冒頭陳述で検察側、小沢氏側が「天の声」
 政治家と企業の癒着の根深さを、検察当局は鋭く指摘しました。
 民主党の小沢一郎代表代行が代表辞任に追い込まれた西松建設による違法献金事件の初公判で、東北地方の公共工事受注業者の選定に決定的な影響力を持っていた小沢氏側の主導によって、西松建設が総額2億円を超える巨額な献金を続けていた構図が明らかにされました。
 検察側の冒頭陳述によれば、小沢氏側は特定企業から多額の献金を受け取っているとの批判を避けるために、西松建設に対して献金名義を分散するよう要求するなど、積極的な働き掛けを行っていました。
 なぜ、そこまでして巨額の献金を受ける必要があったのか。小沢氏をはじめ民主党には、国民が納得できる明快な説明を改めて強く求めたい。
 今回の事件は、西松建設が小沢氏側への企業献金をダミーの政治団体からの献金と偽り、政治資金規正法違反に問われたものだ。6月19日に行われた西松建設前社長・国沢幹雄被告の初公判では、同被告がこの起訴内容を全面的に認めました。
 小沢氏や民主党はこれまで、十分な説明責任を果たさないばかりか、的外れな検察批判を繰り返すなど、不誠実極まりない態度を取り続けてきました。
 小沢氏は「一点もやましいことはない」と開き直り、「徹底的に説明責任を果たす」(鳩山由紀夫代表)として立ち上げたはずの第三者委員会でも、「一方的に小沢氏の側に立った報告書」(読売新聞)をまとめ、国民が率直に感じている「なぜ巨額の献金を受けられたのか」「それを何に使ったのか」などの疑問に答えないまま幕引きを意図していると見られています。
参考写真
 しかし、検察側の冒頭陳述では、小沢氏側が岩手、秋田両県の公共工事で、東北地方の談合組織に「天の声」を出していたと指摘。公判に提出された供述調書から、小沢氏の公設秘書の大久保隆規被告が工事受注への力添えを要請されたのに対し、「よし、わかった。西松にしてやる」と答えた生々しいやりとりも紹介されました。
 さらに、大久保被告自身が、ダミー団体名義の献金が実質的に西松建設からの企業献金だと知っていたと認める供述調書も読み上げられています。
 小沢氏側による西松建設への関与が、これほど具体的に示された以上、民主党もこれまでと同様にほおかむりを続けるわけにはいかないだろう。
問われる民主党の政権担当力
 かつて民主党は西松事件に対して、「天が民主党に課した試練。本番の総選挙前の最終テスト」(菅直人代表代行)などと言っていました。
 政権政党は特に、何か問題が起こったときの危機管理能力が問われる。次期衆院選での政権交代を掲げる民主党だが、西松事件への対応では、何ら説明責任を果たそうとせず、党としてのガバナンス(統治)のなさをさらけ出しています。西松事件の説明責任を全うすることが、民主党に強く望まれています。
西松建設の巨額献金事件<検察側冒頭陳述要旨>
 西松建設の巨額献金事件で、政治資金規正法違反罪などに問われた前社長国沢幹雄被告らに対する検察側冒頭陳述の要旨は次の通り。
【身上・経歴】
 国沢被告は2003年に社長になり、09年1月に辞任。藤巻恵次被告は04年に副社長となり、08年10月辞任した。
【外為法違反事件】
 国沢被告は1995年以降、裏金の管理を所管。藤巻被告も94年以降、関与し、タイの工事の水増し発注などで裏金を捻出した。1千万円程度に小分けするなどして、国内に持ち込まれた裏金は計1億8千万円以上に上り、工事受注の謝礼などに使った。
【政治資金規正法違反事件】
 95年1月施行の政治資金規正法改正により、上限額や献金者の氏名などの公表基準が厳格化され、社長・会長らから対処を指示された国沢被告は、経営企画部長らから実体のない政治団体の名義を使って献金すれば、社名の公表を避けられるとの提案を受け、了承。95年11月、新政治問題研究会の設立を届け出た。献金元名義を分散させることとし、98年10月に未来産業研究会の設立を届け出た。
 国沢被告らは会費名目で西松建設の資金を移して献金の原資とし、幹部社員を選んで、名目上の会員として名前を借りることを了承させた上、賞与に一定額を上乗せして支給する一方、賞与の時期に指定した金額を新政研・未来研名義の預金口座へ払い込ませていた。05年末に脱談合宣言されたのを踏まえ、06年末から07年にかけ解散を届け出、西松建設の献金の枠組みが終了した。
 岩手県内の公共工事については、80年代前半ごろから小沢一郎議員の事務所が影響力を強め、小沢事務所の意向が「天の声」とされ、本命業者の選定に決定的な影響力を及ぼすようになった。97年ごろから秋田県内の公共工事に対する影響力も強め、一部談合でも小沢事務所の意向が「天の声」となった。受注を希望するゼネコンは小沢事務所に、自社を談合の本命業者とする「天の声」を出してほしいと陳情し、事務所から了承が得られた場合には、談合の仕切り役に連絡し、当該ゼネコンを本命業者とする談合がとりまとめられていた。
 国沢被告は東北支店長から、必ずしも小沢事務所との関係が良好でなく、岩手県内の公共工事を思うように受注できない状況にあるため、小沢事務所の要求に応じ95年中に1千万円超の献金の了承を求められた。
 西松建設東北支店長は97年、小沢事務所と交渉し、年間2500万円を継続的に小沢議員側政治団体に寄付すると申し合わせ、1500万円は西松建設から、1千万円は下請け企業群から寄付する枠組みを採るとした。00年分の寄付は小沢事務所側から、多額の献金として社会の耳目を引かないよう、西松建設側の献金名義をできるだけ分散してほしいと要請された。国沢被告らは、小沢事務所からの便宜供与などを確実に隠ぺいするため以後、西松建設名義での寄付はやめ、未来研名義の献金を加え、関連会社にも一部を負担させた。
 小沢事務所では00年から02年にかけて、公設秘書の大久保隆規被告が東京での秘書の取りまとめ役として、献金をめぐる企業との交渉や談合での「天の声」の発出などをするようになり、岩手県の遠野第2ダム建設工事などに関し、西松建設を本命業者とする「天の声」を発出するなどした。
 西松建設は95年以降、06年まで小沢議員側に対し多額の寄付をする一方、東京の小沢事務所を訪問して工事受注を陳情、同ダム建設など5工事に関し「天の声」を得た。同ダム建設を除く4工事で実際に談合が成立し、西松建設のJVが受注した落札額は計122億7千万円(西松建設持ち分計約59億円)だった。