11月15日、今任期中最後の県議会が閉会しました。いよいよ名実共に本格的な選挙モード突入です。
今回勇退するのは、自民党の山口武平議員(14期89歳)、関宗長議員(13期83歳)などの長老議員を含む13人。公明党の足立寛作議員(9期66歳)も、後進に道を譲ります。
山口県議の初当選は、昭和30年(1955年)。いわゆる55年体制が固まった年です。以来、14期55年にわたって茨城県政の“ドン”として、長年県議会に君臨しました。山口県議の勇退は、県政に大きな変化をもたらすと思われます。
山口県議を、自民党を始め他党の県議や県職員、そして知事までが“会長”と呼びます。22年間にわたって自民党県連会長の座に君臨し、県議会で圧倒的多数を占める自民党県議団を束ねてきた山口議員。友末洋治(故人)、岩上二郎(故人)、竹内藤男(故人)、橋本昌の4代の知事を下支えし、県政の安定と茨城県の公共事業による開発を進めてきました。鹿島開発、筑波研究学園都市開発、つくばエクスプレス整備、常陸那珂開発など大規模事業の実現には、山口県議率いる県議会自民党と知事とが、まさに車の両輪のように大きな役割を担ってきました。合併推進論者として、つくば市誕生や「平成の大合併」でも陰に陽に大きな役割を果たしたといわれています。
この山口議員という主を失った自民党県議団が、今後一枚岩の団結を維持できるか疑問視することは、自民党内部からも上がっています。
相対的に知事への権力集中が強まれば、多選の弊害が出る可能性も否定できません。
こうした意味で、私たち公明党県議団の役割は一層重くなると自覚しています。
選挙まで27日。今日より、次の県政を担う決意も新たに、全力投球してまいります。
今回勇退するのは、自民党の山口武平議員(14期89歳)、関宗長議員(13期83歳)などの長老議員を含む13人。公明党の足立寛作議員(9期66歳)も、後進に道を譲ります。
山口県議の初当選は、昭和30年(1955年)。いわゆる55年体制が固まった年です。以来、14期55年にわたって茨城県政の“ドン”として、長年県議会に君臨しました。山口県議の勇退は、県政に大きな変化をもたらすと思われます。
山口県議を、自民党を始め他党の県議や県職員、そして知事までが“会長”と呼びます。22年間にわたって自民党県連会長の座に君臨し、県議会で圧倒的多数を占める自民党県議団を束ねてきた山口議員。友末洋治(故人)、岩上二郎(故人)、竹内藤男(故人)、橋本昌の4代の知事を下支えし、県政の安定と茨城県の公共事業による開発を進めてきました。鹿島開発、筑波研究学園都市開発、つくばエクスプレス整備、常陸那珂開発など大規模事業の実現には、山口県議率いる県議会自民党と知事とが、まさに車の両輪のように大きな役割を担ってきました。合併推進論者として、つくば市誕生や「平成の大合併」でも陰に陽に大きな役割を果たしたといわれています。
この山口議員という主を失った自民党県議団が、今後一枚岩の団結を維持できるか疑問視することは、自民党内部からも上がっています。
相対的に知事への権力集中が強まれば、多選の弊害が出る可能性も否定できません。
こうした意味で、私たち公明党県議団の役割は一層重くなると自覚しています。
選挙まで27日。今日より、次の県政を担う決意も新たに、全力投球してまいります。
山口武平氏の略歴
1955年 | 自民党、社会党の結党、いわゆる55年体制はじまる |
1955年4月 | 県議初当選 |
1959年 | 岩上二郎知事誕生 |
1966年 | 県議会議長選出をめぐる黒い霧事件で議会は自主解散。受託収賄罪で起訴 |
1970年1月 | 県議会議長選出 |
1974年4月 | 自民党県連幹事長就任 |
1974年 | 茨城国体開催 |
1987年2月 | 自民党県連会長就任 |
1987年 | つくば市合併 |
1989年1月 | 県議会議長選を巡る「黒い霧事件」に絡み最高裁で受託収賄罪の有罪確定 |
1991年1月 | 県議10期目 |
1993年 | ゼネコン汚職で竹内藤男知事逮捕、橋本昌知事誕生 |
2005年10月 | 全国都道府県議長会から県議在職50年表彰 |
2006年3月 | 2度目の県議会議長選出 |
2006年7月 | 全国都道府県議長会長選出 |
2009年4月 | 春の叙勲で旭日重光章受章 |
2009年8月 | 衆院選で自民党惨敗、知事選自民党推薦候補が惨敗 |
2009年9月 | 22年間務めた自民党県連会長を辞任 |
2010年10月 | 県議会議員の引退を発表 |