樹齢65年の陸奥の古木の前で 11月19日、井手よしひろ県議は、大子町小生瀬の黒田りんご園を訪ね、ご主人の黒田恭正さんから様々なお話をうかがいました。
 茨城県の県北西部に位置する大子町は、県外の方にはあまり知られていませんが、山々のなだらかな傾斜を利用したりんご畑がたくさんあります。もともとこの地域は山がちで、耕地が狭く稲作にはあまり向いていない場所でした。戦時中、農家であった黒田さんの祖父が、農業には欠かせなかった大切な馬を軍馬として徴用され、それで得たお金で、「馬を忘れないように、記念になるようなものを買おう」と、以前から夢であったりんごの苗木を買い、自宅の山に植えたのが「奥久慈りんご」の淵源です。
 奥久慈地域は秋の気温の日較差が10度以上もあり、りんごが育つ環境には大変適しています。本格的にりんご栽培がスタートしたのは50年ほど前、黒田さんのりんご栽培に見習って100件ほどの農家が苗を植え、りんご作りに挑戦を始めました。当時の苦労は計り知れないものだったようです。農家ははるばる青森、長野、福島、山形まで視察に出向き、技術を学びました。現在では、総面積60ヘクタール60数軒がりんごの生産に携わっています。

大子のりんごは「オンリー1のおいしいりんご」
 実は、この奥久慈りんごは市場に流通していません。りんごの先進地である青森県や長野県では大規模な生産が行われ、市場に出回り全国で消費されています。しかし、奥久慈りんごを市場に出すには安定的な数量を確保しなければならず、市場の需要には応えられないのです。そこで、奥久慈のりんご農家は、作ったりんごを市場に出すのではなく、“観光りんご園”として、お客様にりんごを食べに来ていただく方式を採りました。これが美味しいりんごが奥久慈、大子にある理由なのです。
 黒田りんご園をはじめ、奥久慈のりんご園は樹になった状態でりんご完熟させます。これが市場に出荷しない観光型栽培の最大の特徴です。この樹上完熟をすべての栽培農家が徹底しているのです。本当に美味しいりんごを、本当にお忙しい時期に提供する。直接食べてもらって納得して買ってもらう。これが黒田りんご園をはじめとする大子のりんご農家の真骨頂なのです。
黒田りんご園のシンボルは、日本一長寿の「陸奥」の古木
黒田りんご園のりんご 黒田りんご園には日本一長寿の「陸奥(むつ)」の樹があります。陸奥を育種した青森県の試験場の原木が枯れてしまったため、青森県内には黒田りんご園よりも古い樹齢の樹は現存していないとのこと。つまりはこの樹が日本で一番古い「陸奥」ということです。
 青森でも、長野でも、市場に出荷しなければならない大産地では、収量が何よりも重視されます。その時その時の流行で、人気のりんごの品種を集中して栽培する傾向があります。しかし、大子のりんご作りは、本当の美味しいりんごを頑固なまでに作り続けてきました。りんごのおいしさが生きている樹齢の長い樹を大事に育ててきました。したがって、すでに大産地ではなくなってしまったようなすばらしいりんごの樹が大子には残っているのです。
 黒田さん「お店で売っている陸奥りんごは、ふつうピンク色をしています。ピンク色をしている陸奥は、見た目を良くするため袋を掛けて育てたりんごです。うちで作る陸奥は、日本一長寿の樹を含め、すべて『サン陸奥』と名付け、袋を掛けないで自然の状態で栽培しています。袋掛けをしないで育てたりんごは、太陽の光をたっぷりと浴びて、養分をつくる葉の働きを妨げないからとても甘くなります。糖度を計ると16〜18度にもなるのんです」と教えてくれました。日本一長寿のりんご「陸奥」は、樹齢65歳になりました(平成25年時点)。

研鑽に次ぐ研鑽、大子のりんごづくりの真髄
黒田恭正さん 黒田りんご園にあるりんごは、60種類以上もあります。黒田さんは、青森の農学博士や、りんご研究をしている教授に力を貸してもらいながら、日夜りんごの研究を続けています。
 「りんごの植物生理をよく理解しないと、おいしいりんごはできません。りんごの木をホルモンレベルで分析し、調整してやること。果実は過度に肥大させず、品種固有の大きさで育てる、これが一番おいしいんです。また、化学肥料は一切使わず、自家製の堆肥や木炭などの有機質肥料で育てています」と語る黒田さん。
 さらに、「りんごは、冬の剪定作業が味を80%決めるのです。芽の質、芽の周りの枝の太さ、葉の形などをまず見極め、剪定していくのですが、それは目先の欲との戦いなんです。良い実も、ならせ過ぎてはいけない。どんなに良い芽でも切らなきゃいけない時があるんです。これは、農業全般に言えることだと思いますが、技術ばかり手に入れても良いものはできません。おいしくなるもならないも、その人がどう育てるかだと思うのです。計画性を持って、失敗したら反省し、そして工夫をしていける"人"を作る。これがおいしいりんごを作る為に一番大切なことだと思います」と、静かに語ってくれました。
 りんご作りに情熱を燃やす黒田さんには、全国から講演や技術指導の依頼がひっきりなしに訪れます。「黒田さんの作るりんごは、おいしい」という噂は、お隣の韓国にまで届き、10年ほど前から韓国へりんごの栽培指導にも出向いています。

茨城の食のアドバイザー・藤原浩氏が語る
「大子のりんごのすばらしさ」

(県議会農林水産委員会での参考人意見聴取:2013/10/31)

藤原浩氏 大子町に行きましてリンゴを食べましたときに、これは個人的な評価ではありますけれども、私は、全国のリンゴどころの中で一番おいしいリンゴをつくるのは大子町だと思います。
 日本で一番おいしいリンゴの質というのを追求したときには、私自身、今まで自分がプロデュースするレストランでは“紅玉”というリンゴを使っていたのですけれども、現在は“ほおずり”という茨城県の大子町でつくられたリンゴを採用するに至っております。これは、生産者のレベルの高さでありますとか、それから、茨城県というのは、日本が誇る農業の研究機関があるということ、そして、実は、老木、リンゴにおかれましては、青森県、長野県というのは非常に有名な県ではあるのですけれども、実際には、日本で最古の“陸奥”の樹というのは、65年の樹が実は茨城県の大子町の黒田農園さんにあるわけです。こういった事実を皆さん御存じない。
 そして、茨城県の黒田農園には、何と60種類ものリンゴがあるのです。衝撃的でした。私が学問上で学んだのは、皆さんがよく使っていますアイフォンとかがあるアップル社のリンゴというのは実は“旭”という品種なのです。学名が“マッキントッシュ”という名前なのです。この“旭”という品種は南限が青森と言われていまして、私は、机の上では、リンゴの“旭”という品種が青森にしかないと思っていたのですが、実は、何と黒田農園さんに生きた状態であるのです。こういったすばらしさというのが全く評価もされていないですし、それに気づく食の専門家も今までいなかったと思うのです。ところが、その価値たるや、我々の中にとってはお宝の山だ。
 ところが、それをアウトプットする際に、現状、日本の流通のシステムの中ではどうしても重量で商品を出してしまう。加重平均をとるわけです。
 私自身はヨーロッパに7年住んでおりまして、フランスでありますとか、それから、イタリア、ミシュランの調査員がめぐったようなレストランをたくさんめぐってまいりました。そのときに、フランスでは、ブドウの木は70年を過ぎたものが非常によいワインができるとして高い評価が得られるのです。そのワイン農家を廃業するときに70年の木を譲るということが後継者を生むのです。全国の若いブドウ農家の方々が、そのブドウの木がなる地域に引っ越してブドウの木を守ってくださる。
 実際に、私自身、個人の感想ではありますけれども、茨城県では、65年というリンゴの木の実が年間で2,500個なったりするのです。そのリンゴでありますとか、下妻の豊水や幸水と言われる梨、特に幸水は、日本に入ってきて、研究機関にお尋ねしましたところ、茨城の研究所では50年という梨がある。50年の梨、65年のリンゴというのは、実は格別においしいのです。
 ところが、5年という若い樹齢の木のほうが収量はたくさんとれるのです。若い生産者たちは、当然、老木でちょっとしかとれない木に対しては評価できないということです。しかし、どうでしょう。日本全体の中で茨城県にしかない固有のすばらしい原木を持っていながら、それがいずれ絶やされるということが、今、目に見えているということが、これからブランド化をしていくときに課題になってくるのです。重量であれば、老木のものは収量が少ないから、農家としては経済的には立ち行かない。でも、ヨーロッパのように、その老木にプレミアムという、限定という価値をつけたときに、評価は変わるかもしれないなと。これも一つの可能性ではないのか。もちろん、それが成立するかしないかということは別ではありますけれども、そういった同じものを視察をしても、着眼点を変えることによって未来が変えられるのではないか。深刻な後継者が不足するというような事態に対して、我々は新しい可能性を提言していくということに対して、非常に多くの可能性を感じているということでございます。