参考写真 公明党は、日本再建にかける3つの約束の中で「原発ゼロの日本をつくる」との、エネルギー政策の基本的な間上げ方を明確にしています。
 9月には、自公案をベースにした独立性の高い「原子力規制委員会」が発足しました。これに伴い改正される原子炉規制法では、公明党の主張により原子炉の最長運転年齢は稼働開始から原則40年に限定されます。したがって、少なくとも2030年までに原子炉は現在の約3分の2運転停止・廃炉になり、遅くとも40年後には「原発ゼロ」になります。公明党はそれをできるだけ前倒しするために、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの普及や、思いきった省エネ、火力発電の効率化に全力を注ぐと、公約しています。
 また、現在停止している原発の再稼働には、新しい厳格な安全基準が必要です。原子力規制委員会において、原発事故の教訓・国会事故調・政府事故調の提言を加味した、新しい安全基準を作り、その基準に則り地元の理解を得た上で再稼働の判断を行われるべきです。
 しかし、ここにきて原子力発電所の再稼働の是非を判断する手続きをめぐり、政府内に混乱が生じています。
 政府の原子力規制委員会は、原発の安全性を確認するが、再稼働の判断には関与しないとの見解をまとめました。田中俊一委員長は、「原発再稼働の判断はエネルギーを担当する省庁にお願いすべきだ」と発言しています。
 先月発足した規制委は、専門的で科学的な見地から、原発の安全性を審査する役目を担う。規制委設置法の趣旨を踏まえれば、至極当然な考え方です。原子力規制委員会は、原発の安全性の審査結果について、根拠も含めて地元自治体や周辺住民に分かりやすく説明することが一番の役割です。
 その上で、首相官邸や経済産業省など関係府省が、再稼働について決断をするのが常道だと考えます。
 しかし、藤村官房長官は、政府として再稼働を判断する関係閣僚会議などを「開催することは考えていない」と述べています。枝野経済産業相も「地元に了解を得るのは事業者」だと発言し、再稼動の判断は原子力規制委員会と事業者、そして地元自治体が行うとしています。
 この政府の姿勢は、余りにも無責任ではないでしょうか?
 例えば、茨城県内の東海第2発電所の事例で考えてみたいと思います。たとえ、東海原発の再稼動に際して、技術的な問題や津波対策など全てがクリアされたと原子力規制委員会が評価したとしても、その周辺に居住する100万人余りの県民の避難態勢が十分に整備できたかどうかを誰が判断するのでしょうか。極めて政治的・行政的な課題を原子力の専門的機関である規制委員会に判断させることは出来ません。その責任は国にあることは明確であり、再稼動の判断は国しかできないことは自明の理です。
 この当たり前の作業を、政府としては回避したいという思惑があります。全く無責任な姿勢と断罪しなくてはなりません。
 原子力規制委員会が、まず第一段階として安全性を確認する。その上で、電力需給の観点なども踏まえ、政府が周辺住民や自治体の了解を得た上で、再稼働の是非を判断する。このステップが必要不可欠だと考えます。
大間原発の建設再開は理が通らない
 一方、政府はJパワー(電源開発)が、東日本大震災の後、中断していた青森県の大間原発の建設再開を認めました。「2030年代に原発ゼロ」とのかけ声は何だったのでしょうか・
 原子力規制委員会の新しい安全基準も防災計画の見直しも、まだ始まっていません。この時期の見切り発車には同意できません。同様に建設途上にある中国電力・島根原発3号機を含め、拙速な工事再開には強く反対します。
 さらに、大きな矛盾は使用済み核燃料の再処理を続けるという民主党政権の結論です。ことは最も危険な核物質であるプルトニウムの扱いという、核の安全保障の問題にも直結するだけに、日本一国の問題に止まらず国際問題にも発展しています。
 大間原発は、再処理でつくるプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料で発電を行う日本初、否世界初の「フルMOX原発」なのです。原発ゼロの方針が決まったのであれば、当然使用済みの核燃料は排出されなくなり、その時点で再処理事業は破綻します。つまり、フルNOX原発の必要性自体が無くなってしまいます。
 民間会社であるJパワーにとっては、この大きな投資をどのように国が責任を取ってくれるのかという問題になるのかもしれません。しかし、Jパワーは高効率な火力発電に関するノウハウを蓄積し、海外での実績も豊富です。風力などの自然エネルギー開発にも前向きです。原発に伴う新たな負担を背負いこむより、むしろ原発ゼロの電力会社というメリットを生かした経営戦略に転換することが得策です。大間原発工事中止のリスクは、国が負うべきです。