水戸伊勢甚 老舗百貨店279年の歴史に幕
拍手と涙で閉店を惜しむ 2万人が惜別

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2003/2/20午後7:00 創業279年の老舗が暖簾をたたんだ
伊勢甚百貨店水戸店の店頭で
2003/2/21、EOS D-30で撮影。PhotoShopで解像度変更後、色調調整。


030220isejin_tate 水戸市泉町の老舗百貨店、ボンベルタ伊勢甚水戸店が2003年2月20日夜、創業279年の暖簾を静かにたたみました。
 大高正美社長ら社員が、閉店時刻の午後7時前から正面入り口に並び、長年の感謝を込めて買い物客一人ひとりを見送りました。
 閉店のその時、期せずして、お客様が伊勢甚の社員に握手を求めました。何十人というお客様が別れを惜しみ、社員と次々と握手をする姿は、商業と地域のつながりの強さを再確認させてくれました。








030220isejin_2 7時半にシャッターが下ろされると、店頭に集まった大勢のお客様から最後の拍手が起こりました。
 伊勢甚水戸店は、1724(享保9)年に創業した呉服屋「伊勢屋」に源を発し、1956年伊勢甚百貨店となりました。1977年、伊勢甚はジャスコ(現イオン)と合併。不動産部門とプラザホテルや結婚式場を運営する「株式会社伊勢甚本社」と百貨店を経営する「株式会社伊勢甚」、チェーンストア「ジンマート」を運営する「株式会社伊勢甚チェーン」とに分社化されました。その後、1989年にボンベルタ伊勢甚と社名変更しました。資本金は1億円。水戸店の売り場面積は約2万平方メートルです。
 国道50号を挟んだ島津百貨店(現:水戸京成百貨店)とともに、商都水戸を代表する商業施設として、多くの市民の親しまれてきました。昭和30年代から40年代半ばまで、県内一番の売り上げを上げ、その商圏も県北・県西地域を大きく囲い込んでいました。

■井手よしひろ:昭和54年に伊勢甚に入社、2年半スポーツ用品を担当
 水戸で生まれ育った私も、伊勢甚のミュージックサイレン(屋上に一定時刻になると音楽を流すスピーカーが設置されていました)で家路に急いだ思い出があります。お正月の初売りで、福袋を買ってもらい、屋上の遊園地でコースターに乗るのが、本当に楽しみでした。中学校の制服を伊勢甚で買ってもらった記憶は、昨日のように鮮明に焼き付いています。
 昭和54年、大学を卒業して水戸に帰り、伊勢甚の入社しました。約2年半、水戸店のスポーツ用品担当として、青春の貴重な思い出を残すことができました。

■跡地で再開発事業を展開、大規模商業ビルに
 閉店後の店舗は取り壊わされ、再開発によって新たに大規模商業ビルを建てる計画が進んでいます。
 「泉町1丁目南地区再開発組合」が事業主体となり、伊勢甚の跡地と周辺の1.7ヘクタールの区域に、地上9階・地下2階のビルと、640台収容の駐車場を建設する計画です。
 キーテナントは、国道50号を挾んで向かいにある水戸京成百貨店で、売り場面積は県内最大の約3万平方メートルとなります。
 組合は3月中にも事業認可を知事に申請し、早くて夏ごろに現在の建物を取り壊す見込みです。新しいビルの着工は2004年度となり、2005年末のオープンを目指します。総事業費は178億円、国から34億円、県から7億円、市から27億円の補助金がある見通しです。
 移転後の水戸京成百貨店跡地でも、別の再開発の構想があり、京成百貨店は、用地の売却収益を新らたな出店の資金とする意向で、早期の具体化が必要となっています。
 水戸市は2003年4月、泉町・大工町周辺地区開発事務所を開き、市職員5人を派遣する。市街地整備課は「国道を挟む両地区を一体にして再開発を進めたい」としています。
 県都水戸の中心市街地は、今大きな変革のまっただ中にあります。

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 ボンベルタ伊勢甚の最後の店舗となる日立店の閉店が、2004年8月20日、公表されました。
 ボンベルタ伊勢甚日立店の閉店、ならびにその後の新事業の情報は、以下のBLOGで随時提供しております。
 ほっとメール@ひたち:伊勢甚閉店問題(http://blog.hitachi-net.jp/archives/cat_221320.html)




このページは、茨城県議会井手よしひろの公式ホームページのアーカイブ(記録保管庫)の一部です。すでに最終更新から10年以上経過しており、現在の社会状況などと内容が一致しない場合があるかもしれません。その点をご了解下さい。