中心市街地に再び活気を、大型店進出に一定の歯止め
中心市街地の活性化をめざす「まちづくり三法」の見直しで、都市計画法と中心市街地活性化法改正案の国会審議が始まりました。今国会で、成立すれば2007年秋に施行されます。
都市計画法改正案では、郊外の土地利用の規制を大幅に強化しまた。延べ床面積が1万平方メートルを超える大型店を対象に、立地可能な場所を法で定める「商業」「近隣商業」「準工業」の3用途地域に限定します。農地や雑種地、そして用途地域の線引きが行われていない「白地地域」への立地ができなくなるため、事実上の郊外への出店規制となります。また、病院や福祉施設、学校などの郊外への進出についても、新たに開発許可を必要としました。
一方、まち中心部の活性化へ向けて、住民や商業施設などの誘導策を盛り込んだ中心市街地活性化法の改正案では、一定の条件を満たした中心市街地にマンションや商業、福祉、文化施設の建設を後押しする補助制度を充実させました。このほか、自治体の創意工夫による都市再生を支援する「まちづくり交付金」事業なども拡充することになります。
まちづくり三法見直しの背景には、衰退に歯止めがかからない中心市街地の現状があります。その大きな原因の一つが「まちの郊外化」とされる。日本は一昨年まで戦後一貫して人口が増え続けました。その間、人々は住宅を求めて地価が安い郊外へと移り住み、事業所の郊外立地も進んだ経緯があります。こうした動きに病院や学校、役所などの公共施設までが移転、顧客を求めて大型店も次々と郊外へと進出しました。さらに、車社会の進展もその動きを加速させました。週末に自動車で気軽に出掛け、にぎやかな雰囲気の中で買い物を楽しむ消費スタイルが定着。この結果、中心市街地からはますます客足が遠のくこととなり、閑散とした商店街が全国に広がっています。
法改正の目的は、中心市街地に再び活気を取り戻すことにあります。そのため、市街地に大型店の出店を促すなど、日常生活に必要な都市の諸機能が集約された「コンパクトシティ」の構築をめざします。つまりは「歩いて暮らせるまち」の実現が目的になります。徒歩圏内に住宅や商店街などがそろうコンパクトシティは、高齢者にとっても暮らしやすいはずです。また、都市整備にかかる財政コストが抑えられ、環境への負荷軽減にもつながります。コンパクトシティの構築は、日本が直面する人口減少、高齢社会に対応したまちへと都市構造を転換させることを意味します。
無秩序な郊外開発への反省に立ち、近年、コンパクトシティの実現をめざす自治体が増えています。中心部に市立図書館や生鮮市場、若者向けの店舗を誘致するなどして、再びにぎわいを取り戻した青森市はその成功例といえます。
今回の法改正は、かねてからマニフェストに「歩いて暮らせるまちづくり」を掲げ、その実現を粘り強く訴えてきた公明党の成果といえます。しかし、法改正によってすべてがバラ色になるわけではありません。関係者は、まちづくりへの新しい枠組みが提供されるにすぎないことを自覚すべきです。
中心市街地の活性化をめざす「まちづくり三法」の見直しで、都市計画法と中心市街地活性化法改正案の国会審議が始まりました。今国会で、成立すれば2007年秋に施行されます。
都市計画法改正案では、郊外の土地利用の規制を大幅に強化しまた。延べ床面積が1万平方メートルを超える大型店を対象に、立地可能な場所を法で定める「商業」「近隣商業」「準工業」の3用途地域に限定します。農地や雑種地、そして用途地域の線引きが行われていない「白地地域」への立地ができなくなるため、事実上の郊外への出店規制となります。また、病院や福祉施設、学校などの郊外への進出についても、新たに開発許可を必要としました。
一方、まち中心部の活性化へ向けて、住民や商業施設などの誘導策を盛り込んだ中心市街地活性化法の改正案では、一定の条件を満たした中心市街地にマンションや商業、福祉、文化施設の建設を後押しする補助制度を充実させました。このほか、自治体の創意工夫による都市再生を支援する「まちづくり交付金」事業なども拡充することになります。
まちづくり三法見直しの背景には、衰退に歯止めがかからない中心市街地の現状があります。その大きな原因の一つが「まちの郊外化」とされる。日本は一昨年まで戦後一貫して人口が増え続けました。その間、人々は住宅を求めて地価が安い郊外へと移り住み、事業所の郊外立地も進んだ経緯があります。こうした動きに病院や学校、役所などの公共施設までが移転、顧客を求めて大型店も次々と郊外へと進出しました。さらに、車社会の進展もその動きを加速させました。週末に自動車で気軽に出掛け、にぎやかな雰囲気の中で買い物を楽しむ消費スタイルが定着。この結果、中心市街地からはますます客足が遠のくこととなり、閑散とした商店街が全国に広がっています。
法改正の目的は、中心市街地に再び活気を取り戻すことにあります。そのため、市街地に大型店の出店を促すなど、日常生活に必要な都市の諸機能が集約された「コンパクトシティ」の構築をめざします。つまりは「歩いて暮らせるまち」の実現が目的になります。徒歩圏内に住宅や商店街などがそろうコンパクトシティは、高齢者にとっても暮らしやすいはずです。また、都市整備にかかる財政コストが抑えられ、環境への負荷軽減にもつながります。コンパクトシティの構築は、日本が直面する人口減少、高齢社会に対応したまちへと都市構造を転換させることを意味します。
無秩序な郊外開発への反省に立ち、近年、コンパクトシティの実現をめざす自治体が増えています。中心部に市立図書館や生鮮市場、若者向けの店舗を誘致するなどして、再びにぎわいを取り戻した青森市はその成功例といえます。
今回の法改正は、かねてからマニフェストに「歩いて暮らせるまちづくり」を掲げ、その実現を粘り強く訴えてきた公明党の成果といえます。しかし、法改正によってすべてがバラ色になるわけではありません。関係者は、まちづくりへの新しい枠組みが提供されるにすぎないことを自覚すべきです。
朝日新聞は2月19日の社説でこのように述べています。「地方の荒廃を食い止めるには、まちづくりの発想転換が欠かせない。都市の機能が高まるように計画を根底から練り直すのだ。公共施設を旧市街に戻すような地域があってもいい。商業施設を集めるだけではない。廃業を考えているような商店にはこれを機に退いてもらったうえ、歩行者が安心して歩ける環境を整える。歴史のある城下町などは公共交通機関を充実させ、景観を生かす工夫も考えたい。
最終的に問われるのは、住民が街を自らの手でつくっていく意思だろう。行政と住民の対話をもとにしたまちづくりの機運が高まっている都市もある。
工場の跡地に公共施設をつくったり、市民によるNPO(非営利組織)が空き店舗を使って高齢者向けの介護施設を開いたりする試みだ。こうした取り組みにこそ、国や自治体は支援の手を差し伸べるべきだ」と。また、同じ朝日新聞の経済気象台(2006/3/14付け)には、「中心市街地の義務」には、このような手厳しい主張も掲載されています。「いわゆる「まちづくり三法」の見直し法案がこの国会に上程されているが、郊外型大型店の規制と、市役所や図書館などの社会施設を中心街にもってくることを骨子とするこの法案は、果たして誰の利益になるだろう。
郊外を規制したからといって、中心市街地の商店街ががんばるという必然性はない。空洞化した中心街で一生懸命がんばっている人たちの声は、地権者の無責任さに対する批判が多い。シャッターを下ろしたままにしたり、物置にしたりと、周辺に対する配慮がないのである。固定資産税が安いからか、それとも食うに困らないからか、まちの連続性を断ち切り、「土地は公共財である」という自覚がないのだ。
アメリカの西海岸バークレーなどでは、地域が協定して、もし店を閉める場合は自分が責任をもって借り手を探すか、さもなくば地域の委員会が借り手を探すことが義務づけられている。空き店舗のままにすると、年間で約40万円のペナルティーが課される。ゴミの捨て場になったりして環境を悪化させる原因にもなるからだ。
日本の中心街は不在地主が多く、彼らは地域への関心が薄く、行政による再開発への期待のみ大きい。土地を処分できるからだ。
平成の大合併は地方自治体の財政悪化がもっとも大きな原動力となっている。そうした中で、市役所や病院、図書館といった施設を新たに郊外から中心市街地に移転させることができるだろうか。
地権者たちはもう少し自分の土地を有効利用するために頭をひねったらどうだろう。大型店はたしかに強い。企業ごとに意思決定ができるからだ。しかし、大型店を「犯人」にしても、「被害者」(商店街)が同情される時代は終わったのではないだろうか。今度の法案には、がんばる地域を支援する、という方向もある。大切なのはそこだろう。中心市街地の側の義務がもっと語られてもよい。」まさに指摘のとおりです。シャッター通りと化した中心市街地の活性化に、官民上げて取り組む必要を痛感します。
最終的に問われるのは、住民が街を自らの手でつくっていく意思だろう。行政と住民の対話をもとにしたまちづくりの機運が高まっている都市もある。
工場の跡地に公共施設をつくったり、市民によるNPO(非営利組織)が空き店舗を使って高齢者向けの介護施設を開いたりする試みだ。こうした取り組みにこそ、国や自治体は支援の手を差し伸べるべきだ」と。また、同じ朝日新聞の経済気象台(2006/3/14付け)には、「中心市街地の義務」には、このような手厳しい主張も掲載されています。「いわゆる「まちづくり三法」の見直し法案がこの国会に上程されているが、郊外型大型店の規制と、市役所や図書館などの社会施設を中心街にもってくることを骨子とするこの法案は、果たして誰の利益になるだろう。
郊外を規制したからといって、中心市街地の商店街ががんばるという必然性はない。空洞化した中心街で一生懸命がんばっている人たちの声は、地権者の無責任さに対する批判が多い。シャッターを下ろしたままにしたり、物置にしたりと、周辺に対する配慮がないのである。固定資産税が安いからか、それとも食うに困らないからか、まちの連続性を断ち切り、「土地は公共財である」という自覚がないのだ。
アメリカの西海岸バークレーなどでは、地域が協定して、もし店を閉める場合は自分が責任をもって借り手を探すか、さもなくば地域の委員会が借り手を探すことが義務づけられている。空き店舗のままにすると、年間で約40万円のペナルティーが課される。ゴミの捨て場になったりして環境を悪化させる原因にもなるからだ。
日本の中心街は不在地主が多く、彼らは地域への関心が薄く、行政による再開発への期待のみ大きい。土地を処分できるからだ。
平成の大合併は地方自治体の財政悪化がもっとも大きな原動力となっている。そうした中で、市役所や病院、図書館といった施設を新たに郊外から中心市街地に移転させることができるだろうか。
地権者たちはもう少し自分の土地を有効利用するために頭をひねったらどうだろう。大型店はたしかに強い。企業ごとに意思決定ができるからだ。しかし、大型店を「犯人」にしても、「被害者」(商店街)が同情される時代は終わったのではないだろうか。今度の法案には、がんばる地域を支援する、という方向もある。大切なのはそこだろう。中心市街地の側の義務がもっと語られてもよい。」まさに指摘のとおりです。シャッター通りと化した中心市街地の活性化に、官民上げて取り組む必要を痛感します。