアクセスして教えてくれるのである。この作業をリンクと呼ぶが、これこそインターネットの神髄でもある。このハイパーテキストの発想、リンクの発想があるから、受け手は難しいパソコンの操作から開放され、マウス一つで知りたい情報に至れるのである。(ちなみに、この提案でもよく出てくるWWWという言葉は、World Wide Webの略であり、直訳すれば「世界中に張り巡らされた蜘蛛の糸」となる。世界中にこのハイパーテキストのリンクの網が張られた状態を指すのである)

 実例を紹介しよう。Bさんは、仕事から帰り、軽く晩酌を済ませた。明日は、県議会議員の投票日である。まだ誰に投票知るか決めていない。おもむろに、パソコンのスイッチを入れ、候補者のWWWにアクセス。環境問題や産業振興・福祉への考え方等をのぞいてみる。難しい言葉があっても、ワンクリックでより詳しい説明の画面に移行できる。インターネットの振興をうたっていたので、リンクを辿ってみると、県議会のホームページにアクセスした。4年間の議会での質問内容が、一目瞭然である。これでやっと、候補を選ぶ材料ができた。(インターネットと日本の公職選挙法との関連は別の項目で説明する)

 もう一つ、具体的な例を挙げてみよう。インターネットにはサーチエンジンといわれるシステムがある。インターネットには幾千ものWWWが存在し、その一つひとつが独自の情報を発信している。例えば「イントラネット」の情報を今必要とする人がいたとしよう。彼は、夜中の十一時でも、朝の6時でも良い。日曜日でも、元旦でもいいのである。パソコンに向かい、サーチエンジンに接続する。
 サーチエンジンの検索した言葉を入力する窓に「intranet」と、入力する。30秒程すると約250のWWWの一覧が表示される。現状では英語表示である。
 彼は、簡単な説明を読み、その一つにマウスを合わせ、クリックする。すると、情報は、アメリカのテキサス州のある企業にアクセスした。
 その企業のWWWからは、イントラネットに関する、最新の詳細な情報が得られた。
 この間、NTTの番号案内でも、一回30円かかるが、接続に特別な料金は一切かからない。(接続するための電話料金とプロバイダーの経費はもちろん掛かる)
 インターネットの草創期である現在でも、英語さえ理解できれば、世界の情報を確実に掌中に収められる。
 こうした、状況をわが国の地方自治体の中でも実現させるべきである。

 Aさんの母親が突然倒れ、在宅の福祉サービスを受けたいとする。
 家庭で、役所の窓口で、プライベートに使用しては上司に注意されるかもしれないが、職場のパソコンで、サーチエンジンに「在宅福祉」と入力する。自分が住む町の名前も合わせて入力しよう。
 すると、在宅福祉サービスのメニューが表示される。「昼食の配達サービス」の項目を選び、クリックする。曜日や、内容を選択し、登録をする。もちろんパソコン上で、サービスの申し込みを市役所にすることができる。
 しばらくすると、電子メールが市役所から届く。「何月何日から昼食の宅配サービスを開始します」。といった具合である。

 この二つの例は夢物語ではない。少なくても、ここ10年で構築しなくてはならないシステムである。
 いつでも、誰でも、どのような情報でも、引き出せてこそ、真の情報公開である。
 官僚や行政担当者、そして一部の議員が情報を独占する時代は代えなくてはならない。地方自治体の情報開示の方策としての、インターネット活用システムを作ることにより、真の地方民主主義、地方分権を育てることができる思う。

その第二点は、行政改革の推進である。

 インターネットとイントラネットの項で述べたように、イントラネットをインターネット対応で整備することのメリットは多い。ここでは、行政改革の立場からそれを検証してみたい。

 まず、縦割り行政の弊害を是正することができるという利点がある。

 現在、茨城県では、いくつものデータベースが各部署毎に稼働している。衛生部の管轄では、健康科学センターが健康データベースや統計案内データベース。福祉部は、福祉施設データベースやボランティアデータベース・福祉制度データベースを福祉情報センターが統括している。農業総合センターでは、文献・統計・気象情報のデータベースを有している。
 工業技術は、工業技術センターのデータベースに蓄えられ、生涯学習センターでは、生涯学習ボランティアの情報が集められている。
 こうしたデータベースを一カ所で検索することは、現状では県庁内でもできない。その操作方法も、一つづつ違い、全てのデータベースを操作することができる職員は果たしているだろうか。
 一つの端末から全ての情報が得られるメリット、統一された操作環境から得られるメリット。こうしたメリットは縦割り行政の敷居を次第に低くしていくのである。

 行政改革に果たす役割の二つ目は、その投資額の低さである。

 専用のLANを構築することなくネットワークを構成できるイントラネットは、投資額が飛躍的に少ないといわれている。昨年来、話題となっているウィンドゥズ95対応のパソコンであれば、電話回線を利用すればモデムを接続するだけで、ほとんど追加投資なしで端末機としては活用できる。ネットワークを整備する費用が大幅に圧縮できるのである。
 更に、インターネット対応型イントラネットには大きなメリットがある。それは、設備を漸進的に整備できるという事である。専用LANの環境では、原則的にその設備は一挙に立ち上げる必要がある。こうしたシステムを全庁的に整備するとするならば、その投資額は莫大なものになろう。しかし、インターネット対応システムの場合は、できたところから、少しずつ進めていけばよいのである。WWWという統一方式で運用されたシステムであるから、その基本さえ忠実に再現していけば、臨機応変にシステムの拡張が可能となる。
 現状の各部署毎のシステムは約5年周期で更新されている。したがって、各システムが更新時期に至ったときに、インターネット対応型に改変すればよい、単年度主義の自治体にとって、このメリットは大きいのである。
 こうした、メリットにより行政改革の切り札としてのインターネットシステムの導入は是非とも実現させなくてはならない。

インターネットを中核とする地域情報基盤整備の第三の目的は、新たな産業基盤の創出である。

 県が有する既存の情報ネットワーク上のデータを、より多くの県内企業が利用できるようにすることで、技術力、経営ノウハウ、人材紹介などの支援が可能となる。
 また、県内企業の優れた商品、技術などを全世界に紹介するとができる。反対に、全世界からの情報を容易に入手することができるようになる。
 様々な行政官庁への許認可申請や報告資料提出などをインターネット上で可能とすれば、民間企業の事務効率を飛躍的に向上させることになる。
 また、こうした間接的なメッリトとともに、これから大いに発展が期待されるインターネット関連のプロバイダー事業者・ソフト業者への直接的なメリットも大きい。

 とにかく著しい国際化の波は、規制緩和の大きな追い風を受けて茨城の地域経済に打ち寄せるであろうことは確実である。アメリカのメーカーが、EUの国の設計の商品を、中国の原材料を使って、製品を東南アジアで作り、最終的に茨城で販売する。といった国際的分業は日常茶飯事となる。
 逆をいうなら、東京という今までの一極集中の都会から離れた地域であっても、世界という視野から見るならば、デジタル化された情報の距離で見るならば、世界の中心となっても何ら不思議ではない時代の到来である。

 地方における情報基盤の整備では大先輩の大分県のニューコアラに、「地域に情報コンセントを」というレポートが掲載されていた。言葉の意味する内容は少し違うかもしれないが、「インターネットは地域情報のコンセント」と形容したニューコアラの発想には大いに感服した。
 電気のコンセントと同じように、水道の蛇口と同じように、地元の企業が自由に使える低料金・定額の情報の出入り口を整備をすることは、地方自治体の責任なのである。

第四は、次代を担う青少年の教育に関する必要性である。

 インターネットは、瞬時にして全世界の情報に接することができる。もし、子どもたちがその情報に触れれば、より深く、広い情報を自らの手で収集できる感激を知ることとなる。
 まさに、教室は世界の窓口となるわけである。

 更に、そうした情報の多くは英語を使ってやりとりされる。生きた英語教育がそこでは行われるだろう。インターネットでは、チャットと呼ばれる即時性のある電子メールのやりとりも可能である。「こんにちは、日本の茨城県から発信しています」と、送信すれば、相手は「今晩は、ここアメリカのコロラド州では、深夜1時です」と返信してくる。こうした会話を楽しむこともできる。もちろん、英語で行われるわけであるが。更に、インターネットテレフォンは、インターネットを介しての音声電話や、テレビ画像電話をも可能にしようとしている(もちろん国際電話のような料金は必要としない、インターネットの接続のための市内通話料金とプロバイダー費用だけで通話できる)。英語の専任教師を教室に迎えることになる。
 インターネットは、遠隔地の授業にも役立つであろうし、その双方向性は、教室から全世界に情報を発信することもできるようにする。

 教室で拾得するであろう、インターネットに使用する言語(HTML言語)は、パソコンの機種に依存しない、インターネット対応型データベースが世界標準となれば、学校での授業の成果が、そのまま社会で通用する。学校で使っていたワープロが、社会に出たら全く役立たないといった時間と習得の労力の無駄遣いは限りなく解消されるであろう。
 まさに、インターネットは青少年の世界への眼を広げる大きな武器となるに違いない。

そして、第5のポイントは、地域コミュニケーショのツールとしての活用である。

 インターネットの優れた特性に、誰もが簡単に情報の発信者となれるということが挙げられる。
 私は、あくまでも自分の住む郷土茨城、その中でも日立という地域にこだわっての情報をインターネットを使って発信しはじめた。日立に新しくできたインターネット接続業者(プロバイダー)と契約をし、「井手よしひろのホームページ」を開設したのだ。そのURL(インターネット上の住所にあたつるもの)は「http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/index.htm」。これを入力すれば、全世界から私のホームページにアクセスできる。
 このホームページを作るためのことばが「HTML」と呼ばれる。作り方は、そんなに難しくはない、ゴールデンウィークを挟んだ一週間で全くゼロの状態から、本を読みながらホームページを開局することができた。まさに、家庭から全世界への窓口を開くことができたのである。
 このホームページに、どうやってこのURLを知ったのか、10日余りの内に113件のアクセス(ヒット)があったのである。まさに、驚きであった。

 同じ驚きを茨城に済む全ての人が味わえるわけである。
 永年こつこつと調べ上げた郷土史の研究を発表するホームページを作る人もいるであろう。
 趣味の短歌や和歌を全世界に紹介することもできる。
 ボランティアの情報も載せられる。
 就職活動もすでに個人のホームページ上で行っている学生もあると聞く。
 高齢社会の中で自分史の作成が静かなブームと聞く。せっかくの自分史である、インターネット上で発表してみたらどうだろうか。出版の費用は、ずっと少なくて済むし、ずっと多くの人に読んでもらえるかもしれない。
 町内会の回覧板も変わるかもしれない、生活リズムの多様化から隣近所ともなかなか意志の疎通ができない場合も多い。回覧板が、電子メール化されれば、一瞬にして水戸市全体であろうとも、茨城全県であろうとも、大事な情報をもれなく伝えることが可能となる。

 インターネットは、その誕生当初から、情報を流す人の実名が明示されてきたという特徴がある。新聞でのペンネーム、匿名記事や、パソコン通信でのハンドルネームでのやりとり、といったものは原則あり得ないのである。こうした、実名主義は、地域のネットワーク形成において、その責任を明確にし、健全なコミュニケーションづくりに貢献すると確信する。
 インターネットは、まさに高度情報時代に対応した地域のコミュニケーションツールである。
 インターネットを中心に、新たな地域コミュニティーづくりが始まる可能性は高い。

 また、非常時の利用も先の阪神大震災のその有効性が実証された。そもそも、インターネットの誕生の歴史を見ると、戦争という非常事態で、ある情報のラインが途絶しても、情報の流れを止めないですむシステムとして考案され、発展してきた経緯がある。
 地震等の巨大災害に対して、被災者の状況や避難場所の紹介、緊急物資の状況等、時々刻々と情報を送ることができる非常時のコミュニケーション方法としても不可欠な存在である。

井手よしひろの具体的提案

 インターネットの活用のメリットを「情報公開」「行政改革」「産業振興」「教育振興」「新たなコミュニケーションツール」の5つのポイントから概観してきた。

 茨城県の地域情報基盤整備の基本は、インターネットを中核のおいた県並びに関連機関、そして市町村のイントラネットの整備であることを、理解していただけると思う。

 それでは、その整備をどのように進めるべきか、以下8点にわたり、具体的な提案をさせていただきたい。

提案その1・・・県民が等しくインターネットにアクセスできるよう、一刻も早く公共のプロバイダーを設立すること。
提案その2・・・県及び県関連のデータベースをイントラネットの発想で、2001年までに再構築すること。
提案その3・・・県民への情報公開をインターネットを活用し更に推進すること。
提案その4・・・茨城県議会のホームページを早急に開設し、議会情報の発信を行うこと。
提案その5・・・3年以内に、県内小中高等学校へのインターネット導入を実現すること。
提案その6・・・新県庁舎の庁内情報システムは、イントラネットの発想を充分に活かし、設備投資の圧縮や操作性の統一化、簡略化を図ること。
提案その7・・・インターネット、イントラネットのセキュリティーの確保について充分な研究を積み重ねること。
提案その8・・・市町村の情報システム整備に関して、その指導ならびに補助金制度を創設すること。

 それぞれの提案を、以下もう少し詳細に述べてみたい。

提案その1・・・県民が等しくインターネットにアクセスできるよう、一刻も早く公共のプロバイダーを設立すること。

 本年3月に、県が委嘱した「茨城インターネット研究会」の提言がまとめられた。
 これによると、県民が、安価で定額のアクセス料で、県内どこからでもアクセスできるインターネット網の整備が提案されている。そしてその母体として、「茨城県高度情報推進協議会(仮称)」の設立を求めている。具体的には、

サービスの早期開始
接続形態としては、専用線によるIP接続、電話線やISDNによるダイアルアップ接続
電子メール、ネットニューズ、FTP、Telnet、WWWによるインターネットの基本的サービスの提供。
ホームページ提供サービスの検討
ネットワークの保守・運用・共用サーバーの設置されるネットワークオペレーションセンターの開設。
アクセスポイントを県内全てのMA(市外局番毎)に設置し、均一料金の実現。

 以上の6点にまとめられる。この提言には、個人的に全面的に賛成であり、速やかな実現を強く望むものである。

 この提言を踏まえて、更に必要であろうと思われる内容を追加提案すると、

サービス開始は、本年(1996年中)中の開始をめざす。
接続料金は、年間15、000円程度の安価なものとして、固定料金制とする。なお、アナログでもデジタルでも料金に差をつけない。(県外居住者の加入には料金格差もやむおえない)
アクセスポイントに、東京を含める。これによって、県東京事務所などとのイントラネット形成が容易となり、また都内勤務の県民の便宜性、茨城出身都民の便宜性が高まる。また、携帯端末によるインターネットの接続の可能性を確保することができるためである。
インターネットプロバイダーには、個人・グループのホームページを作成できるよう、WWW用のハードディスク空間を貸し出すサービスを行うこと(ホームページ作成サービス、その容量は最低でも5Mを確保し、希望によって更に拡大できるシステムとする)。
プロバイダーへの登録、WWWによる個人のホームページ開設は、実名主義とし、これをもって健全なコミュニケーションの場としてインターネットを育て、公序良俗に反するようなWWWの掲載に抑止をかけること。

提案その2・・・県及び県関連のデータベースをイントラネットの発想を充分活かし、2001年までに再構築すること。

 既存の県関連のデータベースは、
 企画部関連で「茨城県インターネット情報サービス」。
 衛生部が、「茨城県保健情報システム」(茨城県健康科学センター)。
 福祉部、「茨城県福祉情報システム」(茨城県福祉情報センター)。
 農林水産部、「茨城県農業技術情報ネットワークシステム」(茨城県農業技術情報センター)
 商工労働部、「茨城テクノインテリジェンスシステム」(茨城県工業技術センター)と
 「中小企業情報システム」(茨城県中小企業情報センター)
 教育庁関連では、「茨城県生涯学習情報提供システム」(水戸生涯学習センタ)
 等が現在稼働している。

 いずれも独自に運営されており、操作性も統一されていないのは先に述べたとおりである。
 概ねいずれのシステムも、5年を目処に更新されており、順次インターネット対応にシステムを更新する必要がある。

 本年度は、「茨城県福祉情報システム」(茨城県福祉情報センター)と「茨城テクノインテリジェンスシステム」(茨城県工業技術センター)が更新期を迎えており、新しい情報発信の形態を目指しての更新作業が望まれる。

 さらに、今後整備が計画されている新規の県民情報サービスも、この思想を徹底して行くべきである。
 例えば、行政データ共通利用システム(総務部)、消費者行政苦情情報システム(生活環境部)、交通死亡事故総合分析システム(生活環境部)、防災情報システム(生活環境部)、原子力防災安全情報システム(生活環境部)、医療機関情報システム(衛生部)、県立図書館情報システム(教育庁)など。

 またすでに、インターネットを活用して情報発信を開始しているシステムに関しても充実を図る必要がある。
 例えば、県立医療大学(Ibaraki Prefectural University of Health Science's Home Page:衛生部、すでに稼働中のシステムの充実)、観光情報提供システム(商工労働部、茨城インターネット情報サービスの中で運用中、充実拡大)。

提案その3・・・県民への情報公開をインターネットを活用し更に推進すること。

 県民に広く行政情報を公開するために、次のようなデータベースサービスも検討すべきである。

県からのメーッセージ・県民の声データベースシステム(県からの広報、県報、プレスリリースのオンライン化、県民からの提案・陳情・相談等のデータベース化)
統計情報公開システム(県の所管する統計情報をオンラインで広く県民に提供するシステム)。
監査情報提供システム(県並びに関連機関の監査情報のデータベースシステム)。
博物館・美術館情報システム(県並びに公営の博物館・美術館の所蔵品、企画展等の情報サービス)。
入札情報公開システム(県並びに関係機関の入札に関わる全ての情報をオンラインで公開する)。
県民情報公開オンラインシステム(現在県民情報センターで行われている県民への情報公開をオンライン化する)。

提案その4・・・茨城県議会のホームページを早急に開設し、議会情報の発信を行うこと。

 茨城県議会のホームページを早急に開設し、順次以下の内容を含む総合的議会情報のデータベースを構築する(整備完成を平成10年度程度とする)。

県議会の議案書並びに報告書等のデータベース化。
県議会の本会議議事録、委員会議事録のデータベース化。
本会議・委員会の議員の出席状況の県民への公開。
議員の資産公開情報の県民への公開。

提案その5・・・3年以内に、県内小中高等学校へのインターネット導入を実現すること。

 情報ハイウェー構想で再選をねらう、クリントン大統領は、1月の一般教書演説で「2000年までに全米の各教室にインターネットを接続する」と発表している。先の述べたように、教室でのインターネットの活用は様々な可能性を秘めている。
 茨城県においては、平成6年度より、6カ年計画で、「第3次教育用コンピュータ整備計画」がスタートいた。この事業により、県立普通校には、一校当たり42台、一人一台のパソコンが整備されることとなる。昨年秋の一般質問でも、こうした設備更新期にインターネットへの接続を提案したところではあるが、前向きの答弁を得るには至っていない。

 将来的には、全ての学校に一人一台で操作できるインターネット対応のパソコンを整備することが必要であるが、その投資額は莫大なものになると試算される。
 したがって、当面は一学校あたり一回線のインターネット接続を、実現することを提案する。

 そのための具体的方策としては、

先に提案した公共プロバイダーが、小中高等学校一校あたり一回線、インターネット接続料を無料提供する。
教育研修センター内にインターネット支援設備を充実させる。
教員のインターネット研修を行う。
各学校のホームページを作成するための、スクールインターネットボランティアを組織化する。
 公立の小中学校がインターネット接続を行う場合の県費補助を創設する。

 こうした施策を緊急に計画・実施する必要性を力説するのもである。

提案その6・・・新県庁舎の庁内情報システムは、イントラネットの発想を充分検討し、設備投資の圧縮や操作性の統一化、簡略化を図ること。

 今、平成11年の新県庁舎の完成に合わせて、新たな庁内ネットワークシステムの整備に全力を挙げることが必要である。
 その整備手法は、一つの端末から全ての情報が、同じ手順で呼び出すことができる方式とすべきである。
 さらに、電子メールシステムや電子決済システムを採用し、行政事務の簡素化、経費の削減に最大限の眼目を於くべきである。

提案その7・・・インターネット、イントラネットのセキュリティーの確保について充分な研究を積み重ねること。

 わが国のパソコン通信ネットワークの草分け的存在の「コアラ」から発展したインターネットへの接続サービス「ニューコアラ」(事務局・大分市、会員数約4000人)でホストコンピューターのシステム管理データが壊れ、システムファイル中のインターネット会員約2000人分のパスワードや個人データが消滅するという事件が4月12日起こった。事務局は「故障とは考えられず、悪質な侵入者(ハッカー)によるもの」とみている。「最悪の場合は、個人情報が盗まれ、プライベートな情報が悪用される可能性もある」とし、会員にパソコン通信の画面上で注意を呼びかけ、直ちに会員のパスワードを再登録、速達で発送した。あくる13日には回復した事故ではあったが、インターネットの社会で起こる事故の恐ろしさを垣間見せてくれた。
 県庁内・関係機関の内部情報は、個人のプライバシーに関するものや、様々な業務の進行に不可欠な重要な情報が多い。こうした情報が、インターネットから不法に引き出されたり、いわゆるハッカーの進入によりデータやプログラム自体が破壊される危険性がある。また、コンピュータウィルスの感染の問題も深刻な課題である。
 このように情報のセキュリティーを確保すること、外部情報(インターネット情報)と内部情報(イントラネット情報)の間のファイアーウォールを堅固にする研究を進めなくてはならない。

提案その8・・・市町村の情報システム整備に関して、その指導ならびに補助金制度を創設すること。

 公共のインターネット情報システムは、地方自治体のもっとも身近な単位である市町村へのネットワーク無しには完結しない。
 市町村の情報システムへの啓蒙、指導体制の強化。人材育成の機関充実。設備補助金制度の創設が是非とも必要である。
 また、先導的政策として、県の情報ネットワークの端末を積極的に市役所・町村役場や支所、公民館などに配置し、県内全地域から良質で均一なサービスができるよう配慮することも必要である。




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。

いばらきのインターネット - 公職選挙法とインターネットに関する私見

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公職選挙法とインターネット情報についての私見

茨城県議会議員 井手 よしひろ


 インターネット利用が、政治の世界でも急ピッチで進んでいる。私のようにホームページを持って、意見や情報の発信をしている議員も多い。政党のホームページが次々と公開されている。

◇◇主な政党のホームページへのリンク◇◇
◎ 自由民主党
◎ 新進党
◎ 社会民主党
◎ 新党さきがけ
◎ 日本共産党
※リンク切れ

 しかし、公職選挙法との関連で大きな課題があることを見逃してはならない。

 わが国の公選法が、インターネットを選挙運動に利用することを禁止しているためだ。公選法142条は、選挙運動に利用できる「文書図画」としてポスターやハガキ、ビラ、選挙広報などを列挙し、それ以外を禁止している。

 自治省選挙課は「選挙期間中であるかどうかに関わらず、インターネットで選挙運動や立候補予定者のPRはできない」という公式見解にたっている。

 新聞や政党機関誌など定期刊行物なら可能な公認候補の紹介も「ホームページは定期刊行物ではないので、法律違反の可能性がある」ともいわれている。

 その反面、「政治活動にインターネットを使うのなら、選挙期間中でも問題ない」という自治省見解もある。

 どこまでが政治活動で、どこまでが選挙運動なのか、厳密に区分けするのは容易ではない。自治省は、明確なガイドラインを示す必要がある。

注:96年10月、自治省は「新党さきがけ」の回答願いに対して、公選法とインターネット情報に関しての見解を発表した。

 さて、諸外国の状況はいかがなものであろうか。

 わが国で禁止されているインタネットを利用した選挙運動は、海外主要国では原則自由で規制は見られない。

 アメリカでは、11月の大統領選に向け各陣営が盛んにホームページを利用。「史上初のインターネット選挙」といわれるほどの過熱ぶりだ。

 イギリスでは、野党の自民党がマルチメディア利用に最も熱心であり、パディ・アッシュダウン党首自身が、市民との電子メール交信に励んでいるといわれている。

 ドイツも、3月の州議会選挙で選挙運動に利用され、各政党がホームページを開設している。同じく、3月に総選挙があったオーストラリアでは各党がホームページで火花を散らした。

◇◇アメリカの主な政党関係のホームページへのリンク◇◇
◎ ホワイトハウス
◎ 民主党
◎ 共和党
◎ 大統領選挙関連
※リンク切れ

 このように、インターネットを利用した選挙運動は、何の規制も加えない、自由が大原則なのである。

 私は、日本でもこの原則を定着させるべきだと主張する。

 従来の選挙運動に利用できる「文書図画」、つまりポスターやハガキ、ビラ、選挙広報は、その情報を必要としない人にも送りつけられる可能性がある。テレビやラジオ、新聞等のマスコミも同じ性質がある。こうしたメディアは、公選法での規制の枠がはめられてもいたしかないと感じる。

 しかし、インターネットというメディアは、その情報を得る人は積極的、能動的アクションを起こして、初めてその情報が得られわけである。インターネット上の情報は、ほしい人が、ほしい時にアクセスしてくるのである。こうした、インターネットの本質を無視した、規制論には大きな矛盾を感ずるのである。

 日本でもホームページ上の活発な政策論争を期待するものである。

注:本文中の諸外国の実例等は「読売新聞1996/5/6号」からの情報を参考にさせていただきました。




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自己紹介
井手よしひろのプロフィール

茨城県議会議員の
井手よしひろです。
茨城県の県政情報、
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発信しています。

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