日本原子力研究開発機構
 6月6日に発生した日本原子力研究開発機構「大洗研究開発センター」の被ばく事故の対応が混乱しています。すでに廃止が決まった老朽施設での核燃料物質のずさん管理、作業員の人命を軽視する危機管理体制など、その問題点が明らかになっています。また、機構から発信される情報は後手後手にまわり、二転三転しています。原子力研究開発機構の事故初動対応のまずさに批判が高まっています。

そもそも作業員の内部被ばく量はどの程度だったのか?
 初動体制のまずさを、まず指摘しなくてはなりません。作業員の被ばく量を正確に測定することができなかったのです。
 今回の被ばく事故は、6日午前11時15分ごろ発生しました。ベテランの男性職員がステンレス製容器のふたを開けたところ、プルトニウムやウランの含む核燃料物質を入れたポリエチレン製容器を包んでいた樹脂製の袋が破裂しました。放射性物質が部屋中に拡散し、作業員5人のうち、4人がその物質を吸い込んで内部被ばくしました。
 当初、作業員が取り込んだプルトニウムは2万2000ベクレルという非常に高い値であったと原子力機構が発表。この数字に多くの専門家は、過去最悪の内部被ばく事故であると指摘しました。
 それから6日目の6月12日、一転して、作業員らが搬送され治療や経過観察が続けられている放射線医学総合研究所の上部組織・量子科学技術研究開発機構は、作業員からプルトニウムは計測できなかったことを明らかにしました。放医研の発表によると、12日までに3〜4回同様の測定を行こなった結果、5人全員から測定可能な下限値以上の数子は計測できなかったと発表しました。人体で測定可能な下限値は、1万〜5000ベクレルといわれており、実際の被ばく量は当初発表の2万2000ベクレルの半分以下であったとも思われます。
 除染が充分でなく、皮膚に付いた放射性物質が影響したことなどが考えられ ます。
 そして、6月13日午後、原子力機構は入院していた5人の作業員は、治療が終了し退院したと発表しました。
 今後、放医研に定期的に通院して、尿などに含まれる放射性物質の量の計測や健康状態のチェックを受けるということです。

なぜ、3時間も作業員は汚染された部屋に閉じ込められていたのか?
 今回の原子力機構の対応の問題点に2つ目は、事故が発生し汚染された部屋に、作業員が3時間あまり閉じ込められてことです。
 原子力規制庁の聞き取りによると、事故発生時、同じ施設内にいた他の作業員は、そのまま作業を続けていました。被ばくした作業員の除染を行うテントの設置を始めるまでに、実に2時間もかかってしまいました。余りにも稚拙な対応にあきれます。

26年間も点検されずにいた放射性物質が入った容器?
 第3の問題点は、今回破裂事故を起こした保管容器は、1991年に密封されて以来、26年間にわたって一度も点検が行われていませんでした。
 事故後、原子力機構は、「今回の事象は想定外」と繰り返しています。
 しかし、原子力規制庁によると、今年(2017年)2月の時点で原子力開発機構の別の施設において、放射性物質が入った樹脂製の袋が膨れているのが発見されました。この事例では袋の中の物質が放射線で分解されて、ガスが発生したと見られています。今回の事故でも放射線で分解する樹脂製の袋や容器に放射性物質が入っていました。ステンレスの容器から出した時点で、劣化または変質した樹脂製の袋が内部の高まった圧力に耐えられず、破裂することは容易に想定できたはずです。
 原子力機構が「想定外だった」と強弁するならば、こんな簡単なことが想定できない原子力機構の能力に問題があると言わざるを得ません。

後手後手に回った情報提供
 4つ目に、情報公開の手際の悪さも目立ちます。事故が発生したのが、6日午前11時15分ごろ、県および地元大洗町に事故の第一報が知らされたのが1時間後の12時27分(FAXの同報機能を使っているために最後の通報箇所に発信したのは12時52分)でした。
 翌日(7日)、大洗町議会では、原子力機構から今年度の事業計画の説明を聴取する会合が予定されていましたが、「事故が発生した」と告げられたのみで詳細な説明もなく中止されたとのことでした。
 一方、茨城県の情報発信体制にも課題が残りました。原子力施設の事故が発生した場合、県は隣接する市町村や県議会などに速やかに情報を提供することが求められます。しかし、今回の事故では、県原子力安全対策課より情報が提供されることはありませんでした。なぜこのような事態となったが、検証が必要です。