時局講演会を大子町で開催(大子町文化福祉センター)

竜神大吊り橋を調査

ひたちなか市で時局講演会を開催(ひたちなか市文化センター)


 4月30日開催されたひたちなか市の公明党時局講演会で、井手よしひろ県議は、「国営ひたち海浜公園」の忘れられた、その前史について触れました。
 海浜公園の用地は、旧日本軍の東水戸飛行場。戦後の昭和21年に連合国軍に接収され、昭和24年からは在日米空軍の対地射爆撃場として利用されました。これが「水戸射爆場」です。
 しかし、訓練地としては人家に近いため、誤射・誤投下等の演習に伴う事故や事件が度重なり、中には、死傷者を出す事件もありました。
 このため、地元では「基地対策委員会」が設置され返還運動が活発に行われるようになりました。その後、県や国の返還に向けた努力が実り、昭和46年射爆撃演習の停止、昭和48年には射爆撃場の返還が決定され、大蔵省(現財務省)の普通財産として管理されることになりました。その用地に整備されたのが「ひたち海浜公園」です。
 水戸射爆場で起こった数々の事件の内、もっとも悲惨な事件が「ゴードン事件」でした。
 昭和32年8月2日、アメリカ空軍機が超低空飛行を行い、射爆撃場のそばの道路を自転車で通行していた毋子2名を戦闘機の車輪でひき殺すという事件が発生しました。戦闘機のパイロットだったゴードン中尉のいたずらだったということが判明。種類送検されましたが、業務上の過失として不起訴となり、被害者家族への補償金(約43万円)だけが支払われました。
 「さつまいも畑が飛行機の車輪でなぎ倒され、被害者の体がばらばらに散らばり、警察・消防関係者が長火箸で肉片を拾っていました。あたり一面さつまいもの葉が真っ赤な血で染まり直視できないほどでした」との証言が残っています。
 可憐に咲き誇る海浜公園の花々を見るとき、こうした歴史を思い出すことも無意味ではないと思います。

歩数【3000】歩・移動距離【147】km