11月27日の参院財政金融委員会で、自民・公明の与党委員が欠席した中、民主党など野党が一方的に額賀福志郎財務相の証人喚問を行う議決を強行しました。
 憲法62条では、「両議院は国政に関する調査を行い、これに関して証人の出頭、証言、記録の提出を要求することができる」とし、衆参両院に国政調査権を認めています。虚偽答弁をすれば偽証罪に問われる証人喚問は、その具体的な形です。
 額賀大臣が「山田洋行」の元専務らと宴席をともにしていたのかいないのか、自民党と民主党の調査結果は全面的に対立しています。民主党は、28日に東京地検に逮捕された守屋武昌前防衛次官の電話での証言をもとに、宴席に出席していると、国会の質疑で執拗に額賀大臣を追求しています。一方、自民党は当日の他の会合での記念写真や録音データなどを証拠に、アリバイを主張しています。
 この疑惑が発覚して以来、額賀大臣は財務相として国会の質疑で繰り返し野党の質問に答えてきました。強制力を伴う証人喚問は全会一致で行うのが国会の衆参両議院の良識ある慣行でした。与党が欠席した中での証人喚問の強行採決は、良識の府・参議院の良き伝統を根本から覆すものです。多数派から少数派への横暴を阻止するためという、参議院の自律的な議院の運営慣行を根底から崩すものです。
 「証言の食い違いが問題」と民主党は主張していますが、本来、一番問題になっているのは、防衛省をめぐる装備品の調達について不正がないのかどうか、防衛利権に対して誰が不正な関与をしていたのかという問題です。その本質的な事実関係を明らかにしていくのが国会の役割です。単に宴席に額賀大臣が参加したかしなかったかという食い違いで証人喚問というのは、民主党の党利党略としか言いようがありません。
 民主党は参院選前の国会運営を「与党の多数の横暴」と批判してきました。しかし、いったん参議院で多数を得ると、その参院運営は「多数の横暴」そのものです。
 11月29日付の朝日新聞は「額賀氏喚問―国政調査権の名が泣く」と、民主党の対応を厳しく批判する社説を掲載しました。
 民主党は、国民にとって何が一番利益になるのか、という一点で国会の対応を行ってもらいたい。参院で多数党になった民主党に、単なるパフォーマンスを国民は期待していない。
額賀氏喚問―国政調査権の名が泣く
朝日新聞社説(2007/11/29付け)
 額賀氏がきちんと説明すべきなのはその通りだ。私たちも社説で、額賀氏と山田洋行側の、癒着と見られかねない関係を批判し、財務相の職にふさわしいかどうか、疑問を呈してきた。
 ただ、疑惑の発覚後、額賀氏が財務相として国会の質疑で繰り返し野党の質問に答えてきたことは間違いない。自民党も写真などの「物証」を添えて、「額賀氏は別の会合に出ていた」とする調査結果を発表した。疑いが晴れたわけではないが、野党は引き続き通常の国会質疑で財務相にただすことができる。しかも、宴席に出ていたかどうかの問題だけで、あえて全会一致の慣例を押し切ってまで、喚問の場に引き出す必要があったのだろうか。
 証言に立たせたところで額賀氏が言い分を変えるとも思えない。もっぱら世論受けを狙った政治利用ではないのか、と言われても仕方あるまい。
 国政調査権をどう使うべきなのか。民主党は勘違いしていないか。
 機種選定や基地がらみの建設工事で政治家が利権をあさっていないか。高額な装備の購入に不正はないか……。こうした疑惑にメスを入れてこその国政調査権である。地道な調査を積み重ねていくことが、国会による文民統制を機能させることにもなる。派手な政治ショーのための国政調査権ではない。

 11月30日、江田五月参議院議長の仲介により、民主党は額賀財務大臣の証人喚問を見送ることに同意しました。証人喚問は、与野党の同意でとの原則を受け入れた当然の結果でした。民主党は今回、与党欠席のまま多数決で喚問を議決しました。そもそも証人喚問は、多数党が数の力で、少数党に対し恣意的に打撃を与えることを避けるために、全会一致の慣例が確立されてきました。野党が民主党がその原則を破って言い訳がありません。喚問取り消しは当然の結論です。
喚問見送り 民主は数の意味を履き違えた
毎日新聞社説(2007/12/1)
 参院財政金融委員会で3日に予定されていた額賀福志郎財務相の証人喚問が見送られることになった。野党が喚問を強行することに懸念を示した江田五月参院議長の意向を民主党が受け入れたものだ。多数決で証人喚問を議決した民主党はやはり強引過ぎた。見送りは当然だろう。
 証人喚問の焦点は、収賄容疑で逮捕された前防衛事務次官、守屋武昌容疑者と防衛専門商社元専務らとの宴席に額賀氏が同席していたかどうかだ。
 民主党は守屋前次官から得た証言として、昨年12月4日夜だったとされる料理屋での宴席について、座席表を作成し、額賀氏の同席は間違いないと主張。これに対し、額賀氏や自民党は当日の写真や録音で「アリバイ」を主張する一方、宴席の主賓とされる米国防総省元日本部長も記者会見して、額賀氏の同席を否定した。
 真相は闇の中だ。民主党は現職閣僚で予算編成の担当者である額賀氏が虚偽の発言をしていたことが明らかになれば、額賀氏の進退問題に発展し、福田内閣を揺さぶれると考えていたのだろう。
 だが、本来、国会が究明すべきは宴席に同席していたかどうかだけではない。守屋前次官の逮捕で浮かび上がりつつある防衛利権の全体構造を解明することだ。仮に額賀氏が業者との宴席に同席していたとして、それが防衛装備品の調達などに関して疑惑につながる話があるのかどうか。そうした説明は民主党からはほとんどない。
 民主党は額賀氏と守屋前次官を2人並べて喚問し、白黒をはっきりさせる算段だったと思われる。前次官の逮捕でそれができなくなり、同党からは「逮捕は証人喚問つぶしだ」との声まで出ている。
 しかし、2人の同時喚問が実現していたら決着がついていただろうか。確かに証人喚問となればテレビも生中継し、国民の関心も高まったろうが、双方が主張し合うだけで単なる政治ショーに終わった可能性は否定できない。まさか民主党もそれが狙いだったわけではあるまい。
 民主党は今回、与党欠席のまま多数決で喚問を議決した。だが、そもそも、なぜ、喚問は全会一致を原則としてきたのか。多数党が数の力で強行できるようになれば、少数党に対し、思い通りに政治的打撃を与えることが可能になるからだ。だから自民党が衆参両院で多数を握っていた時代も抑制的なルールが保たれていたのだ。今回の議決に賛成した共産党が「賛成は間違いだった。全会一致でやるべきだった」とその後、認めたのも当然のことだった。
 果たして今回の一件が、原則を崩すのに値するものだったか。民主党には昨春、「偽メール」問題で前原誠司前代表が辞任した苦い経験がある。今回も強引に突き進む姿勢に対し、党内でも危ぶむ声はあった。現職閣僚の額賀氏の追及は日常的に国会でできる。「衆参ねじれを生かす」とアピールするのはいいが、国政調査権の意味、そして数の力の意味を履き違えない方がいい。