参考写真 久しぶりに母校のOB会で、東日本大震災の被災県・岩手県の小野寺好県議のお話をうかがいました。公明党の岩手県本部代表として、被災者に寄り添っての震災復興への戦いに目頭が熱くなるものを感じました。
 その中でも、災害弔慰金に関する話しは特に印象的でした。
 小野寺県議ら公明党岩手県本部の市町村議員は、昼夜を分かたず被災者の支援に当たっていました。釜石市の山崎長栄議員ものひとり。大震災から1カ月経った4月中旬、山崎議員は津波で弟を失った女性から相談を受けました。災害の際にその遺族に国から支給される「災害弔慰金」と日赤からの義援金についての相談でした。女性によると、2人の弟が一緒に暮らしていましたが、生計を支えていた下の弟が亡くなりました。障がいのある上の弟に代わり、弔慰金と義援金の申請に行ったところ、市や県は「兄弟には支給できない。法律で決まっている」と門前払いされたとのことでした。
 「こんなことってあるんですか。弟の生活はどうなるんですか。悔しい……」。身を震わせて理不尽な対応を訴える女性。山崎議員は「兄弟姉妹が遺族と認められないのはおかしい」と、小野寺県議や党震災対策本部・復旧復興支援チームの座長遠山清彦衆院議員にこうした現場の実情を報告。ここから、公明党の地方議員と国会議員のネットワークを活かした戦いがスタートしました。
 災害弔慰金は、生計を維持する人が亡くなった場合には500万円、それ以外は1人につき250万円が支給されます。ただ、支給対象が配偶者、子、父母、孫、祖父母と限定されていたため、一緒に暮らしていたとしても兄弟姉妹には支給されない仕組みででした。
 さらに、善意で届けられた義援金の支給対象も、災害弔慰金の受給基準に基づいて支給されていたため、この兄弟には1円も支払われませんでした。
 小野寺県議や山崎議員が現場の声を聞いてからわずか20日後の5月16日。遠山衆議院議員は予算委員会の席上「このお兄さんには、弔慰金も、義援金も来ない。(津波を免れて)家が残っていたので(生活再建)支援金も来ない」と、身寄りのない被災者に、公的支援がない実態を指摘し、災害弔慰金の支給対象を兄弟姉妹に広げる必要性を叫ぶとともに、「義援金は(市町村の判断で)兄弟姉妹を対象にしていいと明確な通知を出すべきだ」と、厚生労働大臣に迫りました。(詳しくは衆議院会議録第177回第23号参照)
 この質問に対して、厚労相は「(義援金は市町村の判断で)自由にお決めになっていいというようなことも周知徹底したいと思います」と、義援金に関しては、生計を一にする兄弟にも支給することを認めました。
 一方、法律の改正が必要な災害弔慰金の問題は一向に進みませんでした。当初、6月22日とされていた国会の会期末まで20日と迫った6月初め、厚労省の役人が遠山議員の元を訪れました。「災害弔慰金については、議員立法で定められたもので、国会議員から提案する必要があるが、誰も何もやっていません」との報告。厚労相は「国会の場で議論してください」と、災害弔慰金法の改正に前向きな答弁をしたにもかかわらず、衆参400人もいる民主党の国会議員は何も行動を起こしませんでした。「もう時間がない。公明党が改正案を作ろう」と、6月8日、遠山議員は衆院法制局の職員と会せ案作りを始めました。作業は徹夜で進み、2日間で書き上げられました。
 その後、6月16日の党中央幹事会で山口那津男代表が改正案を発表。並行して民主、自民両党と協議が進められました。自民党はすぐにまとまりました。異論があろうはずがありません。しかし、民主党は違っていました。
 結局、公明案のまま衆院災害対策特別委員会に提出されたのは7月12日。遠山氏が国会で取り上げてから約2カ月、公明案 発表から1カ月が経っていました。
 この日の委員会で、改正案は全会一致で可決し、同日の衆院本会議で可決され、参院に送付。7月25日にに成立しました。
 現場の声に公明党地方議員が対応してから3カ月、災害弔慰金支給法は改正されました。自然災害で亡くなった人と同居していたか、生計を共にしていた兄弟姉妹を支給対象に加え、震災の当日3月11日までさかのぼって適用されることになりました。