第2次安倍内閣には、公明党から太田昭宏議長が国土交通大臣に就任しました。
 経済の再建に、防災・減災ニューディール政策の実現に、その行動力が大きく期待されています。太田大臣の新春のブログには、その決意が端的にまとめられています。
景気・経済、防災・減災ニューディールなどに全力!
国土交通相太田昭宏(2013年1月 1日)
 新しい年を迎えました。
 日本再建をかけた重要な年です。皆様の真心を全身で受け止め、全力で走り抜く決意です。地域のためにも働きます。本年一年、何卒よろしくお願いいたします。
 何よりも景気・経済の再建――。国力といっても、社会保障といっても、まず景気・経済の再建が大事です。円高・デフレを脱却し、細ってきている企業の基礎体力を回復させ、中小企業が元気になる施策を総動員させます。
 防災・減災ニューディール。「脆弱国土を誰が守るか」――私はその責を担うため、東日本大震災の復興に力を注ぐとともに、大地震や災害への備えを図ります。本格的な「防災・減災元年」です。
 外交の再建、社会保障の再建(持続性の確保)、危機管理体制の再建・確立など、全方位的に結束して頑張ります。

 その年頭の決意は、早速、東北三県の現地調査に繋がりました。
 1月4日太田国交相は、東日本大震災の被災地に就任後初めて入り、福島県相馬市の災害公営住宅(復興住宅)の建設現場や港湾施設などを精力的に調査しました。一行はまず、立谷秀清市長の案内で国交省の補助事業により、被災地第一号として完成した復興住宅「相馬井戸端長屋」を視察。阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、バリアフリー対応の設計や、入居者の孤立を防ぐ集会所など他県からも注目されている施設の特徴について話を伺いました。
 続いて、建設中の復興住宅を訪れ、今後の整備計画などの説明を受けた後、津波の被害を受けた相馬港にも足を運び、復旧・復興対策や工事の進捗状況を視察しました。
 太田国交相は、復興住宅の建設について「住宅問題は復興の要。一人暮らしの方やお年寄りに配慮した相馬市の先駆的な試みを一つのモデルに、被災地の知恵を集めてより良いものを造っていきたい」との見解を表明。地元が強く希望している常磐自動車道や被災鉄路の早期復旧に関しても「現場の実態に即して、もっと早く取り組み、地元の声に応えたい」と決意を語りました。
 翌5日、太田国交相は、宮城県内の被災地を精力的に調査するとともに、村井嘉浩・宮城県知事と会談し東日本大震災の復興へ向けた要望を受けました。
 この中で太田国交相は、三陸地域の“住民の足”の要となる鉄道の復旧に関し、津波で被災したJR気仙沼線で昨年末から本格運行が始まったバス高速輸送システム(BRT)の運行状況を視察。JR東日本の冨田哲郎社長の案内で、線路跡地をバス専用道に舗装した陸前階上駅を見回り、専用道整備計画などについて確認しました。
 さらに、気仙沼漁港を訪れ、漁業を柱に据えた気仙沼市の復興計画などについて菅原茂市長から話を伺いました。
 太田国交相はまた、津波にのみ込まれて町職員ら42人が犠牲になった南三陸町の防災対策庁舎で祈りを捧げた後、佐藤仁町長から津波警報の精度向上などについて要望を受けました。石巻市の日和山公園では、復旧・復興が進む市街地を一望しながら亀山紘市長からの要請に耳を傾けました。
 これらに先立ち、県庁内で会談した村井知事は「まずは現場に足を運んでくれた国交相の姿勢と視点に敬意を表したい」と語るとともに、(1)未執行の復興予算の弾力的な運用(2)復興に不可欠なマンパワーと資材の確保(3)被災したJR各線への復旧支援―などを要望しました。
 太田国交相は、就任後初の被災地視察を振り返って、「新政権のモットーは『全大臣が復興大臣』。今年こそは復興を実感できる年にしなければと改めて痛感した」と強調。「文字通りオールジャパンの応援態勢を組んで、復興を持続的かつ積極的に推し進めていきたい」と語りました。
・カツオが揚がった
愛知県豊橋市の地元紙:東日新聞(2012年12月27日付)
昨年6月大震災で、壊滅的打撃を受けた気仙沼漁港にカツオが揚がったというニュースが大きく流れた。
その陰に気仙沼漁協の声を受け、とにかく「カツオ、カツオ」と国を動かした太田氏の奮闘があった。
「『6月にカツオが揚がれば、気仙沼は生き返る』市長、副市長、漁業関係者から切実な訴えを聞きました。現場は船も港も街も復興どころか、復旧もままならぬ状況。「氷、油、エサの3つを支援してほしい」という訴えに、私は農水大臣、水産庁長官をはじめ多くの方に要請を行い、動いてきました。そしてカツオ水揚げ日本一の気仙沼に、カツオが揚がりました」(2011年8月、豊橋での産学官交流サロンでの講演)

 大震災からわずか3カ月後の6月28日の早朝。いまだ津波の傷跡が残る宮城県気仙沼魚市場は、震災後初めてのカツオの水掲げを待ち望む仲買人らで活気づいていました。
 三陸の海から漁船が入港すると「待ってたぞ!」と手を振り、笑顔で迎える海の男たち。朝日に照られ、キラキラと輝く“復興のシンボル”は、東北の町を大いに勇気づけました。
 当時の状況を気仙沼漁業協同組合の村田次男専務は次のように語っています。「まさかあんなに早く水場げができるなんて。本当に奇跡だよ。太田(現国交相)さんには感謝してもしきれない」と。
 大震災から9日後3月20日、気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長は、壊滅状態の市場に組合員らを集め「6月から市場を再開しよう!」と呼び掛けました。6月はカツオ漁の最盛期。<そうだ、カツオで復興の狼煙を上げるんだ>。瞬時に海の男たちの決意が燃え上がりました。
 翌日から敷地内のがれきの撤去に全力を挙げる一方、市場再建への工事に着手。しかし、肝心の冷凍用の氷や船の燃料油、エサのイワシが手に入りませんでした。視察に訪れる他党の国会議員に要望しても、現状は全く打開できませんでした。
 そんな中、“苦悩する現場”に通い、地元の声を国に届けたのは、当時議席を失っていた太田昭宏議長でした。「なんとか氷と燃曲、エサが手に入れば」との佐藤組合長らの切実な訴えを全身で受け止める、太田議長は、農林水産相や水産庁長官に財政支援を直談判するなど、矢継ぎ早に手を打ちました。
 こうした動きが奏功し、6月のカツオの水揚げに繋がったのです。
 気仙沼の漁業関係者に中には、太田国交相を親愛の情を込め“太田・カツオ”と呼ぶ人がいるそうです。国交相として被災地に戻った太田カツオ氏の活動に大きな期待が寄せられています。