最近、「シルバー民主主義」という言葉をよく見かけます。月刊誌「WEDGE」8月号の「高齢者医療で露呈 シルバー民主主義の危うさ」との記事には、目を引かれました。
「シルバー民主主義」、「高齢者ポピュリズム」の暴走の行き着く先は、世代間の対立であり、国そのものの根幹を揺るがす事態となります。社会保障にせよ、年金にせよ、国が提供できるサービスには限界があります。何より、その財源の大部分は、現役世代の負担に寄っています。高齢者世代の負担を和らげ、サービスをより多く提供しようとすれば、現役世代への負担増、サービス切り捨てとなることは自明の理です。
この世代間のバランスをどう取るかに政治の力量がとわれています。
高齢者世代が政治に関心を持ち、積極的に発言することは、大変すばらしいことです。年金問題を契機に、寄らば大樹の陰で保守勢力に全権委任しておけば、老後の生活は安心だという考え方は、砂上の楼閣であったことが明らかになりました。政治や行政が高齢者へ積極的に説明責任を果たすことが極めて重要になりました。
「シルバー民主主義」を健全に機能させ、「高齢者ポピュリズム」の愚を廃するためには、批判や反論を恐れず、あらゆるチャンネルを使っての高齢者への語り掛けが不可欠です。
高齢者医療で露呈 シルバー民主主義の危うさ長寿医療制度に対して手厳しい批判を続ける民放の朝の看板番組ついて、友人のテレビ関係者がこんな話を聞かせてくれました。「朝の時間帯のワイドショーを見ているは、大部分が高齢者。そのことを司会のM氏は、そのことを直感的に悟っていて、理屈っぽいことは一切言わず、ひたすらお年寄りの感情に訴えるパフォーマンスを繰り返している。高齢者医療のあるべき姿を論ぜず、その欠点のみを針小棒大に語る姿は、『高齢者ポピュリズム』そのものだ」と。
月刊誌「WEDGE」8月号
自民党が圧勝した05年9月の郵政選挙を見てみると、20代の投票率が40%であったのに対し、60代以上では軒並み80%を超えている。この数値に世代人口を掛け合わせて投票者数を計算すれば、50歳以上の票で58%を占め、過半数をゆうに超えている。ちなみに25年前の衆院選では、38%であり、投票者数は高齢者層に偏在していることがよくわかる。(中略)
そこへ政党やマスコミの「高齢者ポピュリズム」が追い打ちをかけている。「シルバー民主主義」が健在化したいま、自民党も民主党も、高齢者に不人気な政策をますます打ち出すことができなくなった。
これは読者が高齢化するマスコミも同じ構造だ。ビデオリサーチの新聞閲覧者調査でも、対象が70歳未満にもかかわらず、50歳以上の読者だけで実に4割を占めている。これに70歳以上を加えると読者の高齢化は明らかだ。週刊誌や月刊誌でも事情は同じ。若者の活字離れでパイの減少と高齢化が一挙に進むのは、政党の事情と瓜二つである。ある全国紙記者は「高齢者批判をすると、驚くほどの投書が届く」と内情を明かす。広告収入も絞られ、経営が難しくなる一方のマスコミは、読者の反応に過敏にならざるを得ず、国のあるべき姿を正面から提言していく重要な役割を果たせなくなりつつある。
「シルバー民主主義」、「高齢者ポピュリズム」の暴走の行き着く先は、世代間の対立であり、国そのものの根幹を揺るがす事態となります。社会保障にせよ、年金にせよ、国が提供できるサービスには限界があります。何より、その財源の大部分は、現役世代の負担に寄っています。高齢者世代の負担を和らげ、サービスをより多く提供しようとすれば、現役世代への負担増、サービス切り捨てとなることは自明の理です。
この世代間のバランスをどう取るかに政治の力量がとわれています。
高齢者世代が政治に関心を持ち、積極的に発言することは、大変すばらしいことです。年金問題を契機に、寄らば大樹の陰で保守勢力に全権委任しておけば、老後の生活は安心だという考え方は、砂上の楼閣であったことが明らかになりました。政治や行政が高齢者へ積極的に説明責任を果たすことが極めて重要になりました。
「シルバー民主主義」を健全に機能させ、「高齢者ポピュリズム」の愚を廃するためには、批判や反論を恐れず、あらゆるチャンネルを使っての高齢者への語り掛けが不可欠です。
本来、一次情報は国民全員の財産であるはず。既存メディアが、記者クラブという密室・談合体質で、一次情報から独占的に利益を得ているのがおかしい。
既存メディアは「警察関係者によると」と書いてどこの警察署の発表かは書かない。間違っていた場合、警察幹部に責任が及ばないように。
こんな談合体質で、民の監視など機能するはずがない。公的機関発表には記者クラブ関係なしに。