参考写真 7月26日、4年ぶりに高校の同窓会に出席するために、東京小平市の母校を訪れました。
 昭和47年春から3年間、親元を離れて寮生活を経験。人生の中で一番真剣に、一番熱く、一番様々なことを学んだ時を刻みました。
 卒業以来34年の歳月を経て、学舎の様相も変わり、学校に向かう多摩川上水の木々も緑も一段と濃くなりました。
 いつもやさしく迎えてくれる母校でしたが、今回は別の感慨で胸が熱くなりました。
 私の岳父は苦労に苦労を重ねて、一人息子の私を東京の高校に出してくれました。縫製工場の経営に失敗し、まったく違う業種のサラリーマンとして再起。自分たちの食べるものも節約して、入学金、授業料、寮費そして小遣いと工面してくれました。高校の詰め襟の制服で、父と映った写真は、仏頂面の父の顔が少し微笑んでいました。
 その父が、この春他界。母校の校門をくぐったその瞬間、父の笑顔が甦りました。わが母校は、人生の原点でもあるとともに、父の魂迫が込められた地であると実感しました。
 その思いに応えられる人生を送りたいと決意を新たにしました。