東日本大震災写真展「人間の復興」への設営・第1日目

東日本大震災写真展「人間の復興」への取材・ビデオ撮影

住民相談<認知症患者の緊急入院>

うのしまヴィラが新聞に掲載
うのしまヴィラが聖教新聞<文化面>に掲載される
新しい「旅」の姿を求めて、豊かな「日常」を取り戻す
うのしまヴィラ 館主 原田実能(茨城県日立市)
 今年の4月24日、震災後3年にして、新しい形態の宿泊施設「うのしまヴィラ」として再開することができました。震災以前は、1959年創業の「鵜の島温泉旅館」。RC(鉄筋コンクリート)構造の建物は大丈夫でしたが、木造の建物は、がれきと化しました。全員高台に逃れたので、人的被害がなかったのが幸いでした。
 震災翌々日、13日の午前4時、やっと旅館のある浜に降りることができた時、敷地内はがれきでいっぱい、浜には大きな船も打ち上げられていました。どこから手をつけていいのか。再開は無理だろう、というのが実感でした。取りあえず、1日、3時間ずつがれきの片付けを続けるしかありませんでした。3時間だけ片付けをして、あとは、茶飲み話をして、笑いが絶えないようにしました。
 しかし、再開の決意はなかなかできません。子どもの代まで借金を残すかもしれない。そして、もう一つ、地域全体がこれからどうなるのか、そのなかで、旅館を続けるということはどういうことなのか、真剣に悩みました。
 そんな時、いつの間にか、茶飲み話の輪の常連となっていた長男が「小さな旅館がやりたい」とつぶやいたのです。涙が出ました。再開の決意が固まりました。
 今、大学生の長女はリゾートホテルでアルバイトをして、旅館経営の勉強をしています。次男も「料理人になる」と、料理の専門学校に通っています。震災後3年、再建に向けて、毎日、必死だった。その姿を、みんな見てくれていたのかもしれません。
 「鵜の島温泉旅館」は、被災前、工業都市日立のビジネス客対象の旅館でしたが、復活を機に、あえて「観光」を掲げてリニューアルしました。真正面に、砂浜と太平洋です。正月には、初日の出を真正面から受けます。ロケーションには、自信があります。
 もう一つ目指したものは「地域の交流の場」です。「鵜の島温泉旅館」の時は、他地域からくるビジネス客が中心で、地域とのつながりがそれほど強くはなかった。新しくなった今の施設には、地元の食材を使った、みんなが集まれるランチ・カフェスペースを広くとりました。オープンキッチンにして、また、お出しする品数を増やして、つどその都度、地元食材の説明をしたり、スタッフとお客さまが、どんどん交流するようにしています。「ユズリハhouse」という、多目的コミューニアィー施設も敷地内に作りました。地域のコミュニティーセンターとして使っていただきたいと思っています。
 「お帰りなさい海辺のセカンドハウスへ」がコンセプト(基本理念)です。気軽なもう一つの家として、「非日常」ではなく、「深日常」、つまり日常を深めることができる場所。日常はずの会話が弾み、深まる場所を目指しています。
 パソコンに入っていた顧客名簿は、津波で消えてしまいました。今、一つ一つ人とのつながりを、再び、作っていきたいと思っています。
(聖教新聞2014/8/28付け7面)

歩数【4000】歩・移動距離【25】km