160708yanai
 参議院選挙の投票日まであと2日。選挙戦も最終盤です。今回の選挙戦をマスコミ的に整理すると「改憲勢力VS護憲勢力」「自民・公明VS民進・共産」というプロトタイプに集約されるようです。しかし、その実態はどうでしょうか。マスコミにせよ、野党にせよ、政策課題を単純化し、レッテル張りしながら世論をミスリードしようとする姿勢には大きな疑問を感じています。
 こうした風潮の中、ネットメディアの中から、冷静で分かりやすい分析の評論を2つ紹介したいと思います。

参院選 『改憲勢力3分の2』が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点(GoHoo 2016/7/8)

 1本目は、日本報道検証機構代表・弁護士の楊井人文(やない・ひとふみ)氏のマスコミ誤報検証・報道被害救済サイト「GoHoo」に掲載された記事。「参院選 『改憲勢力3分の2』が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点」(2016/7/8)との記事です。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/
 楊井氏は、公明党やおおさか維新が単純に改憲勢力とレッテル貼りされていることは、ファクト(事実)に基づいていないと明確に主張しています。(以下引用)
 「改憲勢力が3分の2を上回るかが焦点」ー参院選でメディアがまた横並びで、こんな決まり文句を唱えている。
 たとえば、毎日新聞は7月6日付朝刊1面トップで、参院選終盤情勢として「改憲勢力2/3の勢い」と題した記事を掲載。記事の冒頭には「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同する自民、公明党、おおさか維新の会などの改憲勢力は・・・」と書かれていた(毎日新聞ニュースサイト)。
 一体いつから、どんなファクトに基づいて、公明党が「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同」したと報じているのだろうか。自民党とおおさか維新の改正草案を読み比べたことがあるのだろうか。
 記事を書いている記者たちも、4党を「改憲勢力」と書くときの枕言葉に一瞬窮しているはずだ。でも、みんな同じ橋を渡っているのだから、他紙の表現も参考に…という感覚かもしれない(例外的に、読売新聞は「3分の2」という切り口での報道に慎重であることは特記しておく)。

 楊井氏が具体的に指摘する5つのファクトと1つの視点とは、以下そのポイントをまとめてみました。
  1. 公明のスタンスは民進に近い 生活の改憲案は具体的
    公明党は、従来から「加憲」という立場だが、具体的な改正項目は示していない。むしろ「改正ありき」「期限ありき」ではないとわざわざ強調し、慎重なスタンスだ(参院選:憲法改正)。自民党よりむしろ民進党の立場に近いのではないか。
    民進党は、参院選の公約では「平和主義を脅かす9条に反対」と掲げているが、もともと基本政策合意で憲法改正を目指すと明記しており、公約でも「未来志向の憲法を国民とともに構想する」と言っている。具体的な改正項目には言及せず、早期の改憲に積極的でないとみられるが、「改憲自体に反対」の立場でないことも明らかだ。
  2. 国民投票法上、憲法の全面改正はできない
    自民党の憲法改正草案は、全面改正案である。明治憲法体制、戦後憲法体制に代わる、第3の新憲法体制を打ち立てようという発想(いわゆる自主憲法制定論)が基底にある。こころの改正草案も同様である。
    ところが、2007年に制定された国民投票法は、改正項目ごとに賛否を問う個別投票方式を採用したため、事実上、全面改正が不可能になった。かつて「改憲vs護憲」の対立は「自主憲法制定(全面改正)vs自主憲法反対・現憲法護持」の対立だったが、この不毛な対立軸は、現行の国民投票法のもとでは無意味化している。つまり、「自主憲法制定」を前提とした自民党やこころの改正草案は、そのままでは現行法上「原案」となる資格がないのである。
  3. 与野党は憲法審査会の再開で合意している
  4. 憲法改正の4つのハードルのうち、1つも超えていない
    憲法改正のハードルは、「各議員の総議員の3分の2以上の賛成による発議」と「国民投票での過半数の賛成」の2つある、と一般に解説されている。しかし、国民投票に付する「改正発議」に至るまで、少なくとも2つの大きなハードルがあることを押さえておかなければならない。「審議する改正項目の確定」と「改正案の作成、提出・発議」である。現在は、このうち1つ目もクリアしていない。参院選後の憲法改正論議は、文字通り一からのスタートとなる。
    なお、改憲プロセスを安倍政権が主導できるかのような印象を与える報道も目立つが、内閣は、憲法改正原案を提出できないなど実際に関与できる部分はほとんどない。
  5. 国民投票法の投票年齢が「18歳以上」に引き下げられるのは2年後
  • <視点>党議拘束を前提とした「数の論理」でよいのか
    憲法改正権力は国民にある。国会の勢力図によって決まるものではない。いくら国会で「3分の2」で改正の発議をしても「提案」できるにすぎず、国民投票で過半数が賛成しなければ実現しない(日本国憲法96条)。
    憲法改正問題は本来、超党派で議論すべき事柄であるのに、「改憲勢力が3分の2を取るか」にこだわってよいのか。党派的な「数の論理」を持ち込めば、党派を超えた議論の基盤を損なうのではないか。そのことをメディアは自覚しているだろうか。


自公は○だが民共は×である理由を整理しよう(アゴラ:2016/7/7)

 2本目は、徳島文理大学大学院・八幡和郎教授の言論プラットフォーム「アゴラ」への寄稿。「自公は○だが民共は×である理由を整理しよう」(2016/7/7)http://agora-web.jp/archives/2020158.htmlという非常に分かりやすい評論です。
 八幡教授は、自民、公明の連立与党が民進・共産の野党協力より優れている点を3点にわたって指摘しています。以下引用させていただきます。

 第一は、公明党は欧米的民主主義の枠内の党であるのに対して、共産党はそれと敵対する党である。宗教政党だから普通の意味での政党と違うという人もいるが、ヨーロッパではキリスト教民主主義という考え方がリベラルとともに中道派の中核になっている。公明党はこのキリスト教民主主義を良く研究し、それに近い考え方で、自分たちの信仰の理想に社会を近づけていこうということをめざす、いわば仏教民主主義というべきものに基づく政党であって、欧米的民主主義の王道にある。
 それに対して、共産党はソ連東欧型の社会主義は反省しつつも、欧米型の社会を肯定しているわけではない。キューバとかベネズエラなど中南米の左派政権に近い路線の様にも見える。
 また、党運営についても、共産党は上意下達の傾向が非常に強いが、公明党は下部の意見に非常に敏感である。東京都で舛添知事を辞任に追い込むことの先頭に公明党が立ったのも婦人部などの意向が影響したわけで、決めたことを実現するときに鉄の団結を示すことは共産党と共通点はあるが、そこに至るまでのプロセスはだいぶ違う。

 第二は、自公連立は、保守主義が主流の自民党が、中道政党(伝統的に宗教政党を中道左派とかリベラルとは呼ばないが公明党の主張は実質的には中道左派的だ)である公明党と協力することで薄められ中道派的なものになっている。つまり、やや右寄りであるのが国民世論の中央に引き寄せられている。
 それに対してもともと民進党は穏健左派的な政党だが、それでも左寄りすぎて民主党政権は失敗した。当然、もう少し中道寄りに軌道修正すべき所を、共産党との協力によって、民主党時代よりさらに左寄りの純粋左派的な路線に引っ張られている。これでは、旧社会党的な万年野党ならともかく現実的な政権受け皿にならない。

 第三に自公連立は、きちんと政策合意を得て、将来のことはともかくも、次の総選挙までどうするか枠組みが出来ている。それに対して、今回の野党連合は、とりあえず、安保法制の廃止を目指すことのみの協力で、しかも、それすら衆議院では三分の一も議席がないのだから、実現不可能で、しょせんは、議席確保のための野合に過ぎない。

 これまで、社会党などが共産党と地方選挙で共闘したことはあるが、地方では外交、防衛、憲法などは基本的には関係ない。ドイツなどでも左派党(社民党左派が離脱して旧東独与党残党と結成)と地方レベルでは躊躇しつつも協力することがあるが、国政ではタブー視されている。やはり国政レベルでの選挙協力では、基本政策の一致が条件であるべきだ。

 こうした三点における違いを踏まえれば、自公と民共の協力がまったくちがうものであることを理解してもらえるかと思う。