日立市武道館「共楽館」は、今年で創建100周年を迎えました。1905年に開業した日立鉱山の創業者、久原房之助氏が掲げた「一山一家」の理念を実践するため、鉱山労働者の福利厚生の娯楽施設として2017年2月に完成した劇場です。地域との共存共栄を目指し「共に楽しむ」という思いを込めて「共楽館」と名付けられました。現在は「日立武道館」として使われています。
左右対称の木造2階建てで、当時の鉱山技師が東京・歌舞伎座などを参考に設計しました。左右に丸みを帯びた唐破風の屋根を持つ階段室があります。木を格子形に組んだ天井は、見た目も美しく格調高い建物です。
建物内部は1階が椅子が設置されたコンクリート製の土間、2階が桟敷席でした。歌舞伎が上演できる回り舞台と花道があり、六代目尾上菊五郎らが、ここで演じました。1階部分の座席を取り除いて土俵を作り、大相撲の地方巡業なども行われました。戦後は映画館や小中学校の学芸会などにも使われるなど地域の文化拠点でした。
1967年に日立市に寄贈され、舞台や桟敷席などを撤去して武道館に改修されました。1999年には国の有形文化財に指定。太平洋戦争末期の日立空襲で奇跡的に戦禍を逃れ、東日本大震災では耐震工事を終えたばかりで軽微な被害で済みました。危機を乗り越え、歴史を語り継いでいます。
共楽館創建100周年の記念パネル展開催
創建100周年にあたり、認定NPO法人「共楽館を考える集い」が中心となり、記念事業を企画。第1弾として4月16日に「未来へつなぐ郷土の芸能in共楽館」が開催されました。日立風流物西町支部の子ども鳴り物や常陸大宮市立大宮北小のこども歌舞伎などが上演され、好評を得ました。
11月19日からは、イトーヨーカ堂日立店4階で「共楽館創建100周年記念パネル展」が開幕しました。11月26日まで開催されています。
パネル展示の概要は、一山一家の目立鉱山の福利厚生施設として誕生した経緯、大煙突や桜、自然とのかかわりとともに、ものづくりのまち日立の歴史を物語る、鉱山技師設計による建物の建築様式・特徴などが紹介されています。
また、和洋折衷、大正のモダンさを持つ豪壮な建物のなか行われた、歌舞伎、素人芝居、音楽会、相撲など、鉱山労働者、地域の人びとの憩いの場としての懐かしいにぎわいとともに、共楽館の復元・保存・活用を目指してきた認定NPO法人共楽館を考える集いの活動も概観できます。
さらに、特別企画として、懐かしい鉱山電車や昭和の日立の様子がわかる展示や記録映画を上映されています。
11月26日、13:30から新田次郎の名著「ある町の高い煙突」の映画化を進める松村克弥監督のミニ講演会が行われます。
共楽館の現代史、今こそ文化施設しての再整備を
共楽館は戦後、奇術、漫才などの各種演芸、演劇、そして三橋美智也、大友柳太郎、近江俊郎、島倉千代子、トニー谷といった著名な歌手、芸能人の公演が行われていました。次第に映画のウエイトが高くなっていき、特に1960年代はほぼ映画館として使用されるようになりました。1954年(昭和29年)度に日本人文科学会が日本ユネスコ国内委員会の委託を受けて行った日立市の社会調査の中で、共楽館は日立鉱山の充実した福利厚生施策の一環として調査対象に取り上げられている状況が報告されています。調査内容によると、定員1500名の共楽館は毎週5日、映画館として洋画、邦画を上映し、映画の上映の合間を縫って演劇、演芸上演に活用されており、入場料は大人20円、子ども10円と極めて安く設定されていました。企業の福利厚生の一環としての性格が強かったと推測されます。
しかし、日立鉱山は1962年(昭和37年)には貿易自由化などの影響で希望退職者の募集、52歳の繰り上げ停年といった大規模な事業合理化が行われ始めました。その後、鉱山従業員数は減少していくことになります。この時の事業合理化では、これまで日立鉱山の特徴とされてきた手厚い福利厚生施策も見直しの対象となり、日用品を中心とする生活用品の供給所の経営を別会社に移行し、無料であった社宅の有料化などの措置が取られていました。映画の衰退に伴う利用者減、会社負担の運営費の高騰、日立鉱山の経営合理化という現実を前に、共楽館の運営方式にもメスが入っていきます。
共楽館の観客減少には歯止めがかからず、共楽館、本山劇場、諏訪会館という日立鉱山直営施設での映画上映は、1965年(昭和40年)1月末をもって終了することになりました。
1967年、日立鉱山の歴史を語る建造物として何とかして残したいという日本鉱業の意向と、当時日立市営の体育館が無かった日立市の意向が合致し、共楽館は日立市に寄贈されました。
日立市は共楽館を柔道、剣道、弓道などの武道に利用する武道館とする方針を固め、外観はそのまま保存し、建物内部の舞台、客席、2階部分の桟敷席を撤去するなどの改装工事を行い、1968年(昭和43年)共楽館は日立武道館として開館しました。
改装後まもなく日本鉱業関係者を中心に、元の劇場、芝居小屋として復活を希望する声が上がり始めました。
1993年(平成5年)2月には「共楽館を考える集い」が結成され、全国各地の市民団体と連携しながら劇場、芝居小屋の復元運動に取り組み、更に共楽館の復元と活用を求める署名活動、講演会の開催、広報誌発行などを行いました。このように1990年代に入って高まってきた共楽館の復活運動が功を奏して、共楽館は地域で活用され続けている貴重な劇場建築であることが評価され、1999年(平成11年)に旧共楽館(日立武道館)として国の登録有形文化財に登録されました。
しかし日立市の財政悪化のため、共楽館の文化的活用は見送られていきます。
平成に入るころから、共楽館は雨漏りなどの老朽化が目立つようになってきました。2005年(平成17年)からは共楽館の耐震構造調査が実施されました。調査の結果、震度6程度の地震で倒壊する恐れがあることが判明し、2006年度(平成18年度)から共楽館の使用禁止となりました。
2009年(平成21年)、日立市は麻生内閣の地域活性化・経済危機対策臨時交付金から約2億4000万円、合併特例債約1億5000万円を活用し、総額4億円近くの予算で共楽館改修計画を決定しました。
しかし、この改修計画は、建物の老朽化と耐震性の問題を解決する必要最小限のものであり、共楽館を考える集いなどが求めていた劇場、芝居小屋としての復活を目指したものではありませんでした。工事は雨漏りの原因である屋根の葺き替え、耐震性の強化のため、現存の建物の壁面内側に木造の補強壁を設置すること、外壁は既存の漆喰を塗った杉板を取り外し、破損が著しい杉板は交換し、補修可能な杉板は補修を行った上で漆喰を塗り直す、更には土台の改修、天井の雨漏り部分の修繕などという内容で行われることになりました。
2010年(平成22年)共楽館の改修工事が開始され、改修工事がほぼ終了し、竣工直前となっていた2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生しました。日立市は震度6強の揺れに襲われ、多くの建物が被害を受けました。しかし共楽館は耐震補強工事が終了直後であったため、2階部分の漆喰壁に若干の被害があった他、玄関と土台に浅いひびが入った程度の極めて軽微な被害にとどまりました。
今年(2017年)、日立市には本格的な体育施設である池の川さくらアリーナが完成しました。武道館の機能は、このさくらアリーナが引き継ぐことが出来ます。共楽館の歴史的価値は高く、回り舞台の復活など、文化的活用を今一度検討する時期に至ったと考えています。