日立市では一足先に団塊の世代の大量退職が始まっている
第6回ひたち未来シンポジューム2006 6月3日、茨大地域総合研究所などが主催した「第6回ひたち未来シンポジューム2006」が、「日立地域再生の可能性」(団塊世代の大量退職時代が企業城下町をどのように変えるか)をテーマに開催されました。
 主催者の挨拶の後、茨城大学生涯学習教育センターの長谷川幸介助教授が基調講演を行いました。
 長谷川助教授は、日立市の2007年問題(団塊の世代の大量退職問題)は、実はすでに数年前から始まっていると指摘しました。日立市では、昭和30年代半ばから、日立製作所の事業拡大によって、古い地域共同体の中で生まれ育った東北地方の若い労働力が、大量に日立に居住するようになりました。この人たちは、いわゆる団塊の世代よりも5歳程度上の年齢の人たちです。
日立市の人口構成 こうした日立の団塊市民は、企業が作り上げた社宅群を中心とする企業共同体に所属するようになりました。いわゆる日立一家です。社宅のある地域には、様々なサービス機能が充実し(たとえば、買い物の拠点となる供給という仕組みなど)ており、社宅の内と外を意味する柵内、柵外などという言葉も生まれました。
 日製を中心とする企業は、若い労働者に貯蓄を奨励し、やがて日立の団塊市民は山側に作られた団地群に住むようになります。ここで新しいコミュニティに住むようになります。1970年代から新たな共同体・市民共同体を作るようになりました。日本では市民共同体には二つの受け皿があります。一つは目的別の共同体。ボランティアやNPOなどがこれに当たります。もう一つは、地域共同体、コミュニティです。ちょうど茨城県では国体に取り組む、県を上げてコミュニティの形成を支援していました。この時流に日立はしっかりと乗ることができました。日本では市民共同体の受け皿は、一般的に目的別共同体なのですが、日立市では特徴的にコミュニティが市民共同体の受け皿となったのです。
 長谷川助教授の「団塊の世代が社会に戻ってくることを大きなチャンスだと認識することが大事。団塊の世代が乗っかれるような仕組みを作れれば、団塊の世代は日立のまちづくりのために大きな力になる」との発言は非常に示唆的でした。こうした団塊市民に。行政がどのような活動のステージを提供できるか、これは喫緊の課題です。
団塊の力で地域再生 日立 産官学、市民がシンポ
茨城新聞(茨城新聞ニュース2006/06/04)
 団塊の世代が一斉に定年退職を迎える「二〇〇七年問題」を踏まえ、同世代が企業城下町をどのように変えていくかを考える「ひたち未来シンポジウム」(茨城大地域総合研究所、ひたち未来研究会など主催)が6月3日、日立市中成沢町の茨城大工学部で開かれた。参加した大学や企業、行政の関係者、市民らは、団塊の世代が地域社会に何をもたらし、日立市の再生へ向けてどのように寄与していくのかについて意見交換した。
 シンポジウムの冒頭、茨城大生涯学習教育研究センターの長谷川幸介助教授は講演の中で、団塊の世代が社会を変えてきた事実に触れながら「年金や退職金など大量の財を持って自由になる市民層。健康、学校、観光の『三コウ』がキーワード」と、今後の生き方を示唆した。
 団塊世代の地域社会還元をテーマにしたパネルディスカッションでは、市民代表の西村ミチ江さんが「現役時代から地域で友達づくりができるように、地域にかかわりやすい多彩な活動を展開する」と実践活動を報告。橋本ひろみさんは「家庭や地域で会話することが重要」と語った。
 同世代の滝田薫茨城キリスト教大教授は「団塊世代は主体性があるように思えるが、簡単に変換する」と柔軟な傾向を強調。企業退職者の半井進さんが「多くの経験から得た知識や技能を提供」と提言すれば、茨城大工学部の山田稔助教授も「全国の日立製作所退職者に、もう一度日立市に目を向けさせる仕掛けはできないか」と述べた。
 日立製作所日立事業所の館岡司総務部長代理は「セカンドライフを地域でうまく過ごすため、定年間際に地域交流の大切さを意識付けさせている」と説明。石田伸博市商工課長は「退職者のパワーを集めた技術・経営支援の組織ができればいい」と期待を込めた。