住専予算審議を総括して
新聞各社の社説より(公明新聞・朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)
新聞各社の社説より(公明新聞・朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)
◆公明新聞社説
始まった住専第3ラウンド
3項目合意は削除への足がかり
始まった住専第3ラウンド
3項目合意は削除への足がかり
【血税、限りなく絶たれる】
新進党と連立与党の国会対策委員長会談(十日夜)での「三項目合意」は、今後の国会運営に当たって重要な意味を含んでいる。政府・与党は合意事項を「曲解」することなく住宅金融専門会社(住専)処理の原点に立ち戻るべきである。
ず合意の第一項目は、予算書総則を書き換え、問題になっている住専処理に伴う財政支出について、「緊急金融安定化資金の六千八百五十億円については、制度を整備した上で措置する」とした。実際、この合意事項を受けた修正案が十一日の衆院予算委員会に与党から提出され、本予算案とともに連立与党の賛成多数で可決され、衆院本会議も通過した。
「目的に大きく一歩近づけることができた」と新進党の西岡武夫国対委員長は強調したが、合意事項を予算にきちんと書き込ませたことの意義は大きい。六千八百五十億円の「血税投入」が限りなく断たれた状態になっているからだ。住専予算削除への具体的な一歩ととらえることができる。なぜなら、この合意事項にある「制度を整備した上で措置する」との文言について、住専処理スキーム(枠組み)の見直しを含んだ金融制度の抜本改革を前提としての「措置」と位置づけられるからだ。与党の一部から出ているような「住専処理機構法案の成立まで」といった「まやかし凍結」ではないし、そうみてもなるまい。 事実、第二項目の前段部分「現行の金融、税制、財政制度および経済構造全般にわたる改革を行い」とは、第一項目の「制度の整備」と深くかかわっていることは折衝過程をみれば明らかである。そうした改革や「金融機関等の諸問題について協議し、処理するため」(ニ項目後段)に、特別委員会は設置される。
従って、住専処理案はもちろん、きょう十二日にも提出される金融関連法案を含めた不良債権処理策が特別委員会で改めて徹底審議されることになる。処理システムの再構築が当然議論される。処理ルールの透明性と責任の明確化が改革のポイントになるが、特別委員会でそうした議論を重ねるほど、実は住専の政府処理策、血税投入とは矛盾をきたす。
今回の金融関連法案には、信用組合の破たん手続きが盛り込まれているが、その手法は新進党が住専処理で強く主張してきた「会社更正法」による法的処理が軸になっている。この一点をみても、住専の談合処理、血税投入の無理が明白となり、特別委でも追及されよう。「削除」につながっていくことになる。 つまり、特別委の場では、「限りなく削除に近い凍結を求めて議論をしていくか、制度が完全に新しくなればこの予算はなくてもいい」(米沢・新進党幹事長)といった仕組みを具体化させていく闘いとなる。最終的には、新進党が提示してきた不良債権処理策が「制度として整備」されるならば、六千八百五十億円は消滅する。
また、特別委では住専にかかわる責任追及が徹底して行われることが求められているが、加藤・自民党幹事長の喚問は「政治家の責任」を明らかにするために、真っ先に取り上げられなけれはならない。第三項目に「証人喚問問題については、真摯(しんし)に対応することを確認し、特別委員会において取り扱う」としているのは、そのことを指す。
加藤幹事長は「別の機会に明らかにする」(十一日)と発言しているが、国会の場で、国民の前で自ら進んで事実を述べるべきであろう。
【公明、削除への闘い続ける】
残念ながら、住専予算の衆院通過前の削除を勝ちとることはできなかった。しかし、大きな足がかりを築いたとみたい。国民の圧倒的多数は依然として血税投入に反対している。「六千八百五十億円の削除を求めての第三ラウンドの闘いが始まった」(渡部・新進党総務会長)わけである。公明も削除へ全力投球の闘いを続ける。
◆毎日新聞社説
ただ不信感だけが残った
ただ不信感だけが残った
住専予算は十一日衆議院を通過した。実際はこれで国会が了承したことになり、残念ながら6850億円はいずれ支出される。そうみるのがこれまでの日本的やり方の慣例、慣習からみて常識だ。
それをよしとするのではない。また同じことかと、先行きすっきりとした納得のいく解決策を期待するのが幻想と感じるだけである。昨年暮れ以来半年近い大騒ぎは、もちろん政治不信、大蔵不信、銀行の自立など日本社会変質へのいろいろな動きを生み出したが、こと住専問題に限ればバブル崩壊からの着地に至る全日本的なガス抜きの一過程だった。その一里塚が済んだ。
結局、政府はいまだ自ら真意を丁寧に説明していない。政府が正しいと勝手に信じている方法をなぜ正しいか納得させないままほぼ押し通してしまった。この方法が日本全体にとって現状で取り得る最善の具体的手法だと彼らが確信しており、政治家もそれを乗り越えられなかった。今後話し合いを続けるといっても内閣も与党も野党も全部同じ顔ぶれだ。よほど勉強しなおさないと違う結論を期待できない。
この間、住専報道は新聞とテレビと週刊誌などの断片的事実の積み重ねで実態が究明されてきた。政府は常に情報操作の側にいた。タイミングをみて選択情報を公表してきた。だが税金投入の動機と不良債権の全体像という、もっとも大事な情報は依然隠したままだ。動機は表向き、信用秩序を守る。預金者を守る。日本の国際的信用を守る。そのために急いで処理しなければならない。 だが、だれも納得していない。
現実は半年以上たなざらしにしても、そのどれも心配するほどのことはなかったではないか。ならぱ初めからよく説明していれば法的処理ができ、いまごろめどがついていただろうし、渋々、税金投入が了承されたかもしれない。たとえそれがまずい方法だろうが、間違えていようが、多少の信用不安を助長しようが、大多数の世論に従うのが、民主主義というものだ。民主主義は詰まるところ、もっとも正しい選択をするための制度ではない。みんなで納得するための制度だ。今回またそこを無視した。
その態度はすべてに共通している。沖縄で政府が土地を不法占拠しているのも、エイズ資料を隠していたのも、官官接待が住民のために必要だと決め込んでいるのも、情報公開は日本のためにならないと国民を信用していないからだ。
いまごろになって政府は住専解説の安っぽいパンフレットを送ってよこした。見るに堪え得るものではない。大方の国民はもう感付いていることだが、今回政府のロから直接いわせたいことは、それほど難しいことではない。農協は預金者の立場で住専に資金を出していた。だから全額返してやることにした。そうでない農協があちこちでつぶれてしまう。そうなると政治家の選挙区という名の日本の社会構造が一挙に崩壊してしまう危険がある。信用秩序の維持とは、選挙区の維持と無限に近い意味を持つ。そこを改革するまでのしのぎとして税金を使わせてくれ、の一言なのだ。正直になることだ。これから同じようなことは山ほどあるのだから。こうして不信感だけを積み上げていったら一番大事な時に最悪を選ぶことになる。
◆読売新聞社説
住専はこれからが正念場だ
住専はこれからが正念場だ
住宅金融専門会社(住専)処理策への六千八百五十億円の財政支出を盛り込んだ一九九六年度予算案が衆院を通過した。
だが、巨大バブルの後始末、数十兆円とされる不良債権の本格処理はこれからだ。世界最大の債権国である日本が、この処理に失敗すれば、国内はもちろん国際経済が受ける打撃は計り知れない。
日本の問題解決能力が内外から試されている。金融問題をこれ以上、政治的駆け引きの道具にしてはならない。
【税金論議が明らかにしたこと】
関連法案の成立を急ぎ、住専の不良債権回収にただちに着手すべきだ。透明なルールによる金融危機回避と、迅速で国民負担の少ない破(は)綻(たん)処理システムの確立が法案にかかっている。護送船団行政の清算と、市場原理や自己責任原則に沿った監督・監視体制づくりも焦眉(しょうび)の急だ。 住専は、不良債権の象徴として内外から早期処理を求められたため、複雑な権利関係の調整に政治や行政がやむなく関与した。あくまで例外的な緊急措置だ。これを受けて、株価も景気も回復に転じた。
問題紛糾の原因は、政府、与党が当初、財政支出の真の目的を率直に国民に訴えなかったことだ。住専処理で一番影響が深刻なのは、最大の貸し手で経営基盤の弱い農林系金融機関だ。損失負担に耐え切れず、その一角が破綻すれば、金融不安が一気に全国に波及する危険がある。
太平洋銀行の破綻が証明したように、「静かな取り付け」が広がっているのだ。政府の処理策は、民間銀行に、より大きな損失負担を求めて農林系の負担を軽減し、それでも足りない分を財政で穴埋めした。総額六十八兆円の農協貯金者を守ることで日本の信用秩序を保護する狙いだ。
だが選挙の農民票を意識して、与党だけでなく新進党も、こうした基本的な議論を回避したため「住専救済に血税投入」という、国民感情に訴えやすいが、本質からずれた議論が横行する結果を招いた。
政府、与党の政策説明能力は完全な落第点だ。厳しく反省すべきだ。
しかし、こうした国民的議論の中で、明らかにされたものの意味は大きい。 第一は、戦後政治の中で形成された「聖域」にメスが入ったことだ。最大の聖域は農林系金融機関だろう。
政府が財政支出に追い込まれたのは、大幅に減額された損失負担にも耐えられないほど、農林系の内容が痛んでいたためだ。集票組織につながる農業という政治的聖域に安住し、改革を怠って来たとがめだ。
市場経済の中に、巨大な非市場経済的な組織を温存してきた政治と行政の責任が正面から追及されようとしている。
権威と力を誇って来た大蔵省の見直し論議も、聖域崩壊の一つと言えるだろう。
二つ目は、バブルの中で失われた、金融規律の回復だ。
金融の基本は「融資した資金がどう使われて、どれほど利益を生み、元本と金利が計画通り返済されるかどうか見届ける」こととされる。だが、バブル期の金融機関は企業体質や資金の使途と関係なく、土地だけを基準に貸し出し競争に走った。
借り手には「バブル紳士」も紛れ込み、暴力団の介在によって不良債権が増大している。暴力団は巧妙に法律のすき間をつくため、金融機関の努力や通常の行政手段では容易に対抗できなかった。
住専問題は、このやみの部分を明るみに引き出した。税務当局、検察・警察の総力を挙げた刑事責任追及が必要である。住専処理機構による徹底的な債権回収が開始される。金融機関は苦い反省に立って、金融の正常化、規律回復に努めるべきだ。
三つ目は、バブルの発生から崩壊にかけての、政治家や官僚の政策判断の甘さや無責任体質が明らかにされたことだ。従来は不問に付されて来た政治や行政の結果責任が問われなければならない。
住専問題は、バブルの崩壊で清算を迫られている戦後政治・経済システムの象徴だったとも言える。
これを踏まえた改革は待ったなしだ。
預金保険制度の拡充、早期是正措置の導入などを盛り込んだ金融三法案が国会に提出される。日本の金融システムを、国際的なスタンダードにあった、開かれた制度に改革する基本となる重要な法案だ。
それが定着して初めて、金融破綻の際、自己責任を基本とするペイオフ(元本千万円を限度にした預金払い戻し)に踏み切る環境が整う。法案成立を急ぐべきだ。
【経済・金融改革の授業料に】
大蔵省改革も本格論議が始まった。護送船団行政と呼ばれる業者行政、業界の利害調整役から、市場ルールの監視役への転換をどう図るか。大蔵省自体の改革か、独立した監視機構か。農林系金融機関や郵便貯金も含めた金融全体の監視・監督体制をどう築くかがポイントだ。
ナチス・ドイツ時代のライヒスバンク法に倣った、全体主義的色彩の強い日銀法の改正問題も、こうした脈絡の中でようやく検討が開始された。
大蔵省の庇(ひ)護(ご)の下で横並び競争を続けてきた金融機関の大蔵省離れも進んでいる。農林系金融機関も大胆な改革を迫られ、集票システムとしての農協、政治と農業の関係も厳しく問い直されるはずだ。
衆院に設けられる特別委員会には、大恐慌後、米国の金融改革を主導したペコラ委員会の役割が期待される。日本経済に深い傷を残したバブルの発生と崩壊、政治や行政、日銀がどうかかわり、どんな結果を生んだかを究明し、国民に報告すべきだ。
住専を破綻させた関係者の責任が徹底的に追及されるべきは当然だ。
こうした改革努力の積み重ねが、六千八百五十億円を、日本経済の再生と金融改革を実現するための貴重な対価、授業料として生かす道である。
◆朝日新聞社説
国会ついに機能せず――住専予算の衆院通過
国会ついに機能せず――住専予算の衆院通過
「住専」。少し前までは、ほとんど知られていなかったこの言葉が、日本の議会史に刻まれることになった。
民主主義の成果としてではなく、説明のつかない政策を国民に押しつけようとした政府に対し、国会がその機能を果たさなかった悪例として、である。
経営が破綻(はたん)した住宅金融専門会社の処理に、六千八百五十億円の税金を使う新年度予算案が衆院を通過した。「住専の処理になぜ、税金を投入するのか」という問いに答えぬままの可決だった。
【本音が出た首相の言葉】
与党と新進党は土壇場になって、予算書の総則に「住専予算は制度を整備したうえで措置する」と書き加えることで合意した。金融制度の改革問題などを論議するため、衆院に特別委員会を設置することもうたわれた。自民党の加藤紘一幹事長の証人喚問は先送りされた。
新進党の西岡武夫国会対策委員長は「制度を整備するというのは、金融機関全体の不良債権の処理について、新しい制度をつくるという意味だ。税金を使わない場合もある」と語っている。
だが、橋本龍太郎首相は「住専関連法案が通らなければ予算執行できないのは当たり前だ。合意は、それ以上でもそれ以下でもない」と、住専予算の削除はあり得ないことを明言している。予算書の修正に応じる代わりに、住専処理の枠組みは維持したということだろう。
明白なのは、税金の投入を盛り込んだ予算の成立が確実になり、理不尽な住専処理策が、何ごともなかったかのように実行に移されようとしていることだ。
与党と新進党の合意は、国民の反発をかわすための政治的な方便であるといわざるを得ない。加藤氏の喚問がうやむやになったことも納得できない。
【無力を見せつけた政治】
住専問題をめぐる、この二カ月あまりの政治家や政党、そして官僚たちの動きは、いまの政治が民意をくんで議論をつくすという役割を果たせなくなっていることを示した。
国民の反発を十分理解したうえで、あえて信念に従って、住専予算を通そうとしたのなら、まだしも政治と呼べる。実際には、反発の強さにたじろぐだけで、どうしたらいいか分からなかった、というのが真相だろう。このことは、与党についてとくにいえる。
なかでも社民党は、自民党以上にかたくなだった。新党づくりの遅れから、衆院の解散をひたすら恐れ、それにつながるような決着をことごとく阻止しようとしたのだ。不正や腐敗を憎む、という気概は、とうになくしてしまったということか。
新進党は、政党としての体をなしていないことを、みずから表明したようなものだ。何の成果も生まなかったピケを含め、国会に臨む姿勢には一貫性が欠けた。国対委員長が合意文書に署名しながら、党としては、予算案にも、その修正にも反対するという態度は混乱の極みである。
国会には、政府の行き過ぎや横暴をチェックするという大事な役目がある。 連立時代に入ったいま、野党がその機能を果たせず、与党からも、政府にブレーキをかける動きが出てこないとなれば、国会の機能は半減するに等しい。
【なぜ、政治は民意をくみ取ることができなかったのか】
まず挙げられるのは、住専の処理策自体が密室協議の産物であり、納得のいく原則に貫かれたものではなかった、ということだ。銀行と農協系金融機関にあてはめた処理のルールは違っていた。
この背景には、大蔵省と農林水産省の局長が権限もないのに交わした「覚書」があった。これが処理策をゆがめ、税金の投入を招く大きな要因となった。 しかも、本来なら、みずからの責任で国民を説得し、処理策の実現を図らねばならない与党の幹部たちのだれ一人として、論争の正面に立とうとはしなかった。住専をめぐる事態をこれほど悪化させながら、大蔵省の官僚は、反省や謝罪の言葉をほとんど口にしていない。
この国の指導者たちには、使命感や責任感が欠如しているのではないか、と思わざるをえない。
住専審議の途中で行われた京都市長選と参院岐阜補選は、ともに、この問題が焦点となりながら、対照的な結果となった。共通していたのは、投票率が異常に低かったことと、共産党が躍進したことだ。
住専問題には怒りを感じながらも、そのもって行き場を探しあぐねている有権者の姿が、そこにはある。
【まだ議論の時間はある】
住専予算のこのような形の衆院通過は、今後の不良債権の処理だけでなく、これから国民に一層の負担を求めていくうえで、好ましくない前例になるに違いない。
日本経済はこれから、成長力が減退する一方で、高齢化は進み、負担は大幅に増えるという苦しい時代に入る。まず消費税率のアップが控えている。負担を求めるには、政治への信頼のほか、公平なルールや透明な仕組み、政策決定過程の分かりやすさなどが不可欠である。
これらのうちの一つでも、満たされただろうか。原理原則に反する決着は、社会保障や福祉などのために、負担増が本当に必要となったとき、合意の形成を限りなく難しくするだろう。
予算案の審議は参院に舞台を移す。住専を実際に処理する仕組みをつくるための関連法案の審議も始まる。
与野党には、これらの審議を通じ、住専処理策の何が問題なのか、もう一度、考えてみるよう求めたい。不良債権の全体像を明らかにすることはもちろん、その負担のルールも練り直すべきだ。
基本は、根拠の定かでない税金の投入は認められない、ということだ。参院で住専予算を削除し、それを衆院が認めるという道は残されている。住専関連法案をつくり直せば、処理策を理にかなったものに変えることもできる。まだ、時間はある。
あきらめてはならない、と思う。政治に絶望し、背を向けてしまったら、結局は、とんでもない結果となって、跳ね返る。住専問題から、「忘れないこと」の大切さを学びたい。
人々の期待に沿って躍動する政治の仕組みを構築するには、どうしたらいいのか。既成の政党や政治家が頼むに値しないなら、いかに「ノー」を突きつけ、どのような政治勢力を育てるべきなのか。
住専予算への怒りを風化させることなく、こうした点を考え続けるしかない。政治は国民のものなのだから。
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