読売新聞の茨城県版に「試される自治 検証・茨城の大合併」という特集記事が掲載されています。その中で、日立市と十王町の合併を取り上げた記事がありました。
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試される自治 検証・茨城の大合併
暮らし 制度統一、問われる質
 日立市の十王町地域で、ごみ袋に瓶や缶など燃えないごみの混入が増えている。ごみ収集で、袋は無記名でもよくなったためだ。
 旧十王町は、高萩市と清掃工場を共同運営していたが、工場の老朽化で日立市にごみ処理を委託することになった。これに伴い、二〇〇二年十月から収集を有料化するとともに、袋に名前を書いていないと収集しない方式にした。二年間でほぼ定着し、日立市の工場側でも「分別がきちんとしている」と好評だった。
 ところが、昨年十一月の編入合併で、収集も無記名の日立方式に統一された。その結果、処理工場は同じでも、「名前を書かなくなることで、ごみの出し方がいい加減になった」(十王町友部地区の五十歳主婦)というわけだ。
 一方で、十王町地域の住民の中には、今でも自主的に記名でごみ出しを続けている住民も多い。地元の区長会や収集業者の話によると、三百二か所の可燃ごみ収集ステーションのうち、ほぼ半分が記名方式を続けているとみられるという。
 十王町伊師地区の主婦(62)は「環境問題の視点から見れば、むしろ記名方式を市内全域に広げるべきです。せっかく定着していたシステムが合併で消えてしまうのは釈然としません」と残念そうに話す。
 市清掃センターの草地靖夫所長は「市内全域を記名方式にするのは、プライバシーの問題もあってなかなか難しい。確かに記名方式の方が分別もきちんとしたごみが集まる。自主的に記名してもらうのは一向に構わないのだが……」と歯切れが悪い。

 この記事は、記名式のゴミ袋が「善」であるとの視点で書かれています。果たして、そうなのでしょうか。
 合併協議の際、地区ごとに少人数の座談会を開き、地域の皆さんと話し合う機会がありました。その中で、指摘されたのが「なぜ、ゴミ袋に名前を書かなくてはいけないのか。ゴミというプライバシーの最たるものに、わざわざ名前を書くことに抵抗感があります。合併したら是非、記名を止めてほしい」というのが、そこで出された意見でした。特に、若い主婦や独身の女性から強く意見が寄せられて記録があります。
 従来から日立市内では、記名方式をとっていません。しかし、ゴミ出しの時に、地域の方々がお互いに声を掛け合ったり、当番を決めて見守ることによって、分別はしっかりなされています。
 記名式のゴミ出しを望む方は、むしろ少数派であると思います。個人の情報の重さを軽く考えてはいけない。この記事を読んで反論をしてみたくなりました。