6434人もの尊い命を奪った阪神・淡路大震災から16年を迎えました。
 1995年1月17日は、私が県議として初めて議会の本会議に臨んだ、その日でした。
 テレビニュースでは、神戸市民の4割がすでにこの震災を経験したことのない人達だと伝えていました。記憶の風化がささやかれる中、静かに多くの犠牲者の御霊に祈りを捧げつつ、あの日あの時に学んだ教訓を改めてかみしめたいと思います。
 まず、政府、自治体の危機管理のあり方です。
 当時は「自社さ」村山政権でした。現地から次々と深刻な被害の状況が伝えられても、政府はルーティンの会合を止めようとはしませんでした。非常災害対策本部が設置されたのは地震発生から約6時間後。緊急の対策が打ち出されたのは、18日になってからでした。それから16年が経ち、民主党はそのマニフェストで「危機管理庁」の創設を掲げていますが、その議論すら始まっていません。
 犠牲者の大半が建物の倒壊による圧死だったことから、「建物の耐震補強」の必要性も、強く指摘されました。しかし、公立小中学校施設のうち、依然、約7500棟が震度6強以上で倒壊する恐れがあります。市役所や町村役場の耐震化も、地方自治体の財政難から大きく遅れています。耐震化予算の優先順位をもっと上げる必要性があります。
 阪神大震災は、個人の自由な意思に基づく「利他の行動」としてのボランティア活動が、日本社会に定着した大きな節目になったと言われています。阪神大震災のような巨大地震の場合、政府や自治体が行う「公助」には限界があることが明確になりました。生命や財産を市民自ら守る「自助」の意識を啓発し、地域社会でお互いに助け合う「共助」の仕組みを着実に構築して行くことが重要です。
 阪神・淡路大震災は過去の記憶ではなく、明日の指針にしていかねばなりません。