参考写真 9月1日、日立市は市制施行70周年の佳節を迎え、記念式典が日立市民会館で盛大に開催されました。日立市は昭和14年(1939年)9月1日に、日立町と助川町が合併して誕生しました。その後、昭和19年には人口9万人を超える県下最大の都市となり、昭和30年には1市2町4村による合併が行われ、翌31年には豊浦町、そして平成16年には十王町との合併を果たし、現在に至っています。
 日立市の歴史は、日本鉱業の銅山とその電動機メーカーとして誕生した日立製作所の発展と共に歩んだと言っても過言ではありません。銅を製錬する際に発生する煙害との戦いは、新田次郎の小説「ある町の高い煙突」に詳しいところですが、その結果生まれた東洋一(当時)の大煙突と街中に植えられた桜の木々は、環境都市ひたちの象徴でもあります。戦時中、日立市は軍需工場であった日立製作所の各工場が、1トン爆弾によるB29の空爆や艦砲射撃によって、一面の焼け野原と化しました。幾多の困難を乗り越え、日立の輝かしい歴史と伝統が築かれて来ました。
参考写真 こうした70年の歴史を振り返りながら、樫村千秋日立市長は、「日立市は、誕生して間もなく戦禍により多くの尊い命を失い、人々の生活は大きな混乱に見舞われました。しかし、市民の皆様方の努力の積み重ねによって大きな悲しみと苦難を乗り越え、見事に復興と成長を遂げ、『ものづくりの都市』として今日へと発展してきました。改めて、市民の皆様のこれまでの多大なるご尽力に深く敬意を表する次第です。市制施行70周年の節目である本年は、今後の目立市を考える契機であります。先人から受け継いだ日立市を、更に住みよい都市として次の世代に引き継ぐことが私たちの使命であります。新たな発展の礎を築くとともに、まちづくりへの情熱を世代を越えて伝えていかなければならないものとの思いを新たにしております」と式辞を述べました。
 式典では、市制の功労者300人余りに表彰が行われました。また、小・中・養護学校の児童生徒による作文・絵画コンテスト優秀作品の表彰、記念映像の上映、アトラクションなども行われました。
 日立市では市制70周年年の記念事業として、市内の子どもたちに自分の住む故郷日立の未来の姿を考えてもらいために、「私たちがえがくみらいの日立」作文・会画コンテストを実施しました。式典では、その優秀者が表彰され、大沼小学校5年生の渡辺さちさんらの作文が朗読されました。
「エコシティー日立」
大沼小学校 5年 渡辺さち

参考写真 海岸線に巨大な風車が立ちならんでいます。海からの風を受けて風車はぐるぐると勢いよく回っています。風車が回ると電気がつくられるのです。風車は風力発電機なのです。その発電機がまるで松林のように海岸線にならんでいます。家々の屋根には、キラキラ光るパネルが取りつけられています。太陽光発電のパネルです。それぞれの家で電気をつくっているのです。
 道路を走っている車は電気自動車。燃料はガソリンではありません。電柱からいつでも充電できる電気燃料です。
 このように、私の住む日立市は地球を苦しめるガスを出しません。それをみんながほこりにしています。そう、私がえがく日立市の将来は、かん境(環境)に優しい街「エコシティー日立」です。
 なぜ日立市がかん境(環境)に優しい街になってほしいかというと、将来、私が大人になったときも、青い海や、緑の山が今のままであってほしいからです。すばらしい平和通りのサクラや学校の校庭にさく花々がいつまでも色あざやかであってほしいからです。建物が、はい気(排気)ガスですすけ、道路にゴミが散らかっているような街に、私は住みたくないからです。はい色(灰色)の海や赤ちゃけた山、かれて花がさかなくなったサクラを見たくないからです。
 日立市は昔から、かん境(環境)を守るのに一生けん命(一生懸命)な街だと聞きました。そのシンボルが「大えんとつ」(大煙突)です。銅の生産で日立こう山から出たけむりは、周囲の山々の木をからす「えん害」(煙害)を引き起こしました。このえん害(煙害)をふせぐため今から百年近く前に建てられたのが高さ155.7メートルの大えんとつ(大煙突)です。これを建てるため、そのころの人々や会社はいっしょになって努力したそうです。その物語は「ある町の高い煙突」という小説にもなっています。かれた山に緑を取りもどすため、サクラが植えられました。日立市のサクラはここからふえていったのだそうです。私たちの日立市は百年も前から、かん境(環境)に優しい活動をしていたのです。
 では、「エコシティー日立」のために私にできることはどんなことでしょう。最近、私の家の近所のスーパーがビニールぶくろの無料配布をやめました。そのため、買い物をするときはいつでもエコバッグを持って行くようになりました。資源ゴミ回しゅう(回収)のためビンやカン、ペットボトルの分別は前からやっていましたが、近ごろはトレーやプラゴミなどもっと細かい分別もするようになりました。
 そのほかにも、毎日の生活や身の周りのことに気をつければ、できることはまだまだたくさんあると思います。一人一人ができることは小さなことですが、みんなが協力すれば大えんとつ(大煙突)のような大きな力になると思います。