聖教新聞(2018年10月21日)
 10月21日付けの聖教新聞5面トークのページに、「不可能を可能に変えるドラマ」と題して、映画「ある町の高い煙突」の松村克也監督と市川貴朗(創価学会総茨城長)さんの対談が掲載されました。
 今からおよそ100年前、茨城・日立鉱山で煙害問題が発生。鉱石の製錬所の作業工程で発生するガスによるものでした。その公害の解決のために立ち上がった人々の、勇気と情熱を描いた新田次郎氏の小説『ある町の高い煙突』が映画化され、明2019年春より順次公開予定です。
 10月21日付けの聖教新聞から対談の一部を紹介させていただきます。

故郷のシンボル“日立の大煙突”
松村 1905年(明治38年)に創業した日立鉱山が瞬く間に発展する一方、鉱石の製錬所の作業工程で発生するガスが、地域住民の生活を脅かす煙害問題を引き起こし、深刻化していきました。
市川 富国強兵を掲げれば、地元住民のことなどお構いなしの時代でした。
松村 そこで、企業と住民が一体となって立ち上がり、試行錯誤の末、14年(大正3年)に、当時世界一の高さ(155・7メートル)を誇った大煙突を建設して、煙害を激減させたのです。
日立鉱山精錬所と大煙突1940年ごろ梅津倶巳さん提供
市川 それが、私の故郷のシンボルになりました。
松村 企業側は大気中のガス量を計測する観測点を多数設置し、その結果を踏まえて生産量のコントロールまでしたそうです。健康や環境の問題より生産性が求められた時勢にあって、先進的な企業努力の姿勢には、目を見張るものがあります。
市川 今でこそ企業の社会的責任が叫ばれるようになりましたが、今から100年も前に、企業が住民と協力して、それを果たしていた。これは世界に誇るべき事実であり、対立しがちな現代にあって、共存共栄を目指す姿を見習わなくてはなりませんね。協力し合えた要因をどう考えられますか?
松村 一つには、企業側と住民側、相互の「忍耐」と「誠実な対話」が挙げられます。
市川 よく分かります。やはり理解を深め、信頼を得るには、粘り強い、誠実な対話は欠かせませんね。

青年の友情と団結
松村 もう一点、特に注目したいのは、煙害撲滅に奔走し、先頭で旗を振り続けたのは青年たちであったことです。
 主人公・関根三郎(関右馬允氏がモデル)は、20代で住民側の代表になりました。彼は幼い頃から優秀で、将来を嘱望されていましたが、故郷に残り、煙害と戦うことを決意します。一方、企業側の中心者・加屋淳平(日立鉱山の角弥太郎氏がモデル)も青年です。
 2人は、ただ相対する交渉相手にとどまらず、深い友情で結ばれていきます。青年たちの団結は、やがて周囲を勇気づけ、幾多の困難に屈せず、煙害を克服していきます。
市川 戸田第2代会長の、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」との言葉を、ほうふつさせるお話です。学会は、この精神で、一貫して青年を育んできました。
松村 公害は、昔の話ではなく、人間が開発を続ける限り、常に起こり得る問題です。今後も、ますます若い力を糾合することが大事だと思います。学会の皆さんの姿は模範になると思います。