55年体制温存のために改革遅れる、責任は与野党ともにある
 年金記録問題の根っこは、いわゆる55年体制の中で培われた「地方事務官」制度にあるという指摘がマスコミで取り上げられ始めています。
 県議会議員の井手よしひろが、初めて県議に当選した13年前。年金を扱う職員と職安の職員は、国家公務員という立場でありながら、県知事のもと管理されるという不自然な上体が50年余りも続いていました。議会質問も、年金や職安に対する質問は、具体的な手続きなどに関するものならともかく、一種タブー視されていたような雰囲気がありました。
 平成8年には、茨城県議会で「地方事務官制度の廃止等に関する意見書」が採択されています。
地方事務官制度の廃止等に関する意見書
茨城県議会(1996年12月18日)
 厚生年金、国民年金、健康保険などの社会保険行政は、都道府県知事に機関委任されているにもかかわらず、これらの行政に従事する職員は、地方自治法附則第8条の規定により、当分の間、官吏(地方事務官)とされ、人事権と職務上の指揮監督権の不整合など、不合理な制度として50年近くの永きにわたり、変則的な運営がされてきた。
 これまでも、本議会をはじめとする関係諸団体の多年にわたる改革要請により、政府もその改善について、しばしば閣議決定を行っているが、未だ解決をみていない。
 また、地方分権推進委員会においても、地方事務官制度は、機関委任事務制度の廃止に向けた抜本的な改革と併せて、検討されているところであり、来春にも、勧告が予定されているが、本格的な高齢社会を迎えるなか、社会保険行政は社会保障制度の中核として、国民生活の安定・向上にとって重要な役割を果たしている。
 よって、政府においては、速やかに地方事務官制度を廃止し、これまでの社会保険行政の実態に鑑み、関係事務の効率的な執行が図られるよう、その職員の身分を地方に移管するなど、適切な行財政措置を講ずるよう強く要望する。

 国家公務員ありながら、処遇は地方公務員という中途半端な扱いに、職員の多くは国からも地方からも疎外感を感じたに違いありません。県の職員であれば、年金などの仕事以外にも様々な仕事を経験し、昇進する機会も開けるわけですが、「地方事務官」の行く末は非常に限定的、閉鎖的な状況であったともいえます。
 その結果、職員の大半は地方公務員の労働組合である「自治労」に加盟し、72年に国費評議会(現・全国社会保険職員労組)を結成しました。そして、旧社会党でも、もっとも左よりで、最強の系支持団体と育っていきました。マスコミ報道によると、「各地で独立王国化し、本庁から幹部が視察に訪れるにも労組の許可を要した」とさえいわれています。
 しかし、こうした硬直した状況に対し当時の国の行政や与党自民党は、どのように対応したかというと、いわゆる55年体制維持のため有効な改革手段をとらなかったばかりか、悪しき体制維持に加担したと思われます。
 年金記録問題の最大に被害者は年金加入者であり、国民です。その加害者は、国民を無視した一部労働組合と硬直化した労使関係の改善を後回しした政府・自民党です。
 この年金記録問題が最大の争点とされるこの参院選。自民党も民主党も、謙虚にその歴史的背景を国民に開示し、建設的な論戦によって、民意の判断を仰ぐべきです。
年金問題:社保庁の地方事務官制度、88年に自社が温存
毎日新聞(2007/7/20)
 年金記録漏れ問題の背景として、社会保険庁の体質が指摘されている。出先職員の身分が「地方事務官」としてあいまいなまま放置されたことが無責任体質を助長したとみられているが、いわゆる55年体制下の88年、同制度の温存が自民、社会(当時)両党間で合意されていたことが関係者の話からわかった。
 「政治そのものも責任を負ってます」。6月21日の参院厚生労働委員会で柳沢伯夫厚労相は、弊害が指摘されてきた地方事務官制度の放置について、こう答弁した。地方事務官は47年の地方自治法制定で、都道府県に勤務しながら国家公務員の身分を持つ変則的な職制と定められた。同法付則で「当分の間」の措置とされたが、見直しは進まなかった。この「コウモリのような存在」(佐々木典夫・元社保庁長官)は本庁、都道府県庁双方から外様扱いされ、やがて国も県も統制できなくなっていった。
 職員の大半は自治労に参加。72年に国費評議会(現・全国社会保険職員労組)を結成し、旧社会党の強力な左派系支持団体となった。OBによると、各地で独立王国化し、本庁から幹部が視察に訪れるにも労組の許可を要した。業を煮やした政府は84年、地方事務官の身分を国に一元化する法案を国会に提出する。だが、自治労・国費評は地方公務員化を迫る身分移管闘争を繰り広げ、法案は4年11国会にまたがって廃案、継続を繰り返していた。
 そして迎えた88年5月。有力厚生族の橋本龍太郎・自民党幹事長代理(当時、後に首相)と、自治労をバックとする村山富市・社会党衆院議員(同)が密会した。元厚労省幹部によると、2人は国一元化法案の廃案と、再提出しないことで手打ちしたという。この結果、地方事務官の廃止は地方分権一括法施行の00年度まで、12年間遅れることになった。自社手打ちの直後、年金記録オンライン化に反対してきた国費評は「窓口装置の操作時間は1日180分以内」との確認事項を庁当局と結んだ。労働軽減を何より重視する姿勢は引き継がれ、02年10月時点でも「昼休みの窓口対応は、必要最小限の体制で」との確認を交わしている。自治労は「労組のせいと断罪されるのは事実誤認だ」と反論するが、自民党には「国民無視の労働強化反対闘争」(中川秀直幹事長)と映る。確認事項98件は、05年1月までにすべて破棄された。