3月19日午前、県立高校の2次試験の合格発表が行われました。県内で初めて、知的障害がある受験生が、中学校の担任教師の介助を受けながら挑戦し、晴れの合格を勝ち取りました。
朝日新聞2004/3/20の記事より  教育現場でノーマライゼーションの流れが加速する中、3月17日に開催された県議会文教治安会では、井手よしひろ県議が障害児の普通高校進学の問題を取り上げ、川俣県教育長が、庁内での具体的な検討機関の設置を表明しました。(詳細は「県立高校への障害児の進学を訴える」をご覧下さい)
 合格した受験生のお母さんは、「息子は、念願の高校生になることが出来ました。でも、一方4人の生徒が定員内不合格になってしまったことは残念です。(中略)入学後もいろいろ問題にぶつかることと思いますが、一つずつ乗り越えていこうと思います」と、FAXを送って下さいました。
 2004年3月19日という日は、茨城県の高校教育に記念すべき「一日」になるかもしれません。また、是非そうしたいと思っています。合格、本当におめでとうございました。
障害超え母子「15の春」
取手二中奥山さん 石下高に合格

2004/2/20朝日新聞地方版

 知的障害がある取手二中の奥山宗幸さん(15)=写真右=が19日、石下高に合格した。「陸上部に入ってたくさん友達をつくりたい」と抱負を語った。全国で障害児の統合教育が盛んになる中、県内で初めて介助員が同席した受験だった。母親の栄子さん(41)=同左=は「茨城『障害児』の高校進学を実現する会」の会員として、障害児が受験する際の特別持直の充実を要請し続けてきた。二人三脚でつかんだ春だ。
 奥山さんは、出産時のトラブルで知的障害児となり、現在も体にまひなどが残っている。しかし、中学時代は空手部で黒帯を取得。漢字検定3級も合格した。  県立高校は自ら望んだ。受験では、特別措置として、県内で初めて介助員の同席が認められ、中学校の担任教諭が務めた。栄子さんは99年ごろから、県教委と20数回話し合いを重ねてきた。東京などで実施されている、記述式から選択式にするなどの試験の出題方法改善や、定員内不合格を出さないことなど、障害児の受け入れ態勢についてだった。今回の措置について「一歩前進ですが、まだまだやれることは残っている。障害児に配慮した措置を考えて欲しい」と話す。
 県教委高校教育課は「受験の公平性や平等性との兼ね合いも考慮しながら、障害者の受け入れを検討したい」とする。