参考写真 3月1日、県立多賀高校の平成24年度卒業式が盛大に行こなわれました。井手よしひろ県議は、アメリカ人権の母ともいわれるローザ・パークス女史の生涯を通して、卒業生にはなむけの言葉を贈りました。
 この日、3年間の学業を修了して、学舎を巣立った卒業生は276人。新たな希望に燃え新出発をしました。
 村田洋一校長は、「卒業証書を手にしたことは、多くの方々の支えがあった。このことへの感謝を忘れないでほしい」と語りました。その上で、「“一隅を照らす”という言葉を贈ります。一隅とは自分の立場、照らすとは一生懸命頑張るという事。生涯を通して学び通し、一隅を照らす人物に成長してほしい」と激励しました。
 在校生を代表して篠原けいかさんが、「つらい事や苦しい事があっても、多賀高校で培った3年間を思い出して、頑張って下さい」との言葉を贈りました。卒業生代表の横山りょうた君は、様々な学校行事の思い出を語り、「つらい経験も挫折の体験も、成長の糧となりました。東日本大震災で多くの教訓を得ました。人と人が支え合うことで大きな力が出ることを実感しました」と答辞を述べました。
平成24年度県立多賀高校卒業式祝辞
茨城県議会議員井手よしひろ
 県立多賀高等学校の平成24年度卒業式、誠におめでとうございます。
 ただいまご紹介をいただきました茨城県議会議員の井手義弘でございます。今日は、皆さんの大先輩である、この多賀高出身の菊池県議会議員も出席しておりますが、ご指名でございますので、一言、ご挨拶をさせていただきます。
参考写真 皆さんは、「アメリカ人権の母」と呼ばれる「ローザ・パークス」という女性をご存じでしょうか?
 パークスさんは、アフリカ系アメリカ人。つい最近まで、アメリカ南部の町では、レストランも、待合室も、バスの座席も、映画を観るのも、子供達の水飲み場さえも「白人用と黒人用」に分けられ、黒人はいつも一段下に置かれてきました。抗議をすれば、袋叩きにあう事も珍しくありません。「お前なんか、何をやっても無駄さ」「どうせ、出来っこない」「逆らうと、ためにならいぞ」どこへ行ってもやる気を奪われ、劣等感を抱かせられる現実ばかりがありました。
 しかし、パークスさんのお母さんは、常に励ましてくれました。「人間は苦しみに甘んじなければならないと言う法律はないんだよ。自尊心を持ちなさい。人から尊敬される人間になりなさい。そして、人を尊敬していきなさい」。この母から学んだ勇気と誇りを胸に、パークスさんは信念の道を歩みました。
参考写真 1955年の12月、仕事からの帰り道の事。市営のバスで「白人に座席を譲れ」と強要されたパークスさんは、毅然として「NO!」と言い放ちました。その結果は、不当な逮捕でした。
 しかし、彼女はひるみませんでした。町全体でバスのボイコット運動が起こったのです。抗議の波は、有名なマーチン・ルーサー・キング牧師らを先頭に25万人が参加した「ワシントン大行進」へと広がっていきました。そして、遂に差別撤廃を勝ち取る日を迎えたのです。今年1月には、黒人のオバマ大統領が二期目の任期をスタートさせましたが、パークスさんのこうした行動がなければ、現在のアメリカはありません。
 このローザ・パークスさんは、一流の大学を出た特別な人ではありません。中学を卒業して、すぐに就職し、当時はデパートの店員をしていた平凡な女性です。しかし、その勇敢なる一人の「ノー」の一言が、人々の心を変え、世界を揺り動かしたのです。
 パークスさんは、晩年親しい友人に語りました。「私達は、人種差別はきっと無くなると信じていました。そして、必ず、そうなると望んだが為に、現実に変化を起こす事が出来たのです」と。
 心の力は無限大です。世界は広く大きい、宇宙は更に広く大きい、しかし人間の心は、更に広くて大きいのです。人に何と言われようと「必ず自分は出来るんだ!」と信じる事が大事です。「決意のあるところ道あり」。勇気を出して、自分が変われば周りも変わる。全てが変わる。勝利の道は、必ず開かれる。と、信じて下さい。
 今日よりは、より大きな世界へ飛翔される多賀高卒業生の皆さんのご健闘を、心よりお祈り申し上げ、簡単ではございますが、お祝いのご挨拶といたします。本日は、本当におめでとうございました。
(写真上:若き日のローザ・パークス女史、写真下:パークス女史が逮捕時に乗っていたモンゴメリーの市バス。いずれもWikipediaから)