参考写真
 6月15日、水戸市松本町の「保和苑」に足を伸ばしました。遠く元禄時代、徳川光圀公(水戸黄門)が古刹・大悲山保和院桂岸寺の庭を愛されて保和園と名付けられたのが始まりといわれている庭園です。昭和初期、地元有志の手によって拡張整備され、池に築山を配した純日本庭園になり、名前も「保和苑」となりました。
 昭和25年、桂岸寺より水戸市へ移管されたことにより、昭和36年地元と市による保和苑振興協議会が発足し、運営されています。
 昭和30年代、苑を拡張してあじさいの植栽が行われました。初夏になりますと、国内(面積1.5ha)の30数種類、約6,000本のあじさいが咲き競い「水戸のあじさいまつり」が盛大に開催されます。
 私にとっても幼少期、この庭が絶好の遊び場でした。当時は、動物園も併設されており、休みの日は一日中この広い提案で遊んだ記憶があります。縁日は賑やかで、サーカスの興業なども行われていました。保和苑の紫陽花は本当にもごとです。これだけの庭園と紫陽花が、無料で楽しめるのも水戸っぽの気概を見る気がします。

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