球磨村渡地区茶屋集落
 私は、7月21日〜23日、7月31日〜8月3日と二度にわたって、球磨村の仮設住宅建設現場に調査と支援に入りました。球磨川流域の深刻な被災状況を実際に見て、その現状に驚きを禁じえませんでした。
 令和2年7月豪雨で、甚大な被害を被った川沿いの自治体の中には、災害発生が予測される際に行政や住民がとるべき行動を時系列でまとめた「タイムライン」を作成し、水害に備えてきた地区があります。先進地とされる熊本県人吉市や球磨村も計画に沿って避難情報を発出しましたが、早期避難には残念ながらつながりませんでした。
 タイムラインは、大規模な水害への有効な対応策として、国や地方自治体が住民とともに、その作成に取り組んでいるものです。
 タイムラインと実際の災害について、西日本新聞、日経新聞、公明新聞に注目すべき記事が掲載されていますので、まとめてみました。

異変が“スイッチ"犠牲者ゼロ
全27戸水没した熊本・球磨村の茶屋集落住民ら声掛け合い高台へ

西日本新聞(2020/7/18)
 熊本県南部の豪雨災害で、全27戸が水没しながら一人も犠牲者が出なかった集落がある。氾濫した球磨川沿いの球磨村渡地区茶屋集落。川とJR肥薩線の線路に挟まれたくぼ地に位置し、過去に何度も水害に見舞われた土地だ。住民が共有する経験則は「2階まで水は来ない」。だがその日、住民たちは高台を目指した。避難判断の“スイッチ”となったのは見慣れた水路の「異変」だった。
 4日午前3時ごろだった。降りしきる雨の中、集落の班長を務める山口敏章さんは、水路があふれそうになっていることに気付いた。「本流に水を流すポンプは動いていたが、排水が間に合っていない」。異変の始まりだった。
 この集落では大雨時、まず車を高台に移動させるという。車が水没して故障すれば、不便を強いられることを経験上知っているからだ。この日も、多くの住民が車の移動のため一度は外に出た。これが奏功した。
 山口さんが身の危険を確信したのは午前4時ごろ。車を移動させ、自宅に戻った時だった。「ザブッ、ザブン」。水路から、黒っぽく濁った水が大量にあふれ、集落内に向かって流れ出していた。 
 初めて見る異様な光景だった。山口さんは危機を察知し、妻のサヨさんと共に近隣に避難を呼び掛けた。独居の高齢者の親族に電話をかけ、「2階にいるから大丈夫」という住民は説得して外に出した。午前6時ごろ、集落は球磨川の濁流にのまれた。
 線路沿いに自宅があった中神ゆみ子さんも、水路の異変に気付いて逃げた一人。「ここの住民は危機意識が強いから早く逃げられた」と振り返る。(以下略)
落橋した球磨川の橋梁
「水害タイムライン」先進地も被害甚大 住民周知に課題
日経新聞(2020/7/9)
 九州で記録的な豪雨に見舞われた川沿いの自治体の多くは、災害時に行政や住民がとるべき行動を時系列でまとめた「タイムライン」をつくり、水害に備えてきた。先進地とされる熊本県人吉市も計画に沿って避難情報を出したが、早期避難につながらなかった。実効性確保には住民への周知徹底が改めて求められる。
 「タイムラインに沿って対応できていたが、被害が出てしまった」。熊本県人吉市の幹部は7日、悔しげに語った。
 同市は「暴れ川」といわれる球磨川を抱え、過去にもたびたび水害があったことから早期にタイムライン策定に着手。今年6月には球磨川の支流河川の氾濫や土砂災害への対応を定めた全国初の「マルチハザードタイムライン」の試行版を完成させるなど先進地として知られている。
 2016年6月から運用している「球磨川水害タイムライン」は、平常時から氾濫発生までを0〜6の7段階に分け、避難勧告・指示の発表や避難所の開設、救助活動など行政の各部署や消防などの関係機関が取るべき行動を時間軸に沿って定めている。
 同市は豪雨直前の3日午後4時にも球磨村や、国土交通省八代河川国道事務所、気象台などとタイムラインの運用会議を実施。早めの避難所開設などの対応を確認していた。市は計画に沿って3日深夜から一部地域に避難勧告を出し始め、4日午前5時15分には全域に避難指示を発令。だが、市内では逃げ遅れなどで18人(9日時点)が亡くなった。
 市によると、現在のタイムラインは複数の死者が出た1965年7月の洪水の雨の降り方を想定して設計された。「80年に1度」の規模の降水量で、球磨川の人吉地点の上流域で2日間で440ミリの雨が降ったことを前提に計画は練られた。
 今回の豪雨では4日までの2日間で計420ミリの雨が降り、想定の範囲内ではあったが、1時間雨量が60ミリを超える時間帯もあり、局所的な豪雨で球磨川があふれた。タイムラインの運用開始後、7段階で最も危険度が高い「氾濫発生」を経験したのは初めてだった。
 市幹部は「計画通りに動いたが、朝方だった事情もあり、住民の避難に結びついたかどうかの判断は難しい。今回の急激な水位上昇を踏まえ、計画の見直しが必要だ」と住民が眠っている時間帯の避難の難しさを口にした。 球磨川近くの自宅が浸水して首まで水につかった同市の男性(73)はタイムラインの存在を知らなかった。浸水前に屋外のスピーカーから流れた音は聞き取れず、自宅にとどまり、濁流に襲われた。「避難の行動計画があっても、事前に住民一人ひとりが理解していなければ意味がない」と自戒を込めて語る。
 隣にある球磨村も16年6月に作成したタイムラインに基づき、3日午後5時に避難準備の情報を出した。5段階の警戒レベルのレベル3「避難準備・高齢者等避難開始」にあたり、高齢者などに避難を始めるよう呼びかけた。村の防災担当者は「この段階で発令できたのはタイムラインがあったから。実際に避難した人もいた」と一定の効果を指摘する。
 だが、村の渡地区に国交省が設置した水位計では、4日午前0時に3.16メートルだった球磨川の水位は同4時までに氾濫危険水位(8.7メートル)を超え、同7時には12.55メートルに達し、その後は欠測となった。未明の数時間で水位は急激に上昇した。
 結果的に9日時点で19人が死亡、5人が行方不明となっており、被害を防ぐことができなかった。村の担当者は「タイムラインを作るだけでなく、役場や関係機関が計画に沿って行動していることを村民に理解してもらい、避難につなげる必要があった」と振り返り、「村民への周知が一番の課題だ」と話した。

 この2つの記事に合わせて公明新聞に掲載された、球磨川流域をはじめ、各地のタイムライン策定・運用に携わってきた東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センターの松尾一郎客員教授のコメントを紹介します。
豪雨被災地のタイムライン 防災行動計画
■住民の早期避難に効果/地域単位で危機感共有「顔の見える関係」つくれ
公明新聞(2020/7/27)
 球磨川は全国3大急流河川の一つで、数十年に1度、水害に見舞われてきた。そこで、流域の自治体が中心となり、河川管理者である国や気象台、地元の消防、自治会など多数の防災機関と連携し、球磨川水害タイムラインを2015年に策定した。住民参加型の防災会議などを通じ「顔の見える関係」を醸成し、これまで前線や台風などの発生時に計26回にわたってタイムラインを運用。避難行動に向けた先手を打ってきた。
 球磨川流域の自治体は、梅雨入り直後の6月10日からタイムラインの運用を開始した。記録的豪雨が降った前日の7月3日午後4時にテレビ会議による運用会議を実施。気象専門家からの情報を基に、危機感を共有した。球磨村では3日夕方5時に「避難準備・高齢者等避難準備開始情報」を出し、避難所を開設、早期避難を呼び掛けた。
 渡地区では、半数の270世帯近くが浸水被害に見舞われたが、ほとんどの住民は高台や避難所などに逃げていた。地元の消防団員からは、「タイムラインなどの取り組みが生きた」と聞いた。今後、住民からの聞き取り調査を行い、検証は必須だが、タイムラインによる減災効果はあったと見ている。ただ、避難計画を策定し避難訓練も行ってきた特別養護老人ホーム「千寿園」で入所者14人が亡くなるなど課題はある。詳細な検証が必要だ。

 全国的に見ると、国管理の河川流域にある約730自治体で避難勧告などの発令に着目したタイムラインが導入済み。タイムラインは、使わないと意味がない。導入している自治体は、地域にどれだけ浸透しているか、また、関係機関と「顔の見える関係」をどの程度築けているのか。再度確認してほしい。 自助・共助の視点で言えば、自治会や自主防災組織の単位で住民の防災行動を示す「コミュニティ・タイムライン」が有効だ。東京の荒川流域にある板橋区舟渡地区や足立区中川地区などで積極的に取り組んでおり、参考にしてほしい。球磨村渡地区でもコミュニティ・タイムラインは作っており、その取り組みが生きた。

 昨年の台風19号で被災した自治体の防災担当者に発災直前の状況を聞くと、気象状況が悪くなる数日前に“危機”を自覚していたものの、災害対策本部の設置や避難勧告の発表は出遅れている地域が多かった。 そのこともあって愛媛県の肱川流域や長野県などの千曲川流域では、気象台や河川管理者が市町村の判断や意思決定を支援する流域防災タイムラインの策定が始まった。水害が激甚化する中で、流域視点で防災連携体制を強化して、危機感の共有を進めることが減災への近道であると考えている。国は、先も見越して早めに防災対応ができる災害対策基本法改正をめざしてほしい。 またタイムラインの導入・運用、検証を行うため、自治体の防災担当職員らが専門的に研修できる仕組みづくりも必要だ。