伊藤寿美子さん 1月14日、井手よしひろ県議は三代勝也日立市議とともに、宮城県東松島市を訪れ、「みやぎ宅老連絡会」の伊藤寿美子代表から東日本大震災への対応や高齢者介護の現場の声を聴きとり調査しました。
 伊藤さんは、「NPO法人のんび〜りすみちゃんの家」の施設「すみちゃんの家」を運営しています。高齢者デイサービスと宅老所など、地域の介護サービスを担っています。
 すみちゃんの家が立地する東松山市東名(とうな)地区は、東日本大震災によって甚大な被害を蒙りました。東日本大震災発生からわずか20分後、津波は東名地区、隣接する野蒜地区を襲いました。JR仙石線は津波の直撃を受け、東名駅では線路もホームも駅舎も流されました。野蒜小学校に一時避難していた人々は、津波が押し寄せ、体育館のアリーナで海水の渦巻きに巻き込まれたといわれています。
 ほとんどの家屋が流出し、震災前の590世帯中、182人の尊い人命が奪われました。
 伊藤さんは、この時の模様を一言ひとこと噛み締めるように語ってくれました。伊藤さんは車で移動中に地震に遭遇。「すみちゃんの家」に駆けつけ、お年寄りの避難を指示しました。避難所に向かおうという意見もありましたが、できるだけ高い場所に避難するのが得策と判断。高台に向かう県道の比較的広い歩道に、お年寄りを載せた車を退避させました。これが功を奏しました。50人以上いた利用者は全員、無事に津波被害を回避することが出来ました。
すみちゃんの家 しかし、その後が大変な戦いでした。利用者の多くを親族が経営する介護施設に移したものの、スタッフも被災し、医師もいない、常用薬もきらし体調を壊す人、感染症に掛かる人が続出しました。施設自体は幸運にも流されなかったものの、すみちゃんの家は泥に埋まっていました。
 そんな時、たまたま通りかかった一人のボランティとの出会いがご縁となり、日本中からたくさんのボランティアが集まってくれるようになりました。みんなの力を借りて、泥にまみれた「すみちゃんの家」は見事に復活しました。
 今、東名地域も野蒜地域も住宅の集団移転が始まっています。人口の減少は劇的なものがあります。50人以上いた「すみちゃんの家」の利用者も、今では十数人です。でも、伊藤さんは「たとえ一人でも、この宅老所に住んでいたいという人がいる限り、この地で続けたい」と優しく語ります。

介護施設の原点「宅老所」
 「宅老所」とは、井手県議ら茨城県民にとって余り馴染みの深い言葉ではありません。宅老所は、介護保険のシュートスティーや小規模多機能施設、グループホーム等の原点とも言える施設です。民家を改造し、デイサービスを提供し、またショートステイのサービスを提供しました。本人と家族が望めば、「終の棲家」として生活も可能な施設です。以下、聖教新聞<先進の東北>の記事から、宅老所を紹介する部分を引用させてといただきます。

 「宅老所」の特徴は、成り立ちに端的に表れている。
 「高齢化」「独居老人」などの言葉が話題になった1980年代から90年代。全国各地で、自然発生的に近所の困っている高齢者の面倒を見ようという動きが始まった。最初はたくじしょ「託児所」の「託」が使われていたが、「自宅のような居場所」ということから、「宅」の字が使われるようになった。
 伊藤さんもそうだ。「近所に目の不自由なお年寄りがいて、ご夫婦2人暮らしの時は生活できていたんですなが、奥さんが亡くなって、それが成り立たなくなった。そこで、支える居場所を作ろうと思ったわけです」
現在の制度で「ショートステイ」と呼ばれる「宿泊」も、自然に生まれた。
 20数年働いていたい会社の慰安旅行に行ったことがないという婦人がいた。障がい者の夫を、一人にしておけなかったのだ。伊藤さんは「お父さん、うちで泊まったらいいよ。ゆっくりしておいで」と声を掛けた。
 全国各地で、近隣の困っている人に合わせて、真心の経験が積み上がっていった。今では全国的に有名な「富山型」といわれる、高齢者だけでなく、障がい者や子どもも居場所として利用できる施設もできてきた。伊藤さんのところでも、知的障がい、聴覚障がいなどの子どもたちの、居場所となり就労までつながった。すべてが自然だった。制度や名前は後からついてきた。まず、「何とかしたいという心」があった。
 90年代後半、NPO法ができ、国の「グループホームモデル事業」も始まった。各地で積み重なってきた「宅老所の経験」を、と国が制度として採り入れだしたのだ。また、大規模な「老人ホーム」の中でも、少人数のグループを作りケアをするという、「ユニットケア」の流れがでてきたのも、宅老所の影響が大きい。
 全国各地の宅老所がネットワークを作り、それぞれの「経験」を共有しだしたのはこのころである。みやぎ宅老連絡会は、そのネットワーク作りで先駆けの一つとなり、「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」設立の中核となった。


宅老所の理念は「のんび〜り、ともに、たのしく」
 伊藤さんは、一人のお年寄りを大切にしたいという「宅老所」の精神を大事にしたいと熱く語りました。伊藤さんの自宅には「のんび〜り、ともに、たのしく」という「宅老所」の理念が掲げられています。「”ともに”とはお世話をする私達もたのしく、という意味です。介護するものも介護されるものも、豊かな人生を送れるような環境が”宅老所”なのです」との言葉は、効率優先、利益優先の介護制度へ一石を投ずものでした。