2021年06月

茨城近代化の先駆者「飯村丈三郎」を学ぶ

210621douzou
 NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で、近代日本の資本主義の父とも言われる“渋沢栄一”が脚光を浴びています。特に、渋沢に縁がある茨城では徳川斉昭(烈公)、徳川慶喜(15代将軍)の評価が改めて高まっています。
 この渋沢に遅れること13年。茨城県下妻市(旧真壁郡黒駒村)に、茨城の近代史の父と呼ばれる“飯村丈三郎”が生を受けています。
 飯村丈三郎は、嘉永6年(1853年)。下妻市黒駒に生まれました。幼名は縫三郎。幼少期に近くの干妙寺(筑西市板橋)に預けられ、住職を務める亮天僧正から多大な影響を受けました。
 その後、儒学者の菊池三渓に学び、上京。明治10年(1877年)、24歳で故郷に帰って家督を継ぎ、戸長に任命されます。また森隆介らと「同舟社」を結成し、自由民権運動に加わります。
政界に進出し、明治14年(1881年)には県会議員、その後衆議院議員となり活躍します。
 県会議員を務めながら、川崎財閥の川崎八右衛門の後援を受けて、第六十二銀行(現常陽銀行)の再建や水戸鉄道(現JR水戸線)の取締役として鉄道敷設に尽力しました。
 明治24年(1891年)いはらき新聞社(現茨城新聞社)の社長として長年経営改善に努力する。この間、茨城県の文化・芸術の振興にも尽力し、岡倉天心ら五浦派の画家たちを物心両面に渡り支援し、文芸や茶の湯の世界でも活躍しました。
 晩年、私財をはたいて茨城中学校を創立(昭和2年:1927年)。茨城の人財育成に多くの業績を残しました。
続きを読む

イトーヨ−カドー日立店が2022年1月16日に閉店

イトーヨーカドー日立店
 JR日立駅前で30年間営業を続けてきた「イトーヨーカドー日立店」が、来年(2022年)1月16日に閉店することになりました。日立市は、後継のテナント誘致、従業員の再就職支援や商店街の活性化対策に取り組むことにしています。
 「イトーヨーカドー日立店」は、平成3年にJR日立駅前に開店し、食料品売り場のほか衣料品店や飲食店などが入る商業施設として地域の人たちに親しまれてきました。
 しかし、人口減少や他の商業施設との競争などで業績の不振が続き、直接的には新型コロナウイルスの影響による経営状況の悪化などから、2020年10月下旬、「業績回復が見込めない」として閉店を機関決定し、12月に日立市に通告しました。小川春樹市長と秋山光伯日立商工会議所会頭が今年4月、東京都内のイトーヨーカドー本社を訪れ、存続を求める要望書を提出していました。イトーヨーカドーの閉店の意思を覆すには至らず、6月4日、出入り口に閉店を知らせる貼り紙が出されました。
 施設内にある市の子育て支援施設「Hiタッチらんど・ハレニコ!(日立市屋内型子どもの遊び場)」は、引き続き運営を続けていきます。同じく4階の「丸善 日立店」、雑貨店などが入る5階は営業を継続することになっています。
続きを読む
自己紹介
井手よしひろのプロフィール

井手よしひろです。
茨城県の県政情報、
地元のローカルな話題を
発信しています。
6期24年にわたり
茨城県議会議員を務めました。
一般社団法人地方創生戦略研究所
http://y-ide.com
master@y-ide.com
ブログ内記事検索
茨城県のニュース
公明新聞ニュース
カテゴリ別目次
月別記事一覧
最新コメント
お断り
このホームページ(Blog)へのリンクは自由に行ってください。
文章の引用等も自由です。
ただし、リンクや引用等によって生じた不利益に対して、管理者はその責任を負いかねますので、ご容赦ください。
スマホ・携帯QRコード
QRコード
総訪問者数

現在の閲覧者数: