参考写真 9月18日、茨城県議会は一般質問を行い、公明党の八島功男県議(土浦市選出)が登壇しました。八島県議は、1.若者の雇用戦略と県内中小企業の人材確保、2.いじめ対策と教育委員会について、3.成年後見制度の利用促進と市民後見人の育成について、4.固定資産台帳整備とインフラ会計導入について、5.霞ヶ浦の活性化について、6.防災情報ネットワークシステム再整備の6つの項目にわたって、知事、教育委員長、各部長に質問しました。
 特に、福岡和子教育委員長への質問と答弁は出色でした。「いじめはいかなる理由があろうとも許されない」。その基本的な考え方が質問にも、答弁にもすっきりと貫かれていました。福岡委員長の小児科医としての答弁も、教育委員会の存在価値を雄弁に語っていました。
 このブログでは、「いじめ対策と教育委員会について」の質疑を掲載いたします。なお、正式な議事録ではありませんのでご了承ください。
八島功男県議の質問
 はじめに、常陸太田市で亡くなられた中学生、また各地のいじめにより自ら命を絶った子供たちに心からのご冥福をお祈りいたします。子供たちの未来を思う時、痛惜の念に堪えません。かけがえのない命を失う「悪魔の連鎖」は絶対にあってはならないと声を大にして叫びたい。
 常陸太田市の中学生の自殺の要因の一つと思われる「死ね」というメール。また、今回の端緒とも言える滋賀県大津市の市立中男子生徒の自殺を契機とした「いじめ」の調査で発覚した「自殺の練習」などの残忍性や事件性は、私たちに大きな衝撃を与えました。
 かつて、1986年に「葬式ごっこ」といういじめがあったことを思い出せば、学校における「いじめ」と言う根深い病根は、長く広く蔓延し、解消し尽せないでいる現実を突きつけます。
 文部科学省が実施している「いじめの状況」調査では、茨城県内小中学校の認知件数は減少傾向にあるものの、解消に至らず継続支援やさらなる取り組みが必要なケースも2割程度あるとされ、「いじめ」に対して絶え間ない取り組みが必要なことが見て取れます。
 文部科学省は、いじめの定義を平成18年度調査から変更しました。いじめられたとする児童生徒の気持ちを重視し、「仲間外れ」や「集団による無視」など心理的な圧迫による苦痛や、金品のたかり、隠し、盗み、壊すなどの犯罪性に踏み込み、加えてネットや携帯サイトの誹謗中傷なども「いじめ」と広くに例示しました。
 そこで、いじめが、それを受けた側の感じ方次第で「いじめ」になったり、ならなかったりするため、学校・先生方にいじめ察知の戸惑いがあるようです。いじめと学校の関係が揺らいでいます。そして、いじめは大人世界の醜悪に瓜二つにも見えるのです。
 ともあれ、いじめは、その発生の初期に、速やかに芽を摘まなければなりません。無関心や傍観をなくし、縁あるすべての人が高い察知能力を鋭く駆使する必要があります。
 さて、今回の「いじめ」問題については、例えば、"夜回り先生"として有名な水谷修氏は、「いじめは、基本的人権を侵害する"重い罪"という考え方を共有することが大事」と指摘し、教育評論家の尾木直樹氏は、「けんかを軽くとらえ、いじめを見逃す教師の判断能力低下」を憂えて「継続的ないじめ防止教育」の不足を指摘しています。更に、「学校経営や教育委員会が管理社会になり、風通しが悪く、教育の成果が見えない」とまで発言しています。学校教育は、すべての生徒の素晴らしい個性ある才能を発見し、育み、開花させるための人間と人間が切磋琢磨する大切な人間形成の舞台だと考えます。いじめられる側もいじめる側の双方に、「等しく事情を見極めたい」と、「その後の人生いかばかりか」を思う学校の深い配慮があることも理解できます。
 しかしながら、いじめの病根を絶つために大事なことは、「いじめられる側にも問題がある」という無意識の錯覚を絶つことです。いじめる側と傍観する者を擁護してはならない。この世界に「いじめられてよい人」は居ようはずがありません。弱いからいじめられているのでは決してありません。いじめている人間の方が、自らの醜い心に負けている「弱い人間」なのです。そのためにも、「いじめをする側が、100%悪い」を学校や家庭、地域の内外に対し、簡潔そして明確に宣言するべきだと申し上げたい。これは、極端な言い方ではなく、信念の意思表示です。「いじめ」を絶対に正当化しないことからスタートすべきなのです。
 大津市のいじめによる自殺問題は、学校のアンケート調査や市教育委員会の対応に批判が集まりました。警察への被害届や損害賠償請求等から、刑事・民亊の事件性が問われる状況になっています。ここに至って、教育委員会は、「責任の所在がない」「姿が見えない」「機能しない」との批判や「もはや無用である」との厳しい論調もあるようです。
 そもそも教育委員会は、戦時下の軍国教育を繰り返さないよう求めるGHQの要請で政治権力から独立した組織として1948年に誕生した歴史があります。教育委員は首長により議会の同意を得て任命されます。
 私は、教育委員会無用論に与するものではありません。教育委員会の意義は大きく期待は高い。教育委員の皆さんのご職業やご経験から発想される教育に対する高い見識をもって教育行政をリードすべきだと考えます。教育委員会は、ともすれば内向きになる学校や教育行政を、外部視点から的確に助言すべきです。また、保護者や県民市民と直接対話し、広く県民の意見要望を聞くことも重要だと考えます。いじめ防止についての見解を発しても良いのではないでしょうか。
 そこで、いじめに対する見解、及び教育委員会運営への取組について福岡教育委員会委員長のご所見をお伺い致します。

福岡和子教育委員長の答弁
 いじめ対策と教育委員会について、お答え致します。まず、いじめに対する見解のお尋ねでございこます。
 この度、本県の中学生が自ら命を絶つという大変痛ましい事故が起こりましたことは、極めて残念なととであり、大変重く受け止めております。不幸にも、お亡くなりになりました子どもさんのご冥福を、心からお祈りいたします。
 いじめは、基本的な人権を侵害し、人間の尊厳を冒すことでありますので、絶対にしてはならない行為であり、議員ご指摘のとおり、「いじめられる側にも問題がある」など、いじめを正当化しようとする主張は、断じて許されないことでございます。このため、まずは、子どもたちに対して、「いじめは絶対に許されない」という意識を、学校教育活動全体を通して、徹底していくことが極めて大切であると考えております。
 また、私が教師に求めますことは、子どもたちのほんのわずかなサインも見逃さず、一入一人に寄り添った教育を行うことであり、その教師を、私たち教育委員会が、サボ−トしていくべきものと考えております。
 さらに、早期発見・早期解決のためには、医療関係者や警察、民生委員など、様々な立場にある地域の皆様方の大きな連携をもって、学校と保護者をサポートしていただくごとも必要でございます。
 いずれにいたしましても、本県の子どもたちが、楽しく学校生活を送れますよう、教育委員会が、その先頭に立って、いじめ防止に向け、全力を尽くしてまいりたいと考えております。
 次に、教育委員会運営への取組についてのお尋ねでございます。
 まず、本県の教育委員の活動状況について申し上げますと、教育課題を踏まえた学校訪問や、保護者・生徒との懇談会、さらには、市町村教育委員との協議会を開催するなど、私どもが、様々な場面に出向き、広く県民の方々の意向や教育現場の実情の把握に努めているところでございます。
 さらに、定例の教育委員会とは別に、教育委員同士による委員協議会や執行部との意見交換会などを通して、活発な議論を行っているところでございます。
 また、今回のいじめ問題につきましでも、緊急に委員協議会を開催し、市町村や学校への支援策を協議するなど、対策を講じてきたところでございまして、教育委員会制度を巡る厳しい意見がある中において、本県におきましては、その役割を果たしているもの認識しております。
 私は、小児科医として、日頃の診察を通して、子どもたちや保護者の方々の、様々な気持ちや悩みに接しており、また、学校医として学校とのかかわりも多く、教育委員会の会議等においては、それらの経験や意見を忌憚なく申し上げており、様々な教育施策に反映させております。
 私以外の委員も、それぞれのお立場から豊富な知見をお持ちでございますので、今後とも、活発な議論を行いながら、教育委員長として、本県の教育行政をリードしてまいりたいと考えております。