その第一回は、震災当日7.2メートルの津波が襲い6名の死亡・行方不明者が出た北茨城市の状況を伝えていました。
津波襲来、繰り返し「逃げろ」 伝達手段途絶え叫ぶ:検証3・11第1部「その瞬間」(1)
茨城新聞(2011/6/9)
消防指令室は即座に非常用電源に切り替わる。津波襲来までの時間は短いと判断し、避難広報のため6台を出動させ、残りは高台で待機させた。
情報収集の“命綱”は消防無線。県の防災ヘリが「沖合に津波が見える」と伝えた。出動した消防職員は叫んだ。「津波が押し寄せている」
「午後3時10分ごろ津波が来る」。平潟地区を担当する消防団第15分団の伊藤良一団長(51)はラジオを聴き、平潟公民館に隣接する分団詰め所に急いだ。
信手段は途絶え、市から連絡は入らない。消防車で平潟漁港に向かい、逃げるよう叫び続けた。
壊滅的被害を受けた南側の住宅地は道路が液状化し到達できない。防災行政無線の屋外スピーカーは整備されておらず、やや離れた場所で消防車から繰り返し避難を呼び掛けるしかなかった。
同漁港北側にある平潟漁協の2階事務所で、鈴木一久事務長(45)は堤防の先を見詰めた。
港の南北両側から白い波が滝のように一気に流れ込んだ。乗用車が津波にのまれ、濁流の中を歩いて逃げる住民の姿が見えた。
北茨城市では、津波などの災害を市民の伝える方法として、緊急情報メール配信システムが整備されていました。しかし、このシステムにはわずか900人しか登録されておらず、その上、停電でサーバーが使えなくなり、津波警報の発令を登録者に送信できませんでした。
2005年、北茨城市では津波からの避難を呼び掛けるために『半鐘』を整備しました。前市長が「防災無線の設置より格安だ」として約1600万円かけて海沿いに24基を設置しました。津波警報が出た際は、消防団員1人と市職員2人の計3人が4メートルの高さにあるやぐらに上り、半鐘を鳴らして回るはず手はずでした。しかし、消防団員は地震の被災者の救援活動に忙殺され、職員は交通渋滞で半鐘にはたどり着けませんでした。結果、津波が来ると情報は、消防車やパトカーのスピーカーからの呼びかけだけでした。
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