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日本の安全にとって必要かどうかをまず議論
従来の政府憲法解釈を尊重

北側一雄公明党副代表 4月26日付けの公明新聞に、集団的自衛権についての公明党の北側一雄副代表のインタビュー記事が掲載されました。平和を党是とする公明党にとって、憲法解釈の変更による行使容認を認めない立場は絶対に崩せません。中国の軍事的台頭や北朝鮮の核問題などで、日本周辺の安全保障環境が厳しさを増していることは事実です。しかし、それは個別的自衛権の拡大や警察権の範囲内で対応できます。なぜ、今、解釈変更を急ぐ必要があるのか、安倍首相は国民に分かりやすく説明すべきです。
 北側副代表のインタビュー記事は、今までの公明党内の議論の経過を明確にすると共に、オバマ大統領の日本訪問が終わった後も公明党の姿勢が変わらぬことを内外に示すものです。

―今の集団的自衛権の議論をどう見るか。
 「集団的自衛権の是非」という抽象論に走りすぎていると思います。議論の順序としては、まず、安全保障上の環境が大きく変わったのかどうか、今の安全保障政策ではどうしても対応できない分野があるのかどうかを考えるべきでしょう。
 もし、問題があるのなら、周辺事態法など個別の法律のどこが不十分かを判断することになります。その中で、「集団的自衛権の行使はできない」とした政府の憲法解釈に問題があれば、さらに議論を深めればいい。集団的自衛権だけを観念的に議論しても、とても国民の理解は得られないと思います。
 例えば、尖閣諸島を侵攻された場合、これは日本への武力攻撃であり、自衛隊の個別的自衛権の行使の問題です。また、停戦後に派遣される国連平和維持活動(PKO)に伴う自衛隊の武器使用は、そもそも自衛権とは無関係です。
 報道で見かける、米国に向かうミサイルの迎撃やシーレーン(海上交通路)防衛の問題も、集団的自衛権の行使でないと対応できないのかどうか、慎重に考えるべきでしょう。
 このように、現実的な議論を進めると、日本を取り巻く安全保障上の諸問題は現在の法制でも対応可能かもしれません。すぐに集団的自衛権の行使容認をする必要性は感じません。
―そもそも集団的自衛権とは何か。
公明新聞(2014年4月26日) 集団的自衛権とは、自国と密接な関係がある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利です。いわば「他国防衛の権利」です。これに対し、自国に対する武力攻撃を自力で排除する権利が個別的自衛権で「自国防衛の権利」です。
 集団的、個別的自衛権を初めて明文で認めたのは国連憲章第51条です。日本も国連加盟国ですから、国際法上、集団的、個別的自衛権を保有しています。
 しかし、日本国憲法は「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた第9条があるため、自衛権行使は自国防衛のための必要最小限度の範囲でしかできないと政府は解釈してきました。そのため、憲法上、集団的自衛権は必要最小限度を超えるため行使できないとの憲法解釈を固め、すでに40年以上も変えていません。
 一方で、政府の憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認めようとする意見もあります。しかし、政府の憲法解釈は国会質疑の中で示され、固められてきた経緯があります。政府だけの判断で一方的に解釈変更をすることは、これまでの国会論戦を軽視することになりかねません。憲法解釈の変更には慎重であるべきで、公明党は、これまでの政府解釈を尊重する必要があると考えています。
 最近、1959年の砂川事件の最高裁判決を根拠に、「必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能」との主張があります。しかし、この判決は「自衛隊や米軍駐留が憲法違反ではないか」が問われた時代の判決で、集団的自衛権の行使を根拠づける内容の判決ではありません。

―今後の議論の進め方は。
 安倍晋三首相の決裁で設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が連休明けにも報告書を出すと言われています。しかし、報告書はどこまでも首相の「私的諮問機関」の見解であって、政府の公式見解ではありません。
 公明党は、報告書が公表され、政府がそれを受けてどのような判断を示すかを注目するとともに、与党内での協議と、国会での議論も必要だと主張しています。
 その議論に向け、公明党は、先月から外交安全保障調査会(上田勇会長=衆院議員)に「安全保障に関する研究会」を設置し、政府の憲法解釈や安保法制の現状、国際法と憲法の関係などについて幅広く学んでいます。