新年明けましておめでとうございます。
 新年各紙の社説を読み比べてみると、共通のキーワードは「戦後60年」ということばではないでしょうか。
 戦後60年を経て日本が抱える課題を毎日新聞は、以下のように表現しました。
毎日新聞1月1日社説(2005/1/1)
戦後60年で考える もっと楽しく政治をしよう 国民の力を信じる政府に
 少子化を問題視するが、日本中が「貧乏人の子だくさん」の世界からの脱却を目指して働いてきた結果であり、高齢化は豊かさの象徴である。この60年で最大の成果である高齢化と少子化の二つに祝杯をあげるでもないまま、年金の受け取りと支払いというたった一つの単線でつないで数字があわないと身勝手なクレームをつけている。
 アメリカと仲良くしたいがサマワに自衛隊を送るのはいやだ、子供はのびのびと育ってほしいが学力低下は許せない、靖国神社は参拝するが中国が文句を言うのはおかしい、もっと便利な暮らしをしたいが原子力発電はいらないし地球温暖化を招く二酸化炭素の排出は減らせ、食糧の輸入は自由化すべきだが自給率も上げろ……と。
 政治とはこうした国民のあい矛盾する、しかしそれぞれ当然の主張と要求をかなえていくからこそ、その手法と存在が尊敬される。しかも永続性をにらんで調和させるのが技だ。今、政治家はその最大の任務を放棄していまいか。それが60年を経て日本が抱える問題の中核だ。
 まさに言い得て妙な表現だと思います。
 地方議員という立場で政治に携わる者として、耳が痛い指摘です。年金、介護保険、教育問題、主張が真っ向から分かれる問題が議会で話題となります。しかし、議員として日常の生活でどれだけ、国民=住民と意見を戦わしてしているだろうか?「難しい話しは後にして、まず一杯」、「口角泡と飛ばす対話は大人のやることではない」、こうした悪しき習慣に犯されてはいないか、反省しなくてはなりません。
 「説得」の重要性を同紙は説く。
 なぜ、何が必要で、こういう見通しがあるからと説得による多数派工作がないまま進める過去60年の政治体質から、結果だけでなくそういう過程を共に楽しみ責任も共有するこれからの民主主義を形成する60年にしようではないか。
 ただし、「説得」は政治家が有権者の行う行為。本当の主権者が国民であるということを考えると、「説得」ということばには違和感を感じます。そこに必要になるのは「対話」に他ならないと思います。
 政治家と国民との間の対話。国民と国民の間の対話。政治家と政治家との対話。日本の閉塞感を打破するのは、「真摯な対話」であると主張します。
 今年一年、どれだけ多くの方々と忌憚のない対話を繰り広げられるか、一番の課題として取り組みたいと思います。
参考:毎日新聞の元日社説「戦後60年で考える もっと楽しく政治をしよう 国民の力を信じる政府に」
参考:読売新聞の元日社説「『脱戦後』国家戦略を構築せよ…対応を誤れば日本は衰退する」
参考:朝日新聞の元日社説「2005年の始まり――アジアに夢を追い求め」
参考:公明新聞の元日主張「希望と安心創り出す闘いを 悲観主義からは何も生まれない」