鹿島鉄道石岡駅 茨城県の石岡市と鉾田市の間、27.2キロ(17駅)を結ぶ「鹿島鉄道」が、存続の危機を迎えています。2月18日付の地元紙・茨城新聞によると「会社側は、2月16日までに来年(2006年)3月以降に廃止する意向を決め、2月20日の『鹿島鉄道対策協議会』(会長・横田凱夫石岡市長)で正式に表明する」と報道しました。
 鹿島鉄道は、鹿島参宮鉄道として設立され、大正13年6月8日石岡〜常陸小川間7.1キロ区間で営業運転を開始しました。その後、路線の延長を進め、昭和4年5月16日石岡〜鉾田間全線27.2キロが完成。昭和34年に京成電鉄グループ傘下に入り、昭和40年には、同じ京成グループの常総筑波鉄道と合併し、関東鉄道鉾田線となりました。その後、昭和54年、鉾田線は鹿島鉄道として、関東鉄道から分離独立しました。資本関係は、関東鉄道の子会社という位置づけになります。
 鹿島鉄道は利用者減と航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送廃止で経営が悪化し、沿線市町村と県から2002年度〜06年度までの5年間で約2億円の公的支援を受け運行を継続していました。関東鉄道からも5年間で約3億円の財政支援を受け、廃線の危機を乗り越えてきました。
 しかし、親会社の関東鉄道は、昨年8月に開業したつくばエクスプレスの深刻な影響で減収となり、鹿島鉄道への財政支援が困難状況となりました。さらに、沿線市町村も、利用者が増えない状況での税金による支援に慎重な姿勢を示しています。
 沿線の中・高校生徒会でつくる「かしてつ応援団」や地元NPOなどは、「かしてつブルーバンドプロジェクト実行委員会」等を立ち上げ、積極的な支援活動を行っていますが、経営の改善や関係自治体の財政支援を引き出すまでには至っていません。
 つくばエクスプレスの開通といういばらきの光の部分が、鹿島鉄道の命綱を断つという皮肉な結果に至ってしまいました。昨年4月の日立電鉄線の廃止に続き、県民の貴重な足が消えようとしています。
参考:鹿島鉄道のホームページ
参考:鹿島鉄道を守る会のホームページ
鹿島鉄道廃線の意向 関鉄支援打ち切り
茨城新聞(2006/2/18)
 厳しい経営状況にある鹿島鉄道(石岡−鉾田)は十六日までに、来年三月以降に鉄道業を廃止する意向を固めた。二十日開かれる「鹿島鉄道対策協議会」(会長・横田凱夫石岡市長)で正式に表明する。親会社の関東鉄道(本社土浦市)が、昨年八月に開業したつくばエクスプレスの影響で減収となり、財政支援が難しくなったのが理由。国交省への「廃止届」は廃線の一年前とされており、存続への支援が得られなければ三月中にも手続きに踏み切る方針。県と沿線市町村は存続に向けた協議を本格化する。
 関東鉄道は先月二十七日の取締役会で鹿島鉄道の支援打ち切りを決議。これを受け、鹿島鉄道は廃線の意向を固め、二十日の対策協でメンバーの沿線市町村長や議長、そして県に、廃止届を出す考えを伝える。
 鹿島鉄道は利用者減と航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送廃止で経営が悪化し、沿線市町村と県から二〇〇二年度−〇六年度までの五年間で約二億円の公的支援を受け運行。関東鉄道からも五年間で約三億円の財政支援を受け、廃線の危機を乗り越えてきた。
 しかし、沿線の中・高校生徒会でつくる「かしてつ応援団」や地元NPOなどの支援活動にもかかわらず、経営改善は一向に進んでいないのが現状。〇七年度以降の公的支援が現在まで「白紙」の状態の上、関東鉄道が「つくばエクスプレスの影響で、高速バスや常総線の落ち込みが激しく相当の減収になっている」(関東鉄道)ため、これ以上の財政支援が望めないとみて、廃止の意向を固めたもよう。
 対策協は二十日に鹿島鉄道から説明を受け、三月中にも現状などを分析し支援の在り方などについて協議する方針。
 ただ、対策協事務局などによると、鹿島鉄道の乗降客は年間四万人ペースで減少。保安面でも一両一億五千万円する車両が老朽化していることやATS(列車自動制御装置)など耐用年数の時期にきているため、これまでの三、四倍の財政支援が必要としている。