3月29日、国道6号日立バイパスの東町から旭町までの1.6キロ区間が開通しました。午前11時より、開通記念式典並びに愛称の発表が行われました。
このバイパスの開通を記念して、「愛称」の公募が行われました。日立市民をはじめ、県内外654名の方々から募集があり、選定委員会(委員長:小柳武和茨城大学教授)の選考の結果、「日立シーサイドロード」と愛称が決定しました。このバイパスが海岸沿いにあり、覚えやすく末永く愛される道路としてのネーミングであるというのが選考の理由です。
開通式典の後、日立バイパスの海上部分の「ウォーキング大会」が催されました。「日立シーサイドロード」との横断幕を掲げた市民約3500人(報道発表)が、樫村千秋市長のスタート合図により、一斉に渡り初めを行いました。道路上では駒王中学校学吹奏楽部や日立太鼓連盟の演奏がにぎやかにイベントを盛り上げました。会場では開通を記念した「缶バッチ」とつみれ汁の無料配布が行われました。
午後4時には、一般車両の通行がはじまり、日立の新たな大動脈が動き出しました。
日立バイパスは、昭和59年から田尻町から河原子町までの10.4キロ区間が都市計画決定され、約30年の歳月を経て、計画の約半分の区間である旭町までの4.7キロが開通したことになります。末事業化区間の河原子町までの5.7キロ区間については、早期のバイパスの整備を求め「署名活動」が昨年、多くの関係機関団体等により展開され、約10万人の市民から寄せられました。現在、国・県・市の行政機関や日立市民の英知を結集するため、事業化に向けての市民参加の手法を取り入れた検討がされています。早期の事業化が望まれるところです。
このバイパスの開通を記念して、「愛称」の公募が行われました。日立市民をはじめ、県内外654名の方々から募集があり、選定委員会(委員長:小柳武和茨城大学教授)の選考の結果、「日立シーサイドロード」と愛称が決定しました。このバイパスが海岸沿いにあり、覚えやすく末永く愛される道路としてのネーミングであるというのが選考の理由です。
開通式典の後、日立バイパスの海上部分の「ウォーキング大会」が催されました。「日立シーサイドロード」との横断幕を掲げた市民約3500人(報道発表)が、樫村千秋市長のスタート合図により、一斉に渡り初めを行いました。道路上では駒王中学校学吹奏楽部や日立太鼓連盟の演奏がにぎやかにイベントを盛り上げました。会場では開通を記念した「缶バッチ」とつみれ汁の無料配布が行われました。
午後4時には、一般車両の通行がはじまり、日立の新たな大動脈が動き出しました。
日立バイパスは、昭和59年から田尻町から河原子町までの10.4キロ区間が都市計画決定され、約30年の歳月を経て、計画の約半分の区間である旭町までの4.7キロが開通したことになります。末事業化区間の河原子町までの5.7キロ区間については、早期のバイパスの整備を求め「署名活動」が昨年、多くの関係機関団体等により展開され、約10万人の市民から寄せられました。現在、国・県・市の行政機関や日立市民の英知を結集するため、事業化に向けての市民参加の手法を取り入れた検討がされています。早期の事業化が望まれるところです。
ウオーキングで開通祝う、国道6号日立バイパス「日立シーサイドロード」
常陽新聞(2008/3/30)
日立市内を走る国道6号日立バイパス(旭町〜東町、延長約1.6キロ)が完成し、3月29日、現地で開通式が行われた。式後にはウオーキング大会が開催され、地元住民など約3500人が県内初の海岸道路の景色を楽しんだ。 同日午後4時から供用開始した。
同バイパスは河原子町―田尻町間の10.4キロ。旭町―田尻町間4.7キロが事業化され、北側の鶴首アクセスまで3.1キロは供用済み。今回、海上部分1.0キロを含む旭町までが暫定2車線で完成した。これまでの事業費は約400億円。
開通式でバイパスの愛称が「日立シーサイドロード」に決まったことが発表された。国土交通省関東地方整備局の上野進一道路部長が「活力ある地域づくりに貢献できる。残りの整備にも協力してほしい」とあいさつ。橋本昌知事は「鮎川まで通らなければ十分な効果が得られない。必要な道路をしっかり作れる財源の確保が必要」と道路特定財源の維持、存続を訴えた。
ウオーキング大会には親子連れなどが参加。同市滑川町の主婦、佐藤幸枝さんと鶴巻一江さんは普段から健康のために2人で散歩しているという。「これまで見られなかった景色を楽しもうと、記念に参加した」と笑顔で話していた。
このほか、市立駒王中学校吹奏楽部や日立太鼓連盟の演奏、開通記念缶バッジ、鍋汁なども配られた。未着工部分の南側の5.7キロ区間は市民らの意見を聞きながら見直し中。