石巻市立大川小学校被災現場 in Japan
 8月9日、石巻市の大川小学校の被災現場を訪ねました。東日本大震災での学校としては最大の犠牲者を出した大川小学校。児童108人のうち74人が死亡・行方不明となっています。教員も10人が命を落としています。
 教育員会と遺族側には抜き差しならぬ対立構造となっているとマスコミは報道しています。
 そのポイントは「なぜすぐに裏山に避難しなかったのか」。大川小学校の惨劇への疑問は、この一点に集約されています。
 石巻市は、大川小学校への津波到達を想定していませんでした。市の「防災ガイド・ハザードマップ」は、大川小を避難所として「利用可」としています。新聞報道によると当時の校長は「堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった」と語っています。
 こうした議論を聞くにつけ、どうしても自分の目で大川小の地勢を確認しておきたかったのが、視察の動機です。
 第一印象として感じたことは、ここまで津波が押し寄せいようとは中々な想定できなかっただろうということと、裏山に子どもを逃がそうという決断は教師にとって非常に困難だっただろうということです。
 反面、この地を津波が襲ったならば、子どもたちの逃げ場は全くないということを想定しなくてはならないということも実感しました。
 「百聞は一見に如かず」。現場を知らず、意見を述べることは厳に慎むべきと反省しました。
大川小学校と裏山

大川小学校の裏山

大川小学校と裏山。生き残った児童生徒らは、この崩れやすい急峻な山に駆け登って、九死に一生を得ました。