1月30日、衆議院は本会議を開き、麻生太郎首相の施政方針演説など政府4演説に対する各党代表質問を行いました。公明党の太田昭宏代表は、国内の実体経済悪化が深刻化する中、国民生活と経済を守り支えるための「非常時の経済政策」断行を強く主張。新たな国づくりに向けた「希望の戦略」として、環境、社会保障、農業、社会資本整備、教育の5分野から政策を提言しました。
100年に一度と言われる厳しい経済危機の中で、政治家の一挙手一投足に注目が集まっています。内村鑑三は「日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。日本に欠けているのは“生きた確信”である。真理そのものを愛する“情熱”である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である」と、語っています。キリスト教徒である内村鑑三の「真理そのものを愛する“情熱”」とは、政治家のそれとは少しニュアンスが違うかもしれませんが、自らが信ずる信念や政策を確信を持って、国民に語りかけることは非常に大事なことです。国会での議論を見るとき、歴代の首相も含め、日本の政治家のことばであり、声の貧弱さを憂えるのは、私一人ではないと思います。
特に、政党の党首が総理大臣に行う代表質問は、その意味で何よりも重要な儀式であると考えます。その意味で、太田代表の「この再生に向けた3年間が、単に大津波をくぐり抜けたという防衛的、守りの3年間であってはならない。ピンチをチャンスとし、冬は必ず春となる。苦難の3年間は、新しい成長の力を蓄え、明確なビジョンのもとで新しい日本の姿が見えるスタートの時にすることが大事であると考えます」との代表質問は、手前味噌ではなく、出色の演説であったと思います。
それにしても、野党第一党である民主党の代表質問には、多くの国民が失望しています。本来先頭を切って民主党の見解を述べる必要がある小沢一郎代表が登壇すらしなかったこと、代わって代表質問を行った鳩山由紀夫幹事長が明確な対立軸を打ち出せなかったこと、民主党の党員でもない田中真紀子氏がなぜか代表質問を行ったこと、等々。民主党が政権を担う意欲は全く感じられませんでした。
マスコミ各社の報道も、民主党の代表質問には、そろって落胆や批判の社説を掲載しました。
100年に一度と言われる厳しい経済危機の中で、政治家の一挙手一投足に注目が集まっています。内村鑑三は「日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。日本に欠けているのは“生きた確信”である。真理そのものを愛する“情熱”である。この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である」と、語っています。キリスト教徒である内村鑑三の「真理そのものを愛する“情熱”」とは、政治家のそれとは少しニュアンスが違うかもしれませんが、自らが信ずる信念や政策を確信を持って、国民に語りかけることは非常に大事なことです。国会での議論を見るとき、歴代の首相も含め、日本の政治家のことばであり、声の貧弱さを憂えるのは、私一人ではないと思います。
特に、政党の党首が総理大臣に行う代表質問は、その意味で何よりも重要な儀式であると考えます。その意味で、太田代表の「この再生に向けた3年間が、単に大津波をくぐり抜けたという防衛的、守りの3年間であってはならない。ピンチをチャンスとし、冬は必ず春となる。苦難の3年間は、新しい成長の力を蓄え、明確なビジョンのもとで新しい日本の姿が見えるスタートの時にすることが大事であると考えます」との代表質問は、手前味噌ではなく、出色の演説であったと思います。
公明党太田昭宏代表の代表質問<冒頭部分>
私は公明党を代表し、麻生総理の施政方針演説など政府4演説に対し、質問を行います。
総理、新しい年は、嵐の中の船出となりました。言うまでもなくわが国は今、「100年に一度」という経済危機に見舞われ、昨年来の荒波が、本年はさらに大きな波浪となって押し寄せています。今回の経済危機は、世界同時である点、その規模の大きさ、スピードの速さ、そしてこれまで各国の経済を牽引してきた産業部門が直撃を受け、実体経済、雇用に波及している点が大きな特徴であります。
リストラ、給与・所得の減少が、消費の抑制を招く悪循環となって生活を覆い、その暗雲が人々の心さえ萎縮させている負のスパイラルに陥っています。
われわれ国民生活に責任を持つ政党・政治家にとって、まさに今が正念場であり、渾身の力を込めて、この難局に立ち向かう決意が必要であります。平時の経済対策ではない、危機感を持った「非常時の経済政策」の断行を強い決意でやり抜かねばなりません。
総理、政治の出番であり、仕事をする時であります。金融政策・財政経済政策を総動員する、腹を決めて体を張って庶民の生活や中小企業、雇用を守りバックアップすることに全力を尽くす時であります。
仏の哲学者・アランは「悲観主義は感情のものであり、楽観主義は意志のものである」と言い、またベルクソンは「問題は正しく提起された時にそれ自体が解決である」と言っております。総理はこの経済危機をどう認識しているか。そして「日本が世界で最も早く不況を脱出する」という発言の経済戦略と決意を伺います。
まず緊急対策の柱であります。私は、現下の厳しい経済状況を打開するためには、緊急に総動員すべき対策として、
第1に、国際協調を含めた政府による機動的な金融対策と日銀による金融緩和政策、
第2に、積極的な財政出動や減税等を通じた内需の拡大、
第3に、雇用対策や中小企業支援、社会保障支援など万全なセーフティーネットの構築が必要であると考えます。こうした緊急時の対策を、力強く、切れ目なく打っていくことが必要です。それには、75兆円の景気対策を盛り込んだ、第1次補正、第2次補正の実施と、21年度予算の早期成立が必要です。
同時に私は、この再生に向けた3年間が、単に大津波をくぐり抜けたという防衛的、守りの3年間であってはならない。ピンチをチャンスとし、冬は必ず春となる。苦難の3年間は、新しい成長の力を蓄え、明確なビジョンのもとで新しい日本の姿が見えるスタートの時にすることが大事であると考えます。
参考:公明党太田代表の代表質問(要旨:公明新聞から)総理、新しい年は、嵐の中の船出となりました。言うまでもなくわが国は今、「100年に一度」という経済危機に見舞われ、昨年来の荒波が、本年はさらに大きな波浪となって押し寄せています。今回の経済危機は、世界同時である点、その規模の大きさ、スピードの速さ、そしてこれまで各国の経済を牽引してきた産業部門が直撃を受け、実体経済、雇用に波及している点が大きな特徴であります。
リストラ、給与・所得の減少が、消費の抑制を招く悪循環となって生活を覆い、その暗雲が人々の心さえ萎縮させている負のスパイラルに陥っています。
われわれ国民生活に責任を持つ政党・政治家にとって、まさに今が正念場であり、渾身の力を込めて、この難局に立ち向かう決意が必要であります。平時の経済対策ではない、危機感を持った「非常時の経済政策」の断行を強い決意でやり抜かねばなりません。
総理、政治の出番であり、仕事をする時であります。金融政策・財政経済政策を総動員する、腹を決めて体を張って庶民の生活や中小企業、雇用を守りバックアップすることに全力を尽くす時であります。
仏の哲学者・アランは「悲観主義は感情のものであり、楽観主義は意志のものである」と言い、またベルクソンは「問題は正しく提起された時にそれ自体が解決である」と言っております。総理はこの経済危機をどう認識しているか。そして「日本が世界で最も早く不況を脱出する」という発言の経済戦略と決意を伺います。
まず緊急対策の柱であります。私は、現下の厳しい経済状況を打開するためには、緊急に総動員すべき対策として、
第1に、国際協調を含めた政府による機動的な金融対策と日銀による金融緩和政策、
第2に、積極的な財政出動や減税等を通じた内需の拡大、
第3に、雇用対策や中小企業支援、社会保障支援など万全なセーフティーネットの構築が必要であると考えます。こうした緊急時の対策を、力強く、切れ目なく打っていくことが必要です。それには、75兆円の景気対策を盛り込んだ、第1次補正、第2次補正の実施と、21年度予算の早期成立が必要です。
同時に私は、この再生に向けた3年間が、単に大津波をくぐり抜けたという防衛的、守りの3年間であってはならない。ピンチをチャンスとし、冬は必ず春となる。苦難の3年間は、新しい成長の力を蓄え、明確なビジョンのもとで新しい日本の姿が見えるスタートの時にすることが大事であると考えます。
それにしても、野党第一党である民主党の代表質問には、多くの国民が失望しています。本来先頭を切って民主党の見解を述べる必要がある小沢一郎代表が登壇すらしなかったこと、代わって代表質問を行った鳩山由紀夫幹事長が明確な対立軸を打ち出せなかったこと、民主党の党員でもない田中真紀子氏がなぜか代表質問を行ったこと、等々。民主党が政権を担う意欲は全く感じられませんでした。
マスコミ各社の報道も、民主党の代表質問には、そろって落胆や批判の社説を掲載しました。
代表質問―民主党の顔はどうした
朝日新聞社説(2009/1/30)
民主党は本気で政権を担う覚悟があるのか。そう疑いたくなるような議場の光景だった。小沢代表がまたしても衆院の代表質問に立たず、鳩山由紀夫幹事長に代役をゆだねた。
昨年10月の臨時国会では一番手に立った。首相への質問というより民主党の政権構想を説く異例の形だったが、総選挙に向けて対立軸のようなものを浮かび上がらせる効果があった。
しかし今年は、年明けの2次補正に対する代表質問、そしてきのうと2回続けて鳩山氏にまかせきりである。
たしかに代表質問は党首討論とは違い、いつも党首が立つ義務はない。
だが、麻生首相の施政方針演説に対するきのうの代表質問は、遅くとも秋までには必ずある総選挙に向けた2大政党の激突の、いわば号砲の意味合いをもっていたはずだ。
この危機的な世界同時不況に際し、日本のかじ取りをゆだねるにふさわしいリーダーは麻生首相なのか、それとも小沢代表なのか。両党首の真剣勝負を、ぜひ聞いてみたかった。
政府を追及するテーマには事欠かない。喫緊の課題である経済対策や雇用対策、玉虫色の文言修正に終わった消費増税、骨抜きになった道路特定財源の一般財源化……。民主党の政策も紹介しながらの鳩山氏の質問は、それなりに聞き応えがあった。
それでも、一方のエースが自らマウンドに上がろうとしないなら、政権交代への国民の期待は広がるまい。
選挙応援の地方行脚にはあれほど熱心な小沢氏なのに、表舞台の国会論戦にはなぜこんなにも及び腰なのか。
これで総選挙で民主党が勝ち、小沢氏が首相になれば、国会答弁や外交交渉は本当に大丈夫なのか。政策をつくり、実行していくためにも政治指導者の発信力が大事な時代だ。
民主党が二番手の質問者に田中真紀子氏を立てたことにも異議がある。
田中氏は民主党の会派に入ってはいるが、無所属の議員だ。民主党の主張を訴える「顔」とは言いにくい。
小泉元首相が田中氏を外相に就けて外交の混乱を招いたとき、人気目当ての起用を批判したのは民主党だった。今度は、その民主党が同じ轍(てつ)を踏んではいまいか。
総選挙に向けたもう一つの「顔」である最新版のマニフェストづくりが進んでいないことも解せない。
経済危機のあおりで税収は激減し、財政出動は増えている。07年の参院選のマニフェストを大幅に組みかえる必要があるのは明らかだろう。
世論調査で民主党や小沢代表の支持が高まっているのは、麻生自民党のふがいなさという「敵失」によるところが大きい。真正面から政策論争を仕掛ける構えなしに外野席から「早期解散」を叫んでも迫力を欠く。
社説:代表質問 小沢氏は論戦から逃げるな
毎日新聞社説(2009/1/30)
麻生太郎首相の施政方針演説に対する各党の代表質問が29日始まった。しかし、質疑の中身より先に、まず指摘すべき点がある。民主党の小沢一郎代表は、なぜ登壇しなかったのかということだ。
小沢氏はこれまでも国会論戦に熱心でなかった。だが、衆院選は各党の政策を通じて政権と首相を有権者が選択するマニフェスト型選挙になりつつある。今年は確実に衆院選がある。民主党はそこで政権交代を実現させ、「小沢首相」を目指すといっているはずだ。麻生首相か小沢氏か。有権者があらゆる機会を通じてその判断材料を求めているのは小沢氏も承知だろう。
しかも、この日、小沢氏に代わって質問に立った鳩山由紀夫幹事長は「麻生首相の施政方針演説に対する代表質問は最初で最後になるだろう」と語った。ならば、なぜ、重要な対決の機会を代表が放棄するのか。
これでは「やはり、小沢氏は本当は首相にはなりたくないのでは」との声が再び大きくなり、小沢氏をトップとする政権構想にも疑問符が付くことになる。
この日は民主党と統一会派を組む田中真紀子氏も登壇した。民主党は話題作りを狙ったのかもしれない。だが、党首が登場せず、党に所属していない田中氏に頼る手法を民主党議員はよしとしているのだろうか。そうだとすれば、いささか安易ではないか。
鳩山氏と田中氏の質問が、それなりにポイントを突くものであったのは認める。与党内であいまい決着となった消費税率の引き上げや雇用問題など今後の審議の中心となるだろう。
しかし、もはや麻生政権を批判するばかりではいられない。民主党政権になれば、どう変わるのか。例えば無駄の削減に関しては、なお「国の総予算を全面的に見直す」などと抽象的な言い回しにとどまった。どう見直すのか、そろそろ、具体的に示さないと、有権者は判断に困ってしまう。
一方、麻生首相の答弁は細田博之自民党幹事長の質問に答え、官僚が天下りを繰り返す「渡り」のあっせんを認めないと明言したほかは、大半は官僚らが事前準備した答弁書を読み上げただけのようだった。
とかく、聞く方も答える方も一方通行になりがちな代表質問とはいえ、先が思いやられる。
鳩山氏は「『逃げない』と言いながら、国民の審判から逃げまくっている。それが国益を損ない、国民の災いのもとになっている」と改めて麻生首相に早期の解散・総選挙を求めた。
小沢氏も総選挙を前にした国会論戦から逃げないことだ。鳩山氏は「今後、いろいろな機会で小沢代表の出番を演出していきたい」という。党首討論を頻繁に開くなど、党首同士ががっぷり組んだ論戦の場は多ければ多いほどよい。