参考写真 今から10年前、1999年9月30日は、私とって特別な一日でした。県議となって2期目、普段通りに9時過ぎに自宅事務所を出て県議会に向かっていました。12時過ぎ公明党の茨城県本部から一報が入りました。「東海村の原子力施設で爆発事故があり、けが人が出た模様」との声は、得体の知れぬ事件が進行していることを予感させました。
 茨城県東海村のウラン加工施設「ジェー・シー・オー」(本社・東京:JCO)東海事業所の転換試験棟で、臨界事故が発生したのは、午前10時35分頃、JCOの作業員3人が大量の放射線を浴びる事故が発生しました。うち2人は重症で、国立水戸病院に搬送され、その後、千葉市の放射線医学総合研究所に移送され治療を受けましたが、残念ながら不帰の人となりました。日本の原子力産業で初の犠牲者となりました。
 転換試験棟でウラン溶液を混合中に、規定の約7倍の溶液を沈殿槽に注入したことで、核分裂反応が連鎖的に続く「臨界」が発生。「裸の原子炉」となり、中性子線などが放出され続きました。参考写真核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」用の燃料を作るため、濃縮度18.8%のウラン酸化物の粉末を硝酸で溶かし、硝酸ウラニルを作る作業中に起きました。作業員の1人が溶解槽からウラン約16キロを約5メートル離れた沈殿槽に入れたところ、沈殿槽から「青い光が出た」と証言しています。通常は約2.3キロのウランを硝酸に入れていますが、この日は約16キロのウランを入れたため、ウランが核分裂反応を起こした可能性が高いとされています。
 臨界事故という、正に想定外の事故に原子力事業者も市町村も県も、そして国も混乱を極めました。周辺住民(350メートル圏内)の避難要請が出されたのは午後1時56分、事故発生から3時間以上も経過していました。県が中性子線のサーベイ(検出調査)を始めたのは午後3時になっていました。
参考写真 私が、東海村役場を訪れたのは午後2時過ぎ。すでに、地元の公明党村議根本鉄四郎氏(当時)は12時30分には村役場に駆けつけ、現状把握に努めていました。根本氏は原子力関係の事業所の職員であったこともあり、ことの重大性をいち早く認識し、村の幹部職員と共に対策本部を走り回っていました。
 村役場の中は混乱を極めていました。事故発生以来、原子力関係者、県や国の関係者、それに続々と多くのマスコミ関係者が押しかけきました。特に、マスコミ関係者への対応が全くなされていなかったため、どこから誰が情報を提供するかなど、殺気だった声がフロア中に飛び交っていました。
 午後3時過ぎ、私はJCO周辺の様子を確かめようと、自家用車で事業所に向かいました。県道や国道などの主要道路には、白い簡易型の防護服をきた警察官が立ち、道路を通行止めにしていました。しかし、一歩裏道から事業所に向かうと、そこはフリーパスで、JCOの裏側を抜けて周囲を一周することが可能でした。
 事故直後にJCO事業所の職員が施設内の放射線量を測ったところ、1時間あまりで0.84ミリシーベルトを記録。これは通常、一般の人が年間に浴びる放射線量に相当する量でした。県によると、事業所すぐ外側の道路で一時、通常値の1万6000倍に達しました。施設から約2キロ離れた地点の放射線量も、通常の約10倍を記録しています。
 そんな中、車に乗ったままとはいえ、臨界事故の現場から500メートルしか離れていないところを通っていたことになります。
 その後、村役場に戻り、党本部とも連係を取りながら善後策を検討。その日の午後8時には、住民の健康管理や情報提供、風評被害の予防などを骨子とする要望書を東海村長宛に提出しました。住民が避難している村のコミュニティセンターなどを、根本議員と共に視察しました。
 午後9時過ぎに、一端自宅に帰り、今日一日現場で得た情報を整理し、ホームページにアップしました。そもそもJCOという会社自体がほとんど地元にも知られていなかったために、所在地や会社の状況、事故の時系列の紹介記事にも、7000件以上のアクセスが集中しました。
 しかし、こうした間も裸の原子炉と化した沈殿槽は 臨界の状態が継続していました。そのため多量の中性子線とガンマ線、核分裂で生れた放射性物質の放出が続きました。
 日付が変わった10月1日、午前1時40分、第一回の現地対策本部会議が開かれました。沈殿槽の回りの冷却水の抜き取りが決定。きわめて過剰な放射線を浴びながら、写真撮影班2名と16人の作業員が決死の作業をした結果、臨界反応は、午前6時15分頃やっと終息しました。その後、中性子の吸収材(ホウ酸)が注入されて臨界に関しては危険性はなくなりました。
 こうして、付近住民ら666人が被ばくし、このうちJCOの作業員2人が死亡、1人が大量被ばくし臨界事故は終息。国際原子力事象評価尺度は国内最悪のレベル4と認定。2003年3月、当時の事業所長ら社員6人と法人としてのJCOに業務上過失致死罪などで有罪判決が言い渡され、確定しました。
 臨界事故から10年が経過した今日でも、まだ住民の健康被害への危機感はつのっています。年1回の健康診断に今も200人を超える住民が訪れています。
 健康診断は、茨城県が国の交付金による基金を活用して全額負担して実施しています。県が東海村などと協力し、血液検査やレントゲン撮影などを行っています。
 JCO事故現場近くで自動車部品製造工場を営んでいた大泉昭一氏夫妻は健康被害を訴え、JCOなどを相手に損害賠償訴訟を係争中です。昨年、自宅を訪問した際、大泉氏は「日本初の臨界事故があり、被曝したことを語り継がなくてはいけない。そして、現に健康被害で苦しむ患者がいることを忘れないでもらいたい」と語っていました。
(写真上:臨界事故が発生した沈殿槽の原寸大模型、写真中:事故当日の東海村役場の模様、写真下:事故翌日の非難施設の模様)
参考:1999年当時の臨界事故扱った井手県議のホームページ