小沢氏らに法の抜け穴を利用された政党助成法?
 政党助成制度は、議会制民主政治における政党の機能の重要性に重きをおき、国が政党に対する助成を行うことにより、政党の政治活動の健全な発達を促進し、民主政治の健全な発展を促すために設けられた制度です。平成7年1月1日に施行されました。
 毎年の政党交付金の総額は、人口に250円を乗じて得た額を基準として予算で定めることとされており、直近の総額は約320億円です。総務大臣は、各政党から届出のあった所属国会議員数、衆議院議員総選挙及び参議院議員通常選挙の得票数に応じて、各政党に交付する政党交付金の額を算出します。
 政党交付金の使途は、政党の政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならないとされています。
 一方、政党は政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を適切に使用しなければならないとされています。政党交付金の使途の適正については、使途の報告を通じて広く国民の前に明らかにして、国民の批判と監視の下に置くことにより、これを図ることとされています。
 このような国民の貴重な税金によって交付されている政党助成金ですが、政党が解散した際や他の政党と合併した際の助成金の流れが問題となっています。
政党交付金、国庫へ返還なし 解散17党、残高ゼロ
共同通信(2010/2/10) 
 政党交付金制度が導入された後に解散した17政党すべてが、解散後に交付金を国庫に返還していなかったことが10日、各党の使途報告書などから分かった。民主党の小沢一郎幹事長が党首を務めた自由党と同様に、所属する議員の政治団体への寄付などで使い切って残高ゼロだったのが9党。残りの8党は後継政党に資金を引き継いでいた。<以下略>
 共同通信によると、政党が解散する前に所属議員の政治団体などに政党助成金を含む政党の政治資金を、寄附することによって、助成金の返還を免れているケースが9つもあったことが報道されています。
 民主党の小沢一郎幹事長をめぐる、その政治資金疑惑にはこの政党助成金に関するものもあります。
参考写真 小沢氏が党首だった自由党は平成15年に民主党との合併に伴って解散されました。その際、政党助成金約5億6千万円を含む党資金約15億5千万円が、小沢氏の関係政治団体「改革国民会議」に寄付の形で移動されました。
 また、政党助成金制度ができる前のことではありますが、新生党も6年の新進党への移行時に、残金の大半の約9億2000万円が小沢氏関係の政治団体「改革フォーラム21」に寄附されています。このうち約5億円は、政党助成金同様、国から交付された立法事務費でした。
 そもそも政党助成法の成立には、小沢氏が深くかかわったとされています。法律を作るものが、わざわざ法の抜け穴を作っておいて、自らの懐を潤す。こうした行為が行われていること自体に、国民をもっと怒りを表さなくてはいけないと思います。
 1月20日、公明党と自民党は、政党助成金法の改正案を衆議院に共同提案しました。この改正は、政党が解散決定後に政党交付金の残額を他の政治団体などに寄付する“返納逃れ”を禁止することが目的です。さらに、既に解散した政党の交付金の残額を国庫に返納することができるようにするため、国会議員やその候補者が国に寄付することを禁じた公職選挙法の適用除外規定も盛り込みました。
 民主党は、この政党助成金法の改正に積極的に取り組むべきです。
政党助成金を解散時に使い切った9つの政党
平和・市民1996年4月1995年に新党護憲リベラルから分裂して結党してた護憲派で中道左派の政党。代表は田英夫。1995年の参議院議員選挙では東京選挙区の田以外当選者を出せなかったために解党した。
太陽党1998年1月1996年に小沢一郎党首の党運営に関する確執から新進党を離党した羽田孜を中心に結成された保守政党である。1998年に解党。所属していた議員の多くが民主党に合流した。
フロムファイブ1998年1月1997年12月26日に新進党解党直前に設立された。細川護熙が代表となり、細川と同じく、新進党を離党していた樽床伸二と上田清司の衆議院議員と円より子と自由の会の国会議員だった江本孟紀の参議院議員の合計5名で結成していた。
市民リーグ2002年3月代表は海江田万里。1995年12月22日に日本新党解散を受け、新進党に参加しなかった海江田万里が日本社会党を離党した山花貞夫らとともに結成した。1996年9月28日に民主党結党に参加するために解党した。
改革クラブ2002年7月1997年に新進党の解散に伴い若手の保守系議員が小沢辰男を代表に結成した政党。2000年の第42回総選挙で党公認候補全員が落選し自然消滅した(正式解散は2002年)。現在存在する改革クラブとは別物。
自由党2003年9月新進党崩壊後に小沢一郎グループが設立した政党。2000年に自民党との連立派が保守党(のちに保守新党に改称)として分裂。2003年9月民主党に合同して解消。
解党時に政党助成金(約5億6000万円)を含む党の資金(約13億6000万円)が小沢一郎氏が関与する「改革国民会議」に寄付された。
保守新党2003年11月保守党が前身。元々あった保守党に民主党からの離党者を加えて結党された。2003年11月の衆議院総選挙で大敗を喫したことにより解党して自由民主党と合流した。
無所属の会2004年10月現行の制度では無所属の議員が公職選挙法の規定により、選挙運動や政党助成金などを受けるのに不利となるために組織された政党である。1998年に参議院クラブとして結成された。保守系の無所属議員から中道左派の無所属議員までいろいろな議員が所属していた。2004年6月21日に参議院選挙後に候補者落選によって議席を失い、政党要件を失うことが確実になったために解散した。
みどりの会議2004年11月2002年、中村敦夫氏を代表として結成された政党。2004年7月22日、参議院選挙の結果を受け解散した。
(茨城新聞2010/2/11日付記事、はてなキーワードの記述より取りまとめました)