2月21日、茨城県高等学校教職員労働組合(茨高教組)は、昨年(2007年)から必修化された県立高校の道徳のテキスト「ともに歩む 高校生の道徳−今を、そして未来−」に、特定の宗教を広める内容が掲載されているとして、是正を求める要望書を県教育委員会に提出しました。
 茨高教組によれば、道徳テキストに掲載された筑波大学名誉教授村上和雄氏(遺伝子工学)の著書「生命のバカ力」(講談社)から引用した内容の中で、「サムシング・グレート」(何か偉大なもの)という言葉が、村上氏の別の著書では、天理教の「親神様」などをさしていると記述されており、特定の宗教の教えを広める意図があるとしています。
 県教育委員会では、テキストに掲載された内容は、特定の宗教の教義を指すものではなく、一般的な表現であるとして問題なしとしてきました。
 そもそも道徳の授業の必修化には、賛否両論の意見があり、全国的にみても必修化に踏み切ったのは茨城県だけです。
 特に授業に当たって、どのようなテキストを使うかが大きな課題となっていましたが、県教育委員会は、生徒用テキスト作成委員会を立ち上げて、平成18年4月から約半年を掛けて検討を重ねてきました。テキストがまとまった段階では、茨高教組を含め、各界から取り立てて異議は出されませんでした。
 平成19年度は、県立高校106校中105校がこのテキストを使って、道徳の授業を行いました。平成20年度は、106校すべてがこのテキストを使うことになっています。
村上和雄『生命はゼロからつくれない』2007年、茨城県高校道徳テキスト
 私たちの肉眼では見えない小さな細胞の核という部分におさめられている遺伝子には、たった4つの分子の文字の組み合わせであらわされる30億もの膀大な情報が書かれています。その文字もAとT、CとGが、きれいに対をなしています。そして、ほかでもない、この情報によって私たちは生かされているのです。
 もちろん、人間だけではありません。地球上に存在するあらゆる生き物、カピなどの微生物から植物、動物にいたるまで、少なく見積もっても2百万種、多く見積もると2千万種と言われていますが、これらすべてが同じ遺伝子暗号によって生かされているのです。
 こうした奇跡的な現実を前にしたら、どうしてもサムシング・グレートのようや存在を想定しないわけにはいかなくなります。
 サムシソグ・グレートとは、具体的なかたちを提示して、断言できるような存在ではありません。どのように思われても、それは自由です。
 ただ、私たち生命体の大本にはなにか不思議なカがはたらいていて、それが私たちを生かしている、私たちはそういうものによって生かされているという気持ちを忘れてはいけないと思います。

村上和雄『生命のバカ力』2003年、講談社プラスアルファ新書
 私たちの肉眼では見えない小さな細胞の核という部分におさめられている遺伝子には、たった4つの分子の文字の組み合わせであらわされる30億もの膀大な情報が書かれています。その文字もAとT、CとGが、きれいに対をなしています。そして、ほかでもない、この情報によって私たちは生かされているのです。
 もちろん、人間だけではありません。地球上に存在するあらゆる生き物、カピなどの微生物から植物、動物にいたるまで、すくなく見積もっても2百万種、多く見積もると2千万種と言われていますが、これらすべてが同じ遺伝子暗号によって生かされているのです。
 こうした奇跡的な現実を前にしたら、どうしてもサムシング・グレートのようや存在を想定しないわけにはいかなくなります。
 サムシソグ・グレートとは、具体的なかたちを提示して、断言できるような存在ではありません。大自然の偉大なカとも言えますが、ある人は神と言い、ある人は仏と言うかもしれません。どのように思われても、それは自由です。
 ただ、私たち生命体の大本にはなにか不思議なカがはたらいていて、それが私たちを生かしている、私たちはそういうものによって生かされているという気持ちを忘れてはいけないとおもいます。
 茨城県の道徳テキストは村上和雄氏の『生命のバカ力』(2003年、講談社プラスアルファ新書)よりの転載という標記になっていますが、実は、細かにみると一部削除されている部分があります。「サムシソグ・グレートとは、具体的なかたちを提示して、断言できるような存在ではありません。大自然の偉大なカとも言えますが、ある人は神と言い、ある人は仏と言うかもしれません。どのように思われても、それは自由です」との一節では「大自然の偉大なカとも言えますが、ある人は神と言い、ある人は仏と言うかもしれません」という部分が、そっくりと削除されています。

村上和雄・小滝透『科学者が実感した神様の働き』1999年、天理教同友社
 私はこれまでも生命科学の研究をずっとやってきましたので、これからは、生命科学と、広い意味での教祖の教えとを結びつける仲人の役、コーディネーターの役をやりたいと思っています。なぜなら、私は科学の現場で親神様の働きを見たわけですから、これを多くの人に伝えたいのです。
 これはかならずしも、天理教の人だけではなくて、教祖の教えを知らない人にも伝えたいと思っています。だから私は、最近の本では“サムシング・グレード”というコトバを使っています。あれは親神様のことです。親神様というと、天理教以外の人は入りにくいし、何だろうと思ってしまいます。だから私は、天理教の言葉を使わずに、教祖の教えを世界の人に伝えていければと思っています」
 茨高教組が指摘するように、村上和雄氏は『科学者が実感した神様の働き』(1999年、天理教同友社)において、天理教の親神様を「サムシング・グレード」という言葉で表現すると述べています。天理教のホームページのよれば、「親神は、天理王命(てんりおうのみこと)と申し上げます。親神は、元の神であり、実の神です。元の神とは、この世をはじめ、人間をつくった本元の神ということで、私達の生命をはじめ、万物に生命を授けられた根源者ということです。実の神とは、この世の一切のものの上に、また、人間の身の内に入り込んで、守護し、お働き下さっている神ということです。つまり、全人類の生みの親、育ての親なのです」(天理教のホームページより【親神・元の神実の神】)とあります。

高校でも必修化 チーム組み模索
読売新聞:教育ルネサンス「道徳」の力−1(2007/10/30)
 茨城県の県立高校は、今春から道徳を必修化している。
 ふだんは現代社会と地理を教える横山恵美子教諭(58)は、教室に入ると、県教育委員会が独自に作ったテキストを開かせ、「皆さん、この人を知っていますか」と明るく語りかけた。
 19日に行われた水戸工業高校(水戸市)機械科1年B組の道徳は、ナチスの迫害を受けたリトアニアのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝(ちうね)が題材。正義や人類愛を考えさせる狙いだ。
 横山教諭は、年表や地図、イラストなども使って経緯を説明。日本政府とユダヤ人の窮状の板挟みになった外交官の心情をグループで討論させ、頭を抱える男性のイラストの横に書き込ませた。
 「困ったなあ」「ああどうしよう」……。イラスト同様に頭を抱える生徒を見ながら「グループ討論は早かったかなあ」と横山教諭の表情にも困惑があった。

 茨城県は4月から総合的な学習の時間を使い、1年生に週1時間、年間35時間の道徳を学ばせている。目立つ若者の無気力や、凶悪犯罪の続発を受けて、高校段階でも自らを見つめ、考えさせる時間が必要と考えたからだという。
 道徳専門の教師はいない。6割の学校で学級担任が担当するが、公民科の教師が受け持つ学校も目立つ。その中で、水戸工業は、担任と、生活指導や進路指導の担当以外の全員を、5、6人ずつに分けて、チームでクラスを担当することにした。毎回、話し合って指導案を作っている。
 全員で取り組むのは、押し付け合いを排除し、様々な人生経験を持つ教師のかかわりで効果を高めたいからだ。中川隆行校長(56)は「道徳は教育の要という姿勢を示すには、学校挙げての取り組みが不可欠」と意欲を見せる。

 今年2月、横山教諭が当時の2年生約200人に小中学校で道徳の授業を受けた経験があるかを尋ねたところ、半数以上が「ない」と答えた。難しい年齢の高校生に、教師が一方通行の授業を続けたら、そっぽを向かれかねないだけに、各チームとも知恵を絞る。
 生物の教師は遺伝子を題材に命の尊さを伝え、漫画に詳しい数学教師は「北斗の拳」を使って思いやりの心を、美術教師は茨城県出身の陶芸家、板谷波山(いたやはざん)の生涯を描いたテレビ番組で夢や誇りを考えさせる――。「なんだか苦手」と言う生徒もいるが、「テーマがいろいろで面白い」と好意的な生徒も増えてきた。

 2年前、県の道徳教育研究指定校になった三和高校(古河市)は、規範意識育成を核にすえた。毎回、冒頭10分間をお辞儀の仕方に充て、ゴミの捨て方も学ぶ。ほかの授業でも服装検査の指導を拡充した結果、昨年度は、遅刻・早退率、服装指導での不合格率、学校行事への欠席率、校則違反率、進路未決定率の「社会性尺度」5項目すべてで前年度を上回った。
 だが、担当の鹿島正人教諭(52)は「未経験の授業だけに、毎回の内容の組み立てが非常に大変だ」と打ち明ける。
 ある進学校の教師は「生徒は教師が望んでいる回答を読み取ってしまう」とこぼす。別の高校の教師は「テキストの漢字が読めない生徒さえいる。道徳の時間は、作文を書かせるなど、就職対策の時間に充てている」と明かす。
 学年末の成績評価も教師を悩ませる。県教委は文章での評価を求めている。
 2004年度に文部科学省の研究開発学校の指定を受けた岩井西高校(坂東市)は、1年だけでなく2年でも授業を続行。毎回使う作業シートに授業の感想を書かせ、教師の評価を書き込む。1年間の心の成長を、教師と生徒が一緒に振り返るには、年度末に書く数行では意味がないと判断した。
 「これ以上、道徳に時間を使いたくない」「生きる力をつける好機」。様々な見方がある中で、100校を超える県立高校の教師たちの手探りが続く。
小中で導入 来年50年…教科への格上げ議論に
 道徳の時間が国の学習指導要領に定められているのは小中学校で、高校にはその規定はない。小中学校で道徳が始まったのは1958年。来年で50年になる。その歩みは平坦(へいたん)ではなく、「戦前の『修身』の復活だ」「消極的すぎる」と、導入当初から激論があった。
 現行の指導要領は、道徳教育を「学校の教育活動全体を通じて行う」と位置づけ、道徳の時間の数値評価をしないなど、教科と一線を画している。
 最近では、指導をより充実させようと、政府の教育再生会議が「徳育」の教科化を提言、文部科学省の中央教育審議会でも議論になった。茨城以外の自治体でも、高校での導入を検討する動きがある。いじめや犯罪の低年齢化など、子供を取り巻く状況が大きく変化し、規範意識や思いやりの心の育成への期待が、これまで以上に高まっていることが背景にある。
 ただ、授業を組み立てることの難しさは変わっておらず、学校や学級単位でさえ、取り組みに濃淡がある。文科省が2003年度、約36万校に聞いた調査では、小学校の約2割、中学校の4割が、標準とされる年間35時間の授業時間を下回っていた。
茨城県の道徳テキスト タイトルは「ともに歩む―今を、そして未来へ―」。盛り込んだ35の題材の中には、恩田陸さんの人気小説「夜のピクニック」や中田英寿さんのブログ(日記風ホームページ)も含まれる。「自分自身に関すること」「他の人とのかかわりに関すること」など、中学校の学習指導要領にある四つの視点、23の項目すべて学べるようにした。使用義務は課していない。