参考写真 日立市の南部に隣接する東海村は、日本で最初に原子力の火が灯った村として有名です。1957年に日本原子力研究所(当時)東海研究所が設置され、日本最初の原子炉であるJRR−1が臨界に達して以来、多くの原子力関連施設が集積することになりました。
 現在は日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など多くの原子力施設が存在しています。
 また、2009年には、大強度陽子加速装置(J‐PARC)の完成によって、東海村は、新たな発展のエンジンを得たことになります。
 反面、1999年9月30日に発生した“JCO臨界事故”は、国内初の原子力被曝事故であり、2名の作業員が死亡し、施設の周辺住民の中性子線被曝や風評被害など、様々な影響がありました。
 現在、東海村では、「原子力センター構想」を策定中です。東海村に集積する研究施設を生かしながら、原子力の規制と安全管理、地域社会と調和した21世紀型のまちづくりがその目的。「原子力の推進か規制か」という論争を越え、核施設と地域住民が信頼を土台にまちづくりができるのか、期待が高まっています。
 9月25日、茨城大の研究者ら25人による民間有識者懇談会の初会合で、「原子力センター構想案」が示されました。
 構想案は「地方分権の理念」「東海村らしさ」など地域の主体性を基本理念とし、原子力研究の方向性については「持続可能」「安全や平和利用の基盤を支える」と安全性を重視する姿勢が強調されています。これまでの国策による推進一辺倒の限界を克服し、JCO事故の経験を生かして、原子力の有益性と危険性の両方を直視しようという考えが根底にあります。
 一方、この4月に、米ワシントンで開催された核セキュリティーサミットで、鳩山由紀夫前首相が、「アジア核不拡散・核セキュリティー総合支援センター」を東海村の原子力機構施設内に設置すると表明した構想との連携も、重要視されています。現在、原子力研究開発機構内で、受け入れ計画の検討作業が進んでいます。
 東海村の構想案では、この核セキュリティーセンターとも連携させ、原子力の一般教育だけでなく、原子炉を運転する作業員の教育、安全管理まで幅広い原子力教育が一括してできる環境整備を目指します。
東海村の原子力センター構想案に示された主な内容
「原子力センター」とは?
 東海村が目指す「原子力センター」とは、“原子力の拠点(Center Of Excellence)”を意味しています。原子力に関し、目標を共有し、優秀な人材と卓越した施設・設備が集約され、世界的に評価される地域という趣旨です。
東海村の特徴・期待と役割
1.わが国の原子力を半世紀にわたって先導(パイオニア)し、原子力利用の重さも体感(村民を巻き込む大事故を経験)してきた地域であること。
  • 昭和30年の開村以来、原子力政策の発展と重なる東海村の歴史は、村にとっての誇りであり、今後も国内外に対し、“東海村らしい”貢献を行う。
  • 原子力の有益性とともに、原子力の危険性も十二分に認識している東海村は、謙虚な姿勢を持って、地域社会と原子力が調和したまちづくりを推進する。

2.研究開発から原子力発電まで、原子力を総合的に実施できる高度な人材と施設・設備を保有しており、これは世界的にみても極めて珍しい地域であること。
  • 原子力の安全と平和利用の推進、新たな原子力科学の発展のために、“東海村らしさ”を生かし、積極的役割を果たすという新たな取り組みは、日本社会のみならず国際社会までもが期待するものである。

3.原子力エネルギーを積極的に利用しようという動向が世界的に広がりつつある中、原子力安全への懸念、核拡散や核テロのリスクの増大、さらには核燃料の安定供給、使用済燃料の処理や放射性廃棄物の処分といった課題をもたらしており、原子力と人類・地球・地域社会との共生・共存、このために必要となる原子力政策上の課題(特に人材基盤や科学・技術基盤)への対応が求められていること。
  • 地域社会と世界の安全・安心のために東海村ができることは何なのか。この点につき、積極的に提案し、行動していく必要がある。
  • 20世紀後半、原子力の民生利用の第1ステージにおいて、東海村は、国主導の下での20世紀型の「原子力センター」であった。
  • 地域主権が叫ばれる今日、経済発展至上主義から脱却し真に豊かで持続可能な社会を目指すべきとの理念がうたわれ始めていること、国の原子力政策においても電力自由化や核燃料サイクルの事業化に伴い転換期を迎えていることなどを踏まえ、東海村は、21世紀型の「原子力センター」として、自らが第2ステージにおける進むべき方向を再定義する必要がある。