通用せぬ民主党のパフォーマンス
「民主党の国会審議拒否は、とうてい理解できない」(2005/5/24付読売新聞社説
「一致して具体的な対案を出せないのは、労組系を中心に民営化反対議員も多いという党内事情」(2005/5/24付毎日新聞社説
「民主党に求められているのは審議拒否ではなく、審議を通じて首相を追いつめようとする気迫ではないか」(2005/2/24付朝日新聞社説
 郵政民営化法案をめぐり審議拒否を続ける民主党の対応に、マスコミ各紙から手厳しい批判が寄せられています。
 審議拒否は、かつての「自社55年体制下」で、野党第一党の旧社会党などが自らの要求を与党にのませるために多用した古典的な国会戦術です。民主党はマニフェストによる政策論争中心の国会での議論を主張しながら、やっていることは全く逆のことに思えます。
 それも、今年になってから既に4回目の審議拒否となります。1回目は、1月の衆院本会議代表質問で、岡田克也代表の質問に対する小泉純一郎首相の答弁を不服として民主党議員全員が本会議場から退席するという前代未聞の質問放棄を行い、国民やマスコミから強い批判を浴びました。2回目は、政治とカネをめぐる橋本竜太郎元首相の証人喚問問題で5日間。3日目は、竹中平蔵郵政民営化担当相の衆院総務委の欠席問題で6日間の審議拒否を繰り返しています。
 民主党は、なにゆえに審議拒否を繰り返すのか。党内の意見を集約できない岡田執行部の力不足と、その非力さを隠すためのパフォーマンスに過ぎないのではないでしょうか。
 難問や懸案が山積している今、国会での論戦に注がれる国民のまなざしは鋭く、審議拒否への抵抗感は強いものがあります。「民主党が審議拒否を続ければ、首相と反対派の対立の図式で審議は進み、民主党の存在感はさらに稀薄になるだろう」(朝日社説)、「審議拒否が長引けば長引くほど、『政権準備党』の看板は色あせ、『民主党政権』は遠のく」(読売社説)と指摘されるように、このままでは、民主党自体が国民から見捨てられてしまう可能性があります。
 民主党は、まず国会に戻るべき。そして、党内の議論を集約し、与党と分かりやすい議論を言論の府・国会で行ってほしいものです。