県立歴史館の黄葉 公明党は本日11月17日、45回目の結党記念日を迎えました。
 先の衆院選は、民主党への風が吹き、また、二大政党制が進む中での厳しい選挙戦でした。にもかかわらず比例区で805万票の支持を受け、日本の政治の中に、無くてはならない政党としての確かな存在感を示すことができました。特に、地方議会では、3000人を超える議員を有し、まじめな議会活動には高い評価をいただいています。
 1964(昭和39)年11月17日、公明党は参院議員15人、地方議員1200人余の勢力で日本の政界に船出しました。55年11月には、「五五年体制」と呼ばれる自民党と社会党による二大政党制が既にスタートしていた時代背景があります。公明党は、自社両党が目を向けなかった、いわば、政治から見放されていた大衆の側に立ち、その声を国政に生かすことを責務とすることで強固な二大政党制に挑んでいきました。
 この「大衆とともに」の前進が公明党への支持を大きく広げました。結党3年後の67年には衆院選初挑戦でいきなり25議席を獲得。さらに2年後の衆院選では47議席を勝ち取って自民、社会に次ぐ第3党に躍り出るまでに急成長しました。
 公明党が立党の原点である「大衆とともに」の理念を実践する限り、どのように政治状況が変わろうとも、公明党の存在意義は揺るがないと確信しています。
 かつての「五五年体制」は冷戦期の東西両陣営のイデオロギー対立を反映していました。しかし、20年前の冷戦終結によって「五五年体制」は変質。93年に自民単独政権が崩壊、社会党も時代に後れを取って支持を失いました。その後、連立政権が“当たり前”の時代となり、その延長線上に、今の民主党政権があります。
 しかし、この政治状況が多様な価値観が混在する今日の日本に定着することを疑問視する声はやまず、「つくられた二大政党制」への懸念を表明する識者も多いのは事実です。さらに指摘すれば、政党の基本ともいえる「党綱領」ももたず、政権を奪取したにもず、国の基本中の基本である安全保障の問題などに党内の得ていない民主党は、果たして政党の要件を備えているのかとの疑問の声さえ残っています。一方、自民党再建の道もほど遠く、各地方の小選挙区支部さえ、責任者が決まらない状況が続いています。
 こうした政治状況の中、公明党は心新たに、国民の生の声に耳を傾け、それを真摯に受け止め、そこからビジョンを練り上げ、さらに政策に仕上げていく労作業に全力で取り組んでいくことが必要です。この新しい行動の中にこそ、民主党、自民党の間に割って入り、公明党が存在感を発揮する確かな道があります。
 山口那津男代表は今国会の参院代表質問で、「『福祉の党』『教育の党』『平和の党』という公明党の旗を高く掲げながら、どこまでも現場第一主義で、庶民の側から、地域から政策を立案・発信」すると宣言しました。
 福祉の拡充・教育の向上・平和の実現はまさに全国民の願いである。その実現のために公明党は立ち上がり、来夏の参院選に、各地の地方選挙に勝ち抜く決意です。
 公明党は数々の試練に直面してきました。しかし、「大衆とともに」前進を続ける中で乗り越えてきた歴史がある。いま再び、新たな歴史をつくりたいと思います。そしてそれは、派手な国会だけの戦いではなく、地道な地方での戦いに主戦場であることを、自らに言い聞かせていきたいと思います。