もてなしの心が歴史的な街並みやひな人形にいのちを吹き込む
 茨城県の西部、筑波山麓の桜川市真壁の「真壁のひなまつり」が賑わっています。井手よしひろ県議は、2月25日午後、真壁町を訪れ、地元古川静子市議ご夫婦のご案内で、「真壁のひなまつり」を満喫しました。
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 このひな祭りは、毎年立春の日〜3月3日までの1ヶ月間、真壁町の市街地一帯で開催されています。2003年1月、当時の旧真壁町の商工業者や町職員らが、家庭に眠っているひな人形を飾り、真壁の良さをPRしようと、「グルッぺ和の風」を立ち上げて呼び掛けたのがきっかけ。参考写真今年で5回目を迎え、約150軒の蔵や商店、民家に、その家に代々伝わったひな人形が飾られ、観光客はひな人形を見ながら地元の人たちと語り合ったり、お茶や甘酒を戴いたりと「人と人との触れ合い」を体感できます。
 観光客数は、2004年に1万4000人、05年と06年は8万人と大幅に増えています。今年は、昨年を上回る人出となっており、商店街への経済波及効果も1億円近くに達するのでは、と地元桜川市真壁商工会は分析しています。
参考写真 真壁地区には約300棟の歴史的建造物が残り、うち104棟が国の登録文化財に指定されています。見世蔵などの貴重な建物が残る街並みを散策しながら、江戸時代や明治の貴重なひな人形などを見て回る。ただ、これだけの仕組みですが、実際に観てみると飽きずに楽しめるのに驚かされます。商家だけではなく、一般の家庭にも、その家の家宝のひな人形が飾られ、観光客が気軽に家の中まで散策できます。その家の家人が、ひな人形の由緒などを気楽に話しかけてくれる。茨城人は、どちらかというとホスピタリティーに欠けるといわれているのに、この真壁の地ではまるで正反対です。もてなしの心が、歴史の街並みとひな人形にいのちを吹き込んだといえます。参考写真
 また、今年からは、商工会が特産品を育てようと「すいとん」の商品開発にも取り組んでいます。地元の食材を使って名物料理を作ろうと、現在では15店ですいとん料理を提供しています。ただし、ひな祭り期間中は、お昼には売り切れになってしまいますので要注意です。
(写真説明:上から)潮田家では江戸・明治・大正・昭和の四代のひな人形が一堂に、目抜き通りの賑わい、石田金物店の創作雛、塚本家のお雛様
参考:「蔵の街・真壁のひなまつり」和の風第五章
真壁の町並み 輝き増す歴史と伝統
茨城新聞(桜川紀行<7>2005/12/13)
 筑波山を東に望む桜川市真壁町地区(旧真壁町)。旧市街地には江戸時代から明治、大正期にかけての土蔵、見世蔵、門など古い建物が多く残る。かぎの手に曲がった通りも城下町特有の町割りで、約四百年前にタイムスリップしたかのような気にさせてくれる。郷愁を感じながら、マップを片手に散策したり、スケッチや写真撮影を楽しむ人が年々増え続けている。
 中世にこの地方を治めた真壁氏の城下町として栄えた古い町並み。江戸時代に入ると、木綿を中心に大豆、麦などが栽培され、綿織物、醸造業などが発達し、在郷町となった。今も造り酒屋、しょうゆ・みその醸造所などがあり、歴史香る重厚な建物は富を築いた商人町の象徴だ。
 「当時はほうぼうから客が押し寄せ、町中がとてもにぎわっていた」と、先祖代々が呉服店などを営んだ潮田昇一郎さん(74)は説明する。
 今も戦前の伝統的建造物は二百六十棟以上残り、うち国の登録文化財は全国屈指の百四棟。これらの町並みを一体的に保存しようと、旧真壁町が立ち上げた保存対策調査検討委員会が二〇〇三年から学術的な調査を進めている。来年三月には調査も終わり、建物修繕などを自治体が助成する伝統的建造物群保存地区(伝建)の指定に向け、新たな一歩を踏み出すことになる。
 旧真壁町で最初の登録文化財に登録され、町登録文化財を生かす会会長でもある潮田さん。「多くの人に見られることで、自分たちの家の素晴らしさに気付いた人が増え、登録文化財も比例し増えた。必ず良い方向に進んでいく」と期待する。
 こうした動きは十二年前に発足した民間ボランティア団体「ディスカバーまかべ」(塚本和二郎会長)の存在が大きい。老朽化した建物の取り壊しを危惧(きぐ)した住民が、蔵を使った絵画展やコンサートなどの町並み保存運動を展開してきた。
 自ら経営する書店前の空いた建物を休憩所に改装した川嶋利弘さん(62)もその一人。「シャッター通りをなくし、お茶を自由に飲みながら交流できる場所にしたい」と願う。早朝午前五時すぎ、休憩所を開け、通りを清掃するのが日課だ。
 〇三年からは、旧真壁郵便局を活用した町並み案内などにも力を入れている。
 まちづくりの発想豊かな町。ひなまつりの時期になると、商店や民家がおひなさまを飾る「町ごとひなまつり」が好評。先月末も、一部の登録文化財を一般公開し、和服での散策、茶会、藍(あい)染展などの催しを行い、観光客がどっと押し寄せた。
 「真壁が真壁じゃないみたいだ」。ここ数年のにぎわいに正直驚く川嶋さんだが、「観光客が多いから良いわけではない。まちづくりは人づくり。観光交流の地にしなければ」と強調する。
 今も発掘調査が続けられ、“真壁発祥の地”町のシンボルともいえる国指定史跡の真壁城跡は、土塁や建物なども復元し、将来は史跡公園として整備される予定。
 落ち着いた風情を残した古い町並みは、住民、行政の手によって支えられ、今後も輝きを増し続けることだろう。次世代を担う子どもたちの宝になってほしいとの願いが強く込められている。
真壁の町並み
 平安時代末から戦国時代に繁栄した真壁氏の居城・真壁城の西側に位置する城下町。真壁氏が秋田へ去った後の一六一五年、真壁藩に移った浅野長重が領内検地を行い、現在につながる町割りを完成させた。真壁、古城、田、飯塚、桜井の約一・二平方キロ一体保存に向けた調査範囲