南三陸町(2013/8/9)
 東日本大震災から2年6カ月、9月11日付けの公明新聞の社説は、被災地復興の視点を示す秀作だと思います。東京オリンピックの2020開催が決定し、日本はある種の高揚感に包まれています。被災地の復興をやり遂げて迎えるオリンピックになるのか、被災地を切り捨ててのオリンピックになるのか、私たち政治に関わる者の責任は非常に重いと、自らに言い聞かせています。
支援策、もっと大胆に、もっと細やかに:大震災から2年半
 きょう、東日本大震災から2年6カ月。そっと目を閉じ、“あの日”を思い返すことから始めよう。そして、故人の無念に思いを馳せながら、静かに鎮魂の祈りを捧げたい。復興支援の決意とともに。
 歳月の流れは、遺族の方々の心を少しは癒やしただろうか。仮設住宅で暮らす人々の不安をいくばくかは和らげただろうか。異郷にある福島の人たちに安寧と希望を与える日々となっただろうか。
 想像力を働かせて被災地の今を思い描き、被災者一人一人に寄り添う覚悟を新たにする日ともしたい。
 被災地を歩けば、あれほど高く積まれていたがれきの山はほとんど姿を消した。道路や鉄道も大半が復旧し、統計上の雇用も上向きだ。1年9カ月に及んだ民主党政権下での復旧・復興の大幅な遅れは、自公政権発足後、随分と取り戻せたと見て間違いない。
 だがそれでも、今なお避難生活者29万人。放射能汚染水漏れ事故など、旧来の手法では対応できない新たな問題も次々と生まれ、現場と政策との間のミスマッチも目立つ。複雑化する被災地の現実に、政治はまだ追い付いていないと言わざるを得ない。もっと大胆に、もっと細やかに対応していく必要がある。
 被災地の複雑な事情は「目に見えるもの」だけでは計れない。むしろ今必要なのは、表に出にくい問題に目を向けることだと思えてならない。
 実際、3・11から2年半がたち、復興はハードからソフトの段階に入ったとされる。その分、被災地のニーズは多様化し、個別化している。ボランティアの在り方一つを見ても、ニーズはがれき撤去など「目に見える支援」から、室内にこもりがちなお年寄りとの心の交流など「見えにくい支援」に移っている。
 私たちは、とりわけ政党と政治家は、この点にもっと敏感でなければならない。
 こんなことがあった。災後に生きる福島県相馬市の人々の葛藤の姿を描いた演劇を被災者らと観た時のこと。さっそうと黒塗りの車で会場入りし、いかにも高級な衣服をまとって観賞する某党の政治家。その無神経な感覚に、「やっぱり私たちとは別世界の人」との声が会場に漏れた。
 民主党政権下の2011年12月、国会の参考人招致で、原発自主避難者の女性が涙ながらに訴えていた姿が思い返される。「皆さんに福島の人が見えていますか。私が見えていますか」
 被災地の最前線を走り続けてきた公明党の責任と役割が、いや増し高まっている。