龍崎眞一さん(左)と井手よしひろ県議 2月4日、井手よしひろ県議は常陸大宮高部の龍崎工務店を訪問しました。龍崎工務店の龍崎眞一社長は、地域の活性化や環境の保全を目指して「森と地域の調和を考える会」「木の駅プロジェクト美和」等を主宰しています。
 地域限定通貨の「モリ券」で森林荒廃の一因である間伐材などを買い取り、おが粉やまきに加工して販売する「木の駅プロジェクト」を中心に、子どもたちが間伐体験や紙すき体験を行う「森林教室」、地域の魅力再発見を目的とする「お宝マップ制作事業」、昔の街並みや歴史的価値遺産を活用する「街並み保存修復事業」「高部館整備事業」などを行っています。
 このままでは、「地域が加速度的に衰退していく。このまま何もしなければ、駄目になるだけだ」との危機感から、龍崎さんを中心に地元の有志が立ち上がったのは、東日本大震災から1年経った2012年4月。「木の駅プロジェクト美和」は、実行委員会の立ち上げから約2カ月で具体化しました。
木の駅プロジェクト美和
 このプロジェクトは今年で、6期目の活動に入り、これまでに軽トラック2600台相当の間伐材などを回収、約520万円分のモリ券が発行されました。森林は整備され、もり券は地元の小売店で消費され、買い物客も以前より増えました。
地域の宝を活かす地道な活動を展開
 また、龍崎さんのグループは高部地区の景観保護の活動も行っています。「森と地域の調和を考える会」の活動です。地域の観光マップを作成したり、歴史ある邸宅の保全など多角的な活動を行っています。
 この高部地域は旧美和村の中心街として、農業や林業で栄えた地域でした。1965年ごろには人口8000人を超え、商店も130店舗以上とにぎわっていました。しかし、2013年10月の人口は半数以下の3663人、少子化が重なり、高齢化率は2010年で37%と高い。地域の衰退は誰が見ても明らかです。
 一方、高部地区は、歴史的に貴重な趣ある町並みが残っています。現在の美和総合支所の北東には、佐竹7代義胤の5男高部景義(たかぶ かげよし)が築いたといわれる高部城があり、中世以来、軍事や宗教の拠点として栄えてきました。
 江戸時代には特産の和紙や葉煙草を扱う有力商人が軒を連ねていました。この中の、岡山仙太郎、大森又左衛門、國松権兵衛、堀江喜三郎の4家は、経済的にも政治的にも水戸藩と強いつながりを持って郷士となった富裕商人で、酒造業を営む家もありました。
喜雨亭
 常陸大宮市街から西に進んで高部地区に入ると、和田川にかかる下町橋を渡ります。すぐ右手が「花の友」の岡山酒造、その西隣が「國光」の國松酒造です。江戸から明治にかけて建てられた古い建物の多いこの通りの中でも両家の佇まいは一際目を惹きます。ともに現在は廃業してしまいましたが、重厚な酒蔵や住居は当時のまま残されています。 岡山家の木造の三階櫓「喜雨亭」(きうてい)は、明治20年に建てられ、社交場として使用され、親しまれていました。最上層に「花の友」という銘柄が記された美しい姿は、この通りのシンボルとなっています。商標「花の友」の”花”とは梅花、三階櫓は偕楽園の好文亭を模したものといい、庭園には梅の古木が多く見られます。
かつての郵便局
 國松家も明治初期から酒造業を営んでいました。近世には紙問屋、村役人を務めた名家で、藩主の巡村の際の休憩所になった記録も残ります。通りに面して建つ若草色の近代建築は、明治時代に建てられたかつての郵便局舎です。
 また、T字路を北に向かってすぐに美しい洋館に出会います。間宮家住宅は国の登録文化財であり、街道沿いの小さな区域に古建築の密集する様は、一見の価値があります。
 龍崎会長は、井手県議との意見交換で「今後はこの事業を全地域に降る雨のような事業にしたい」と夢を語りました。2月には、県の新たな事業である「県北地域活性化のためのインターシップ事業」を活用し、若い女子学生を約1ヶ月受け入れます。この地域と活動の魅力を全国に発信するネット戦略を展開するのが目的です。この小さな地域での試みが、大きく全国に地方創生のモデルケースとして発信されるのも、もうすぐかもしれません。
洋館・間宮邸