小野裕一 東北大学災害科学国際研究所教授
小野裕一東北大学災害科学国際研究所教授 東日本大震災からまもなく6年。被災地では住宅建設や公共インフラの整備が急ピッチで進む一方、今なお約14万人が仮設住宅などで避難生活を余儀なくされている。東北復興の現状をどう評価すべきか。課題は何か。そして、我々は3・11の経験に何を学び、どう生かしていくべきなのか。地球規模での防災・減災対策の拡充に向けた日本の役割も含め、東北大学災害科学国際研究所の小野裕一教授のインタビュー記事を掲載します。(2016/12/17付け公明新聞より)

住宅、インフラなど着実に整備焦点は「人間の復興」に
民間力を支える仕組みの拡充を

――東北復興の現状をどう評価するか?
 その前に一つ、確認しておきたいことがある。南北400キロ以上にわたって被災した東日本大震災は、過去のどの震災とも異なり、その規模は空前のものだったという点だ。従って、東北復興の現状を、スポット的に起こった過去の震災と比べて評価することは適切でない。この点をまず指摘しておきたい。
 その上で評価するなら、「目に見える復興」はここに来て、おしなべて順調と見ていいのではないか。防潮堤一つを見ても、平野部の海岸では既にいくつかが完成し、鉄道や主要道路もほぼ復旧した。仮設住宅から復興住宅への移動もかなり進んできている。
 一方で、途上にあるのが「まちづくり」だ。岩手県陸前高田市など壊滅的被害に遭ったところでは大規模な盛り土が進むが、なお時間が必要だろう。今後、これらの地域で新しいまちが順次誕生してくれば、目に見える復興は一つの区切りを打つことになる。

――課題は何か?
 「目に見えない復興」、つまりは公明党が一貫して主張している心の復興、人間の復興をどう成し遂げるか、この一点に尽きよう。
 なるほど心の復興は建物や道路の復旧・復興と異なり、計測することが難しい。しかし、復興とは「外なる復興」と「内なる復興」の両方を言うのであって、一方をなおざりにしては真の復興は達成できない。計測が難しいからこそ、心の復興には細心の注意を払い続けることが肝要だ。
 いわんや、目に見える復興が進めば進むほど、被災者の生活環境は大きく変わる。お年寄りや小さな子どもにとっては、その変化自体がストレスで、引きこもりや登校拒否につながっている。その意味で、人間の復興はこれからが正念場だ。外見の復興に人が置き去りにされないよう、心のケアのための仕組みづくりが一層重要になっている。
石巻立町復興ふれあい商店街
――具体的には?
 心のケアを国や自治体に過度に期待するのは現実的でない。行政のやることは建物やサービス中心にならざるを得ないからだ。いい意味での割り切りが必要である。
 鍵を握るのは地域やNPO、ボランティア団体など民間の力だ。地域でお祭りを再興したり、ボランティアと隣近所が協力してお年寄りを巡回訪問したり、そういう“触れ合いの場”を構築していくことが、遠回りに見えても実は人間の復興への近道であることを指摘しておきたい。
 国や自治体に期待したいのは、その民間力を質的、量的にパワーアップするための制度改革やシステムづくりだ。ボランティアを受け入れる各市町村の社会福祉協議会を支援するための予算措置、ボランティアと被災地をつなぐ人材の育成とそのプログラム化など、行政しかできない役割を積極的に見つけ、具体化していってほしい。

“次の災害”に向けて、広域ネットの構築急げ風化阻止の対策強化も
――南海トラフ地震などの危険性が指摘されている。3・11から何を学び、どう生かすべきか。
 新潟中越地震など過去の復興事業にはあったのに3・11にはなかったものの一つに、寄付金などを積み立てて、それを自由に使うファンドの設立がある。これがあったら、被災自治体はもっと自主的に復興事業を行えたかも知れないというのだ。
 無論、その分、国の復興予算があり、膨大な資金が被災地に投ぜられた。だが、そうしたものには縛りがあり、自由裁量で使えなかったのは事実だ。今後の震災の際の復興事業を考える上で一つの反省材料となろう。
 もう一つ、3・11は、数県にまたがる広域災害に対応する仕組みが脆弱なことも見せつけた。象徴的だったのは、福島からの原発避難者を隣県で受け入れるのに困難を極めたことだ。
 思えば、阪神・淡路大震災後に「関西広域連合」という広域ネットワークができ、その有効性が証明されていたはずなのに、この種の連携が全国に広がることはなかった。東北でも震災後、東北6県に新潟を加えた「東北復興連合会議」が発足したが、震災前にこの種の組織があったらと悔やまれた。南海トラフ地震が予想される四国、九州や、首都直下地震が迫る関東地域はもちろん、広域ネットワークを今のうちから全国各方面で用意しておくべきだろう。

――3・11の風化が進むが。
 「天災は忘れた頃にやってくる」とは戦前の物理学者、寺田寅彦の言葉だが、これを私流に解するなら「災害は覚えていればやって来ない」となる。記憶を継承していけば被害は最小限にとどまることを肝に銘じ、「忘れない」ための取り組みを今こそ強化させなければならない。
 その意味で一昨年12月、日本の主導で「世界津波の日」(毎年11月5日)が国連総会で採択され、その一環として先月末、世界30カ国の高校生が高知県黒潮町に集まり「世界高校生サミット」を開いたことは画期的だった。こうした記念日やイベントを通して、3・11の記憶を繰り返し思い出していくことが重要だ。
 このことに関連して、災害には想定外のことが常に付きまとうことも心得ておく必要がある。早い話、昨年11月22日に福島県沖でマグニチュード7.4の地震が発生し、津波情報が混乱するということがあった。東日本大震災の時と同様、情報に頼りすぎることの危うさを改めて教えてくれた格好だ。災害列島に住む者として、注意報や警報などの情報を上手に使いこなす作法を身につけたい。

仙台防災枠組と日本
世界共通の減災指標確定 国際社会への貢献さらに

――仙台市で一昨年3月にあった国連防災世界会議で採択された行動指針「仙台防災枠組」に関し、このほど減災目標の指標が固まったが。
 昨年11月、私も日本政府代表団の一員として参加したスイス・ジュネーブでの政府間専門家会合で合意した。国連総会で正式決定される見通しだ。
 周知の通り、「仙台防災枠組」は、世界の災害死者数を2030年までに大幅削減することなど7項目の減災目標(グローバル・ターゲット)を掲げたが、各ターゲットの進捗状況を計る指標が明確でなかった。今回、その指標が整備され、いわば“世界共通の秤”ができた。これを受けて各国は今後、正確な統計づくりに取り組むことになる。結果的に防災・減災政策は大きく進展することになろう。
 ただし、途上国の中には統計づくりのノウハウを持たないところも少なくない。「仙台防災枠組」をリードした日本の支援が待たれるところであり、私たち東北大学災害統計グローバルセンターも大いに貢献したいと考えている。

――日本の統計づくりの取り組みは?
 内閣府が中心となって行うことになろうが、この際、全国の自治体でも「わが町の指標」を設けられないか、そんな動きが出てくることを期待している。国連の指標に合わせて、自治体版、市民版の指標ができれば、日本の防災・減災の構えは一層重厚になるに違いないからだ。
 なお、今年11月には、東北大など産官学が連携して「世界防災フォーラム」が仙台市で行われる。スイスのダボスで2年ごとに開かれている「国際災害リスク会議」と連携して、ダボス・仙台・ダボス・仙台と交互に開催していくことが決まっている。
 地震・津波や干ばつ、台風など自然災害への関心が世界規模で高まる中、3・11を経験した日本が果たすべき役割は極めて大きいことを最後に強調しておきたい。

小野裕一(おの・ゆういち)
1967年栃木県生まれ。宇都宮大学卒。米国オハイオ州立ケントステイト大学博士課程修了。地理学博士。専門は気候学、国際防災政策。世界気象機関や国連国際防災戦略などで防災政策立案に関わり、2012年から現職。東北大学災害統計グローバルセンター長も務める。