「時代の風:ツイッター(Twitter)」に登録しました。ネットのあちこちでこの言葉に出会いますが、140文字の“つぶやき”で何が出来るのか、半信半疑で手を出していませんでした。
 しかし、公明党の青年局長(谷合正明参議院議員)や広報局長(西田まこと参議院議員)が、ツイッター・デビューしたと聞き及んで、取りあえず登録して試行開始しました。
 また、今日(2009/12/27)付の毎日新聞の坂村教授の記事にも触発されました。  私のような地方議員にとっては、どんなメリットがあるか全く未知数ですが、しばらく検証してみたいと思います。
時代の風:ツイッター=東京大教授・坂村健
毎日新聞(2009/12/26)
◇ブログと違う、規則設計
 ネット関係で「ツイッター」という言葉を聞く機会が増えてきた。数年前の「ブログ」のように、知っている人は盛り上がっているが、知らない人もまだ結構いる感じ。ということで今回はネットの中の新しい時代の風−−ツイッターをご紹介したい。
 まず現在の新聞紙面での取り上げ方をみてみよう。「ミニブログのツイッター」とか書かれている。ツイッターもブログと同じウェブで個人の文章を公開するためのシステム。1回に140字の「つぶやき」しか発信できないのが特徴だから「ミニブログ」と表現したのだろう。
 また、2006年に現Twitter社が開始した特定のコミュニケーション・サービスの名称なので、公平を旨とし一般名詞を使いたい新聞としては「ブログ」としたのかもしれない。ちなみにこのサービス、米国流の無料ユーザー集め先行型。いまだもうけは出ていない。
 しかし、この「ミニブログのツイッター」というのが正しくツイッターを伝えているかというと、どうだろう。ブログとツイッターは、実はその規則の設計が大きく違う。ブログは読者との交流を支える仕組みがよくできているのだが、そのオープンさのために悪意のコメントによる「荒らし」とかトラブルの元ともなる。そこで、招待された人しかアクセスできないSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という「クローズブログ」的なシステムが生まれたが、これもクローズすぎとか、不注意なユーザーが皆に迷惑をかけるとかいろいろ問題も見えてきた。
 「広く私の意見を聞いてほしい」、「良い人たちとは簡単に関係を作りたい」、でも「不愉快な反応は受けたくない」−−そういう要望を満たす環境をどう作るか。その結果がツイッターというわけだ。ツイッターにユーザー登録していなくても、基本的に皆のつぶやきは読める。単語で検索もできる。その意味でブログと同じくオープンだ。
 しかし、相手のつぶやきにコメントを返そうとすると、まずツイッターへのユーザー登録が必要。登録すると気に入ったつぶやき手をフォローできるようになる。そうすれば相手のつぶやきが時系列でリストになって常に見える。
 発信する気がなく、いろいろな人のつぶやきを楽しむだけならこれだけでいい。なにしろアメリカ大統領からタレントまで多くの有名人ご自身の(ということになっている)つぶやきから、スーパーのタイムセールスのようなお役立ち情報まで、大量のつぶやきが流れている。
 逆に発信したいなら、どんどんつぶやく。内容が面白ければフォローしてくれる人も自然に増える。自分をフォローしているユーザーの数もわかるので、発信者にはそれが励みになる。しかし、最初に知人とか少しでもフォローしてくれる人がいないと、フォローの連鎖が始まらない。この辺はSNS的ともいえる。
 そして、ある人とある人が互いにフォローする関係になると、相手のつぶやきに対するコメントが相手のリストにも現れるようになる。そのとき両者をフォローしている第三者のリストにもそのコメントが現れるが、片方しかフォローしていない人のリストには現れない。
 実は、互いにフォローしていない相手からのコメントも検索さえすれば確認できる。しかし、人気の発信者はたいていそんな手間をかけないので簡単に無視されるから「荒らし」もできないわけだ。
 これだけの規則でサークルの相互連絡にも、広く議論を戦わせるフォーラムにも、企業や政治家の広報にも、個人の意見の発信にも、情報収集にも使える。使い方にあわせて伝達範囲が決まる一種の自己組織化が働くのがうまい。意図しない人からの悪意のコメントなどは基本的に届かないし、いい人とは手軽にコネクションを作れる。もし万が一途中から関係が悪くなっても、フォローをブロックすればコメントも消える。
 そして140字制限も重要なポイント。似たような字数制限の日報で成果が出た企業もあるように、考えをまとめる枠として意外と有効に機能する。下手な長文コメントで対話が停滞することもない。
 さらにこの字数はモバイル機器でやりとりするのに適当だ。「いつでもどこでもリアルタイムにつぶやいたり、つぶやきを受ける」という文化が、長文が書けないという制限によって確立できたのだ。
 結果、あまりにもモバイルでのツイッターにハマりすぎて、結婚式中に「いま指輪交換」とかつぶやく新郎とか、「泥棒ナウ」とかつぶやいて捕まった泥棒とか、まさにユビキタス的な悲喜劇が米国ではニュースになっている。
 日本語サービスが提供される前から全ユーザーの20%が日本人だったというから、「友達の友達は皆友達」式のゆるいけど不安のないコミュニケーション環境は日本人に結構向いているようだ。
 いずれ新聞紙面で「つぶやきながら入った泥棒と、入られても通報せずツイッター中継を続けた東京在住のAさん」の記事を読む日も近いことと思う。その時には「ミニブログの〜」という枕詞(まくらことば)はもういらないはずだ。